「運命」と「沼落ち」のおはなし
1週間ぶり2度目の更新です、ゆんです!
今回は「運命」についてのおはなしでしたね。矢花くんの書き出しから本題までの流れが見事でさすがやな~と思いました(感想)
運命(うんめい、ラテン語 fatum、英語 fate、destiny)とは、
・人間の意志をこえて、人間の幸福や不幸を与える力のこと。あるいは、そうした力によってやってくる幸福や不幸、それの巡り合わせのこと。
・人生は天の命によって定められているとする思想に基づいて考えられている、人の意志をこえて身の上に起きる禍福。
・将来のなりゆき。命運(めいうん)とも。
(Wikipediaより)
私自身「運命」を信じるか、と聞かれたら
答えはYesです。
矢花くんが言うように、「運命」は目には見えないもの。だからこそ人間は運命を信じたいし、すがりたくなってしまうのかもしれないなぁと。まぁ基本的にわたしはテキトー人間なので、目に見えないものを信じたり、はたまたモノによっては信じなかったりするんだけど。
例えば占いとか。一位だったら喜んで乗っかるしラッキーアイテムを持ったりなんかしちゃって一日ルンルンで過ごしちゃうんだけど、微妙な順位だったらあんまり信じないし気にしないようにしていたりする。
あとは神仏。何か事あるごとに「神様仏様女神様・・・」とかなんとか言って願掛けしたり神頼みしたりするけど実際わたしは無宗教だし、願いが希望通りにならなかったら「この世に神なんていなかったのか」だとか「神様なんかくそくらえだ!」とか言って途端にさっきまでの祈りはなんだったんだというくらいの勢いで願いを放り投げたりする。うーむ、実に面白くて、まったくふざけた人間である。(自戒)
先ほど私は「運命は目には見えないからこそ信じたりすがりたくなってしまうのかもしれない」といったけど、それに加えて「運命のせいにする(できる)」という面もあるんじゃないかなって思って。例えば”運命の赤い糸”もそのうちのひとつではないかな。(まぁ運命ってついてますし)(おすし)
目には見えない小指に結びついているだろう糸を信じて、この糸の先につながっている運命の相手・白馬の王子様を待っていたりする。だから運命を信じることで、いつになっても相手が現れないのは、運命の赤い糸が切られているか白馬の王子様が道に迷っているせいにすることができるじゃないですか。うんうん、自分のせいじゃないもんね…(至ってよくない例である)
つまり「これは運命である」と定義付けることで責任逃れを働いたりと、都合よく扱っているということです。ここの結論は矢花くんと一緒だあ。だって目には見えないし、運命の定義なんて人それぞれだしね(^_-)-☆←ヨッ!テキトー人間代表!
もしオタ活に結びつけて「運命」を考えるのならば、「沼落ち」は運命の一種であると考えられる気がする。これはオタク七不思議のうちのひとつであり、だれもが体験したことであろうものなのだけど、沼落ちしたあとに自分がハマる前の推しの活動を履修しているうちに
「えええええええこのビジュめちゃくちゃかっこいいのになんで私知らなかったん⁉」
「あ~なんでこの時から推してなかったんだろう…」
「昔リアタイで見てたはずなのになんで当時は興味持たなかったんだ自分のバカ~~~!!」
という考えに至ったこと、オタクなら一度とは言わず あるでしょう?私も沼落ちのたびに何度も体験して苦い思いをしてきたものです(涙)
できることなら推しが生まれたころから推したかったよ…(アンタの推し、年上かタメやん…)
でもね、大丈夫。
それが運命なんです。
そんなんね、仕方のないものなんです。
ひとつの例として、友人の中で病に倒れ寝込み暇を持て余しているときに、何の気なしにたまたま見た動画がきっかけで沼落ちをし「この時じゃなければハマっていなかっただろうな」と後々語っていたのをいくつか見聞きしたことがある。
今の例でいう「この時でなければ」、この気持ち 及び言葉は「運命」であるようにわたしは思うんですよ。多分その時を逃してしまったら沼落ちしていない(遅かれ早かれハマったとしてもその沼落ちの時期が遠のいた)だろうし、もっと言えば、この時を待っていた、満を持しての沼落ちなんじゃないか。(それは言いすぎか、いやいやそんなことは…)
これは蛇足だけど、わたし自身、沼落ちの経験者としては「いつの間にか」好きになっていたのでこれを運命論と結びつけられるかどうかは分からないのだけど、でもたしかに「この動画がきっかけ」というのはあったりする推しもいる。いや〜〜やっぱわたしと推しが出会ったのは運命なんやな〜〜〜ふふふふふ(^-^)(言いたいだけ)
しかし矢花くんはこう言いました。
「今現在の自分は全て自然の成り行きで起こって出来上がったことなんじゃないかなと。」
「『運命は信じるけど努力でどうにでもなるよね』っていう考え方です。」
「未来は無限の可能性だから運命とかないと思うけど過去の話は変えられないし結果的に運命だと思います」
いや~~~~すごい。私は矢花くんの考え方を知るまで、失敗した過去を死ぬほど悔んで、何度もドラえもんを探し出してタイムマシンに乗せてもらおうとしていたっていうのに!矢花くんマジかっけ!尊敬の念しかねぇ。これからは「こんな考え方もあるよ」と心に置いておいて、いつも嫌な過去をふりかえってはグルグル悩んでた自分とおさらばしてやりたいもんだわよ。
でもさ、ここまでくると どこまでが運命なのかの線引きがわからなくなってくる気がする。
だって、もしかしたらだよ?今現在努力でどうにかしようとしていることも、どうにかなったことも、全部「運命」で神様のお導きなのかもしれないじゃないですか!どんなに道を外れたことをしようと、その思考や行動を含めて全部が全部足元に敷かれたレールなのかもしれないじゃん!
あぁなんてこと!努力とは!
…なんて大げさに語ってしまったけど、まぁそれはそれでいいよね、なんて考えたほうが楽だしそうしてみたりしてる。
だってほら、私はテキトー人間なので。