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2030年の夢。10年前から10年後を考える。(1) 2010年代の振り返り

みなさま、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

定年よりも10年早く会社勤めをやめ、無職になったのがちょうど3年前の今日(2017年元旦)でした。おかげさまで、今年も何とか無事にお正月を迎えました。古くからお付き合いを頂いている方から新たに出会った方まで、多くの方との結びつきから、さまざまな形で支えて頂いているというリアリティを肌で感じてきた3年間でした。思えば、こうした人とのつながりをSNSが新しい形で強め始めたのが00年代の終わり。10年代は、自分はその恩恵の上で過ごしてきたと振り返って思いますし、そういう10年間でした。

変化の激しい時代でもあり、単年での見通しとか目標、夢といったものが立てにくくなっていると感じているので、2020年代の初日に、10年後の2030年にどうなっているか・どうなっていたいかを、これまでの10年の社会の動きと自分の出来事とを取り混ぜて振り返りつつ、考えてみます。

特に振り返りの部分は長いので、端折って読んで頂ければと思います。この先10年の展望についてはこちらに書いていますので、そちらだけ読んでいただくことも歓迎です。

2010年代を振り返る

1)SNS(Twitter、Facebook)の普及とそこで得た繋がり

2010年について、記録を見返さずともはっきり覚えている節目はないのですが、日本で初めてiPhoneが発売されてから2年。そのころすでにTwitterを使い始めていた人たちと今につながるつながりが生まれ、オンラインだけでなく豚組をはじめとしたリアルのハブとなる場所で顔を合わせることも多い日々だったと思います。

また、Facebookが日本のオフィスを開設したのもこの頃で、当時、広告会社で通信企業をお客様として担当していた私は、両者を取り持つことを模索していたりもしました。その後、KDDIとFacebookの提携が発表されたのが2011年。Facebookは日本にも浸透し、いまでは一定以下の年齢の人にはあまり使われなくなってきているようですが、個人的にはこのおかげでかつての友人知人と改めて連絡が取れるようになり、再び顔を合わせることが出来た人もいます。今ではGAFAの1社としてネガティブにも受け取られるFacebookであり、日本での初期の普及浸透に関わった身としては複雑な思いをするところもなくはありません。無邪気にその価値を信じて広めようとしていた当時の自分の思慮の浅さや見通し・先読みの甘さも感じていて、これは大きな学びでありました。ただ、功罪の「功」の部分として、人々のつながりを復活させた一面もあること、それによって、なにより自分がその恩恵を受けているということも感じます。

2)通信業界の変化(特にスマートフォン)

SNS普及の背景には、スマートフォンの普及があることも見逃せません。2010年当時、まだ日本は00年代に隆盛を極めた「iモード型」の携帯端末、いわゆるガラケーが主流で、2008年に鳴り物入りでiPhoneを発売したソフトバンクは、さんざんな言われ方をしていたことをよく覚えています。その後、2011年にKDDIが、2013年にドコモがiPhoneを発売し、またアンドロイドの品質や性能も上がってiPhoneに負けず劣らずとなりました。今の状況は言うまでもないのですが、この状況に至るまでがこの10年であった、ということになります。

3)転職のような出向とスタートアップとの新しい仕事

個人的には、2011年の東日本大震災のあとに、出向という形ながら仕事の場を通信企業に移し、偶然のいたずらで、それまでの広告やマーケティングとは全く異なる仕事をすることになりました。00年代から、通信機器メーカーのマーケティングにはじまり一貫して通信業界に関わってきたので、業界的にはなじみのある世界ではありました。ただ、上にも書いたようなスマートフォンの台頭と、それにともなうアプリビジネスでのスタートアップ企業の存在感の高まりに呼応して、通信企業としてスタートアップ企業への出資・協業や育成をする部署ができ、そこに配属されたのです。いまでは日本の主要企業のスタートアップへの取り組みはごく一般的なものになりましたが、この当時はまだ初期的段階でした。

この部署が出来る直前には、震災の復興支援として在籍していた通信企業とスタートアップ企業が組んで被災地でのオンライン教育を提供したり、後に出資協業に関わることになる正規タクシーの配車サービス(アプリ)についてドイツのMyTaxi(当時。現FreeNow)とコンタクトしていました。また、SNSでのつながりの中に起業家がいたりしたこともあったので、スタートアップの世界にまったく手掛かりがなかったわけではありませんでしたが、それでも新しい知識を要求される仕事でしたので、当時は知識を学んで吸収することと、それを試行錯誤しながら実務で使っていくことに明け暮れた記憶があります。

また、直接の上司を含めて、自分が部署の中で最年長でありながら新参者という状況も、そのなかで自分がどのように振舞っていくべきか、考えながら実践するよい経験になりました。

4)スタートアップのCOOとして事業立ち上げを経験

その後、2013年には、前述のMyTaxiとはライバル関係であった英Hailo社への出資を担当させてもらい、さらには日本法人のCOOとして出向(正確には契約上は業務委託)し、国内事業の立ち上げにも奔走しました。一時は数カ月にわたり毎日1-2時間程度の睡眠時間で、組織作りから現場のタクシードライバーの対応までやっていましたので、体力や精神の限界を見極める経験をしました。この時に日本のタクシー業界について詳しく知る機会を得たことは、昨今話題となっているモビリティへの理解の基礎のひとつとなっています。

5)ランニング・マラソンを始める

そして、この時に身体への負荷をかけたことが理由なのか、年齢的なことも関係しているのかもしれませんが、家系的に遺伝があると思われる血糖値上昇の問題が、食事のコントロールだけでは十分に効かなくなってきました。健康診断の結果をうけて、2014年末から、自宅近くの24時間スポーツジムに入会して身体を動かし始めたのですが、室内でのマシントレーニングやトレッドミルにはあまり馴染めず、ジムで着替えてウォーミングアップを兼ねた軽いマシントレーニングのあとに、外を走ることに。これが性に合ったようで、2015年は、毎月1回日本のどこかのマラソン大会を走ることに決め、2月の皇居10㎞を皮切りに、最初は10㎞から、3月は福岡、4月は福島という具合に各地を訪ね、10㎞に慣れてきたので秋からはハーフマラソンに距離を伸ばし、年末には初の海外遠征として台北マラソンにハーフで出場。以降、台北マラソンには2019年まで、年末の走り納めレースとして5回連続で参加しており、現在はフルマラソンでエントリー。

マラソンの記録は伸び悩んでいてお恥ずかしい限りなのですが、走り始めた2015年にランニングをテーマとしたスタートアップRuntripと出会い、以降、当時の所属会社のインキュベーションプログラムに参加してもらい、メンターを務めさせてもらうなど、お付き合いが続いています。Runtripの代表は元箱根駅伝ランナーであり、そのおかげで、自分はランナーとしては最後尾にいるようなレベルながら、ランニングの世界のトップクラスの話題に触れたり関係する人と知り合う機会を得るなど、これまで運動音痴コンプレックスもあって敬遠してきたスポーツの世界について、深く知る機会を得たことは大きな意味がありました。そして本当に端くれではありますが自分がランナーであるという自覚ないし認識を得られたこと、まがりなりにフルマラソンを走り切ることができたことの自信は、自分の姿の捉えなおしの点でも、また今後の心身の健康の維持の面でも、インパクトの大きい出来事になりました。

6)早期退職と起業

転職さながらに働いていた通信企業への出向も5年が経過し、出向期限の定めはないとはいえ、50歳を迎える日も近づき、身の振り方について考えていたところ、元の広告会社でもスタートアップへの取り組みを始めたいという話しがあり、経験者として戻る話をもらったため、出向帰任を決断、2016年の9月いっぱいで5年あまりにわたった出向から戻ることになりました。しかし、これも運命のいたずらで、会社で新しい取り組みが出来ない状況が発生してしまい、その状況が収まるには年単位の時間が必要であろうと思われたので、非常に悩みましたが、当時募集中だった早期退職に締切り間際で応募。年末には退職することになりました。

退職後も、引き続きスタートアップの成長サポートと、大企業がスタートアップとともに新たな事業を起こしていくオープンイノベーションによる新規事業創出のお手伝いをすることにし、自分の会社を設立。スタートアップ創業者であれば自力で自分の会社を立ち上げることも珍しくないわけなので、そのリアリティを得るためにも、本や友人のアドバイスなどを参考にしながら、自力で株式会社を設立。2017年3月に設立手続を完了して事業を開始しました。会社とは言っても自分ひとり、自分の知識・経験と行動力しか売り物がないので、経営は不安定なものですし、吹けば飛ぶ存在ですが、そろそろ事業開始から3年が経とうとしており、決算期の関係で4期目に入ったところです。

30代の頃から漠然と、50代に入ったら新卒からのキャリアに一区切りをつけるという目標はありましたが、実際に早期退職をして自分の会社を作り営業するのがこのタイミングというのは想定外のことでした。2018年の副業解禁の動き(厚労省のモデル就業規則が、副業を容認する内容に)や、2019年に入っての早期退職募集企業の増大をうけ、掛け声や残業削減に留まる「働き方改革」ではなく、本格的に労働環境が変わっていく、もっと言えば産業構造が変わっていくことが現実のものとして見えてきたように思います。しかし、これは就職して一定の期間が経つ人、とりわけ40代半ば以上の世代にとっては、就職時点では考えられなかったことであり、多くの人が戸惑っている様子がうかがえました。また身近なところで、自分の古くからの友人が、早期退職を事実上強制されるという状況も起こり、そのサポートもしていくことにしました。そういうなかで、Facebookに「人生後半戦の泳ぎかた」という公開グループを作って、こうした戸惑いを持つ人に有意義と思える記事をピックアップし、私が自分の経験や見解を添えてシェアする活動を2019念6月に開始。原則、毎日朝晩で計2本の記事をシェアしてきましたので、これまでに紹介した記事は300本以上。現在は130人を超える方がグループにいらっしゃいます。また、徐々にセミナー・講座も開始しようとしており、2019年には「個人名刺の作り方」講座を実施。2020年には後半戦世代のための資産運用講座も実施を計画中です。

ここまでで4500文字を超えましたので、2030年までの今後10年の展望は、後編・別エントリーとして公開します。

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