“人の面” のおはなし

矢花くんのブログ読みました、今日も大好きー!(  ᵕ_ᵕ̩̩  )
文体にどこか江戸川乱歩みが伺えたのはわたしの気の所為でしょうか?(笑)



 今回の矢花くんのお話は『人の面』について。くわしくは実際に読んでほしいのだけど(2021/05/26 21:00更新分)、読まなくてもまぁわかる内容かと🙆



 以前バイト先の先輩に「○○さんってクールビューティだよね!」と言われたことがある話はしたと思うのね。そのときは嬉しさ反面 寂しさ反面で「全然そんなことないですよ〜!笑」としか返せなかったのだけれど、わたしの仲の良い友達からみれば「○○が?クールビューティ?どこが?」となるので、これもまた違う面であり自分と他者のズレなのかな、と。
 これは多分、“優等生でいたい気持ちが多く含まれたわたしの面” が社会の場で出ているということだと思うのね。真面目に仕事をこなしている様から先輩の中で「クールビューティ」が生み出されたのではないかな、なんて🤔


 世間一般(?)が思っているよりも もっとわたしは明るい性格だし人と絡みたいタイプの人間だけど、ひとり遊びも得意で1人の方が楽な時もある。今回の件においては  その後者の面がバイト先では出ていたのではないかな、という自己分析😌
 敬語だとどうしても壁があるように見えてしまって、仲間同士明るく接せられている同期が羨ましく感じていたんだよね。だから最近タメ語を混ぜて話してみたりしている(失礼のないレベルでね)。そしたら気さくに話しかけてくれる人が増えたように感じられて。これは周りの思い描いている理想のわたしの面(今回はどちらかというと印象かな)を自分の面に近づけられた例なんじゃないかな。矢花くんのお話とはちょっと別(というか反対)になっちゃうかもしれないけど…



 少し話は変わって。わたしが以前から “オタクのわたしは多重人格のようだ” と言ってるのはフォロワーさんなら知ってると思うのですけど、それは自担によってなんというか、違う自分がそれぞれの自担を推しているといいますか…
 「○○くんが好き!」という気持ちと「■■くんが好き!」という気持ちはまた別次元であって、違う気持ちというか人格、いわば面なんですね。
 自担によって推し方も違うからね(わたしの場合は主に崇拝・ガチ恋・母性で成り立ってます)、そりゃ違います。立て続けに供給があった場合は様々な人格がフル活動でてんやわんやのパニック状態です。まぁそれも楽しいのでいいんだけどねん😌🎶

  
    
 結局何が言いたいかって言うと、どんなに仲のいい友達や家族でもそれに対しているのは『限りなく自分に近い何か』なんだよね。“本当の自分は自分しかしらない…” なんてどこか厨二病みたいな言い方だけど、本当にこんな感じ。それは人類誰しもそうな気がする。
 決して人に対して一線を引いているわけではなくて、そしてまた素を見せていないわけでもない。少しはいいこちゃんぶってるところもあるかもしれないけど、バイト先で見せる面、友達に見せる面、家族に見せる面、全部わたしの素なんだよ。それでいて、アイドルでもないのに周りの理想の自分でいたい 期待を裏切りたくないわたしと、「いやこれが自分だし?」と惰性に塗れあっけらかんとしたわたし、これも全部わたしなんだよな。 この考えは矢花くんが最後の方に言っていた、『僕はこれからも「理想像」と「自己像」を近づけられるように活動していこうと思います😂』に関係するんじゃないかな。周りが思い描いている良い面の自分にそこまで思い悩まずに近づけていったらいいよね!くらいの気持ちでいるのが多分一番楽なんじゃないかなっ😌



 何にせよ、矢花くんが生きやすいようになればいいな。わたしもわりと楽観的な方だけどネガティブ思考に陥ることが多いからわかっていても思い悩んじゃうのすごいわかる。考えすぎずにいてね。生きていてくれさえすれば私からしてみればこんなに幸せなことはないんだから。


 まぁでも結局、いくら考えても自分にいくつの面があるかなんてわからないんだよね。もしかしたら考えつかないだけで、二十ほどもあるのかもしれない。
ほら、二十面相のようにね。


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