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青山泰の裁判リポート 第23回 大手製薬会社のエリート研究員は、妻にメタノールを飲ませて殺害したのか?
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「妻に殺意を抱いたことはなく、メタノールを摂取させたこともありません」
塚村章一被告(仮名・42歳)は、法廷で妻を殺害したことを明確に否定した。
落ち着いていて、驚くほど冷静な口調だった。
長身で細身、目にかかるほど前髪を垂らした真ん中分け。彫りが深く、きりっとした眉に大きな瞳。グレーのスーツに白シャツ、紺の無地ネクタイ姿だった。
塚村被告は北海道大学大学院を卒業して第一三共に入社。患者の痛みを軽減する薬の開発を担当する研究員だった。
亡くなった美子さん(仮名・当時40歳)も京都大学大学院を卒業して、同じ会社に同期入社。
結婚して2年後に一人息子が誕生した。
絵にかいたようなエリートカップルだったのだが……。
2週間後、体内から
メタノールが検出された
2022年1月、「妻が息をしていない」と、塚村被告が119番通報。
その後、妻の死亡が確認された。
2週間後、妻の体内からメタノール(メチルアルコール)が検出。勤めていた会社でメタノールを使用していた夫が、殺人容疑で逮捕された。
メタノールは無色透明の液体で、ほぼ無臭のアルコールの一種。
塚村被告が勤めていた研究室では、化学反応の溶媒と精製のために使用されていた。
飲むと失明する可能性があり、死亡することも。口から摂取した場合の致死量は、30~100mlと言われている。
戦前には、メタノールで増量したカストリ(密造焼酎)で30人以上の死者が出たことも。第二次世界大戦後の混乱期にも、メタノールを使用した密造酒による中毒がしばしば起こっている。
食事も別々で、
家庭内別居状態だった
結婚当初の2人は仲が良かったが、徐々に亀裂が生じてきた。
塚村被告の米国留学が決まり、一緒にアメリカで生活したが、関係は悪化する一方。
日本に帰ってからは、夫の分だけ食事が用意されなくなり、洗濯もしなくなった。
家庭内別居状態で、日常会話もなくなった。
買い物の指示もLINEで。
寝室も別。夫が子どもと会話させないようにしていた、という。
冷蔵庫に貼っていた紙を見て子どもの運動会に行くと、事前予約が必要だと見学できなかった。次の年は「教えて」とLINEしたが、返事がなかった。
塚村被告は、いつも妻と子どもが寝室にこもってから帰宅していた。
早く仕事が終わったときは、書店で立ち読みしたり、3駅歩いて時間をつぶしたり。
「別居も離婚も
考えていなかった」
塚村被告が暴力をふるってないのに、妻は実況中継するように「暴力を振るわれています」と動画撮影されたことも。
「離婚する時の証拠にするつもりでは、と思っていた」と。
「妻はこっちの何が悪くて怒っているのか、分からないことが多かった。
謝ると『何が悪くて怒っているのかわかってるのか』とまた怒る。
でも、いつか元通りになると思っていました」
別居も離婚も考えていなかったという。
「両親がそろっていることが息子のためだし、私がいなくなったら妻のイライラが息子に向いてしまうと思った」
――(妻から)離婚を提案されたら?
「息子の前で泥沼は見せたくないので…もしかしたら…わかりません。
(妻に対しては)自分が好きになって結婚しようと言ったので。
後から違うと分かっても、自己責任です」
風俗店利用がバレて
妻が激怒した
その後、塚村被告の風俗店利用がバレて妻が激怒した。
「けがらわしい」と服を全部処分されて、クリニックを受診してすべての性病検査をしろと言われ、被告人はそれに従った、という。
「『風俗に行っているお前のことをフーゾクと言うぞ』と。
最初は子供の前で、と反論していたが、徐々に反論しなくなった。
私が触れたカップに消毒液をかけたり。
内鍵のある寝室に籠るようになった」
研究室のメタノールが
4本持ち出された
塚村被告と同じ研究室に勤務する研究員が証言した。
「メタノールの危険性、取り扱いについては、会社から教育されています。
被告人は鍵付きキャビネットで保管するというルールに従わず、他の場所に保管していた。
ペットボトルや水筒などに入れて持ち帰ることはできます。
(妻の死亡後出社した時は)思ったほど落ち込んでいないという印象。周りに心配しないようにカラ元気なのかなと思いました」
事件の2日前、被告人とは特定できないが、倉庫から誰かがメタノール2本を実験室に持ち出した。
前日にもメタノール2本が持ち出され、塚村被告のサインがあった。実験で何に使用したか、どれだけ使われたかは不明。
妻がメタノール中毒で異常行動を始めたのは、その翌朝からだ――。
「息子が吐いていないので
食中毒ではないと思った」
朝、寝室からえずく音がして、息子が出てきた。
「何か変なものを食べたり、飲んだりしたのか?」と聞いたが「していない」と。
――酒の匂いは?
「覚えてません。息子が吐いていないので、食中毒ではないと思った。
妻は吐いて、ベッドで寝ていたのは頭痛だろうと。
調子が悪ければ、自分で救急車を呼ぶだろうとも思っていました」
急性メタノール中毒の症状が出始めた2時間後、塚村被告は妻が愛飲していた焼酎パックを撮影。その後、画像を削除している。その理由は不明だ。
被害者は、1日以上メタノール中毒で苦しんでいた。
塚村被告の呼びかけにもろれつが回らず、何度も嘔吐してベッドから落ちた。
廊下で全裸になったり、水風呂に入浴したり。ベッドで立ったまま放尿したこともあったという。
異常な行動を続けていたのに、被告人は119番通報しなかったのだ。
「救急車を呼ぶべきだったと
本当に後悔しています」
「二日酔いだろうと思ってました。
妻の行動を家族以外に知られたら恥ずかしいと思い、救急車を呼ばなかった。
当時はメタノール中毒の症状を知らず、疑うことはできなかった。
もっと早く救急車を呼ぶべきだったと、本当に後悔しています。なぜ二日酔いと思い込んだのか、今もわからない」
事件当日、塚村被告は2度外出して焼酎とポカリスエット、缶ビール6本と寿司を購入した。その後、宅配ピザを注文。
翌日の朝になって、119番通報した
「息をしていないため、119番しました」と。
妻の兄は「妹が自殺する
ことはありません」と
妻の兄が証人として出廷した。
「妹は学業が優秀で音楽もできました。キュリー夫人に憧れて『世の中に役に立ちたい』という強い意志を持っていました。明るくよくしゃべる子でした。
妹が自殺することはありません。一人息子への愛情が強く、子どもを残して死ぬことはない。妹は自分を大切にする子でした」
事件の前日、妻は子ども用に学習参考書2冊をインターネットで注文している。
自殺するつもりがないことを裏付ける事実だ。
塚村被告は、風俗嬢と
連絡を取り合っていた
塚村被告は、妻との関係が悪化するにつれて、風俗にのめり込んでいった。
事件の前後にも、知り合いの風俗嬢と連絡を取っている。
事件の4日前、知り合いの風俗嬢から塚村被告にLINE。
「定期検査で淋病引っかかった。もしかしたら移しちゃってるかも。検査してね」
塚村被告は「謝ることやない。おれのこと気にせず、しっかり治すんやで」と返信。
事件2日前には、
「俺は明日仕事終わりに検査受ける。結果わかるまでドキドキやな」
「ごめんね」
「移ってても治らん病気やないから。謝ることないよ。
あんなに気持ちよくさせてくれたんやから」
「章一さん、本当やにさしい」
妻がメタノール中毒で苦しんでいる間にも、LINEで連絡を取っている。
妻が亡くなった翌日には、「陰性やったよ。これで大幅にプラスだね」と。
精神科医は「自殺した
可能性は否定できない」と
法廷で、精神科医は「自殺した可能性は否定できない」と証言した。
自殺防止対策の専門家だ。
「第三者から見て兆候がなくても、精神科を受診していなくても、自殺することはある。
『小学3年の子どもを残して死ぬはずはない』と主張する人もいるだろうが、自殺しないとは断言できない。お腹に子どもがいても、自殺することはある。
遺書がなくても、予定を入れていても、自殺する人もいる」
妻は体調が悪くなる前日の夕方6時頃、子どもと食事。
一緒に風呂に入って寝た、との子どもの証言がある。
「前日、何もおかしいことがなくても、自殺することはあり得る。
自殺する時は、計画を立てて、一直線に死ぬわけではない。
不慮の事故で亡くなった可能性も否定できない。
死ぬつもりがなくてメタノールを飲んだり、夫への当てつけで飲んだ可能性もないわけではない」と。
公判が進むにつれて、
塚村被告はやつれてきた
公判が進むにつれて、塚村被告は明らかにやせてきた。
頬がこけて、顔色が青白く、ひどい咳もずっと続いていた。手にハンカチを持っている。
スーツがぶかぶかになり、パジャマのようにも見えた。
公判では、被告人質問が続く。
――妻が自殺未遂をしたことは?
「私が知る限りありません」
――他の人から聞いたことは?
「妻の人間関係には疎いので」
――自傷行為を見たり聞いたりしたことは?
「ありません」
――息子さんから聞いたことは?
「ありません」
――被告人が帰宅した後に、内鍵がかかる寝室やリビングで妻がお酒を飲んでいたことは?
「知りません」
――寝室でお酒を飲んでいたことは?
「気づきませんでした。
食事は別なので、いつどれだけ飲んでいたか知りません」
事件から2週間後、死因はメタノール中毒だったと知らされた。
――その前までは死因は何だと思っていましたか?
「脳の血管が詰まったとか、でもCTでは異常なしと。さすがに二日酔いで亡くなったとは思わなかった」
理路整然とした話し方で、興奮することなく、どの質問にも的確に答える。
被告人というより、鑑定人として呼ばれた専門家という印象だった。
「息子から母親を奪うような
残酷なことはしません」
息子に対する質問では、感傷的になる場面も見られた。
「息子には妻がメタノール中毒で死んだとは言ってない。
『救急車を呼ばへんかったから亡くなった。ごめん』と謝った。息子からは特になかった。
(息子は僕に)すごく気を使ってくれて『お母さんがいなくてさびしい』などと言わないので、私もそのことに触れないでいる。
息子から母親を奪うような残酷なことはしません。犯罪者の息子にするような愚かな人間ではありません」
現在は妻の両親が面倒を見ている、という。
「月に1回くらい手紙をくれる。
『テストでこんな点とったよ』『身長これだけ伸びたよ』『友だちと遊んだよ』と近況報告があります。毎回返事を出しているが、自分の近況は書いていません。
妻の親からの手紙が同封されていました。『授業参観に行ってきました』『最近食べる量が増えました』『ピアノの発表会がありました』など。
今後、妻の両親が塚村被告と接触を断つ可能を指摘されたが、
「そうならないようことを祈ってます。複雑な気持ちで手紙を書いてくれてるんだと思います。私が救急車を呼ばなかったことで、救命措置ができなかった。
一番つらい目に遭っているのが息子です。一刻も早く駆けつけたい」
弁護側は「気づかれずに
致死量を飲ませるのは不可能」
検察側は懲役18年を求刑した。
長男に愛情を注いでいた妻に自殺する動機はなく、自宅に第三者が立ち入った形跡もないことから、「犯人は塚村被告以外にあり得ない」と
弁護側は「気づかれずに致死量を一度に飲ませるのは不可能で、妻が自らメタノールを摂取した可能性がある」と無罪を主張した。
塚村被告は「妻に殺意を抱いたことはない」と、一貫して否定している。
最後の陳述でも、「メタノールを摂取したのは妻の意思だと思う。私は無実です」と。
しかし妻が自殺したのだとすれば、多くの疑問が残る。
メタノールをどこで入手したのか。またその容器はどこに消えてしまったのか。
2024年10月30日、判決が言い渡された。
判決は懲役16年。
「鑑定結果から、研究室からメタノールを持ち出して、妻が愛飲していた焼酎の紙パックに混入した可能性が高い。
味と香りが似た焼酎に致死量を混入することは充分にありうる。被害者が自殺する合理的な可能性はない。
事件後に、被告人が焼酎の画像を削除したことや、妻が死亡前に異常行動を繰り返していたのに、救急車を呼ばなかったのは、合理的な説明が極めて困難」と指摘した。
「病死などを装いやすく犯行が発覚しにくいと考えられる方法を選択するなど、高度な計画性があり、強固な殺意に基づく冷酷な犯行。短絡的かつ身勝手で、強い非難に値する」と認めた。
弁護側は判決を不服として即日控訴した。
どうやってメタノールを
妻に飲ませたのだろうか?
私は判決公判を傍聴できなかった。
傍聴希望者が多く5倍以上の倍率で、抽選に外れたからだ。
傍聴した人に、公判の様子を尋ねた。
実刑を言い渡されても、塚村被告は動揺した様子は全く見せず、まっすぐ前を向いていた。終始落ち着いた様子だった、という。
この事件の公判を10回以上傍聴していて、被告人の態度から想像した通りだった。
分からないのは、塚村被告がどうやってメタノールを飲ませたのか。
2人は以前から、一緒に食事や飲酒をしていない。
被告人が妻が愛飲していた焼酎の紙パックに、研究室から持ち出したメタノールを加えて、妻が飲む機会を待っていたとしか考えが及ばない。
そうだとしても、やはり“未必の故意”による殺人罪にあたる。
“未必の故意”とは、積極的に犯行を犯すわけではないが、「妻が飲むかもしれないが、それでも構わない」と考えてメタノールを入れること。犯行を行うつもりがあったという故意が認められる。
「妻に殺意を抱いたことはなく、メタノールを摂取させたこともありません」
法廷でそう証言した塚村被告。
自分は焼酎の紙パックにメタノールを入れただけ。
それを自らの意思で飲んだのは妻だ、と自分の行為の言い訳にしたかったのだろうか――。