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ソングライティング・ワークブック 第180週:Leonard Cohen(1)

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It's going to be September now

「エモい」は日本語として定着したのだろうか…

「エモい」は日本語として定着したのだろうか?もともとはロックのサブジャンルを示す「Emo(イーモウ、という感じで発音する)」から来るのだろうけど、本当のところはわからない。

Emotional hardcoreが短縮されてEmocoreとなり、単にEmoとなった。2000年代、特にまだ合衆国がブッシュ政権だったときによく耳にし、目にした言葉だ。Wikipediaによると、Emotional hardcoreのそのまた先祖はHardcore punk。典型的なファッションはスキニーデニムにバンド名の入ったタイトなTシャツ、黒いアイライナー、前髪は垂らす、などなど。よく似た格好は他のサブジャンルでもあったと思うけれど、そういう微細な違いって、そこにいた人にしかわからない。

Wikiによると、典型的なEmoバンドはMy Chemical Romance(マイ・ケミカル・ロマンス)ということになるらしい。

でも、私の2000年代の記憶だと―英語圏の文化情報はBBC6やその周辺のウェブサイトで得ていた―当時でもEmoの解釈はいろいろだった。Emoとは何か?と議論しているのを読んだことがある。Radioheadみたいな90年代から活動しているイギリスのバンドもEmoの範疇に入れている人がいた。

それもそのはずで、もしEmoの定義がたんに「孤独、疎外、内省、人間嫌い、怒り、自殺などを歌う」ということであれば、そんなものは大昔から世界中にいくらでもあるだろうから、あるグループのアイデンティティの定義としては役に立たなくなる。ファッションであったり、特定の時代の特定のバンドとの結びつきであったり、流行の言い回しであったり、そういうものがあって初めて成り立つ言葉だ。そのグループの外側の人々が使い始めた時点で言葉はもとの使い方を離れる。

日本で「エモい」を使う人にもいろいろ違いがあるだろう。今ではたんに「感動的」という意味で使っている人が多いように見受けられる。「エモい」は日本語になったのだ。

カナダは悲しい国?

ずいぶん以前に見たYouTube動画で、スペイン語のいろいろなアクセントを紹介しているのがあったけれど、どこかの国のスペイン語はまるで「sad Canadian emo」のように響くというオーディエンスからのコメントがあって、プレゼンターが爆笑していた。下の動画ではないけれど、こんな感じのだった。

コロンビア人のスペイン語はいろいろなアクセントがあるが、その主なものは、たとえロテリーで当たってもショーン・コネリーがスペイン語を喋っているように悲しく響くと説明している。

レッテル張りというのはいろいろな国に対してされているけれど、カナダに対するレッテル張りは「sad」だ。合衆国と対比されやすいからそうなったのだろうか?

それを逆手に取った(?)作品を創ったカナダの映画監督がいる。Guy Maddinという人で、ブラック&ホワイトのちょっと怖い映像を得意としている―『Eraserhead』のDavid Lynchにちょっと近い。その名もずばり『The Saddest Music in the World』(2003年)で、舞台は大恐慌のさなかの1933年、カナダのウィニペグのビールメーカーの女主人が「世界一悲しい音楽コンテスト」を開き、各国を代表する音楽家が集まるという話だ。原案はカズオ・イシグロ。

2000年代、Hallelujahをカバーすることが流行った

2000年代、それもYouTubeが現れる前、SoundCloudやBandCampよりも前、自分で音楽を作ってシェアするプラットホームとしてはMySpaceMusicがあった。私は先に述べたBBC6周辺やこのMySpaceで新しい情報を得ていた。MySpaceはインターネットに本当には興味がない新聞グルの大富豪(Rupert Murdoch―ルパート・マードックという、日本で言えばナベツネみたいな人)が買収してからおかしくなったけど―歴史は繰り返す。

そのなかで、若いシンガーソングライター、特に女性はよくLeonard Cohen(レナード・コーエン)の『Hallelujah』をカバーしてシェアしていた。それこそBBC6で、なぜこんなにこの歌が流行るのか、いろいろな人にインタビューしていた番組があったのを記憶している。

この歌を流行らせたのはJeff Buckleyだ。彼が90年代に歌ったのを10代の多感なころに聴いて育った人たちがカバーしていたと言っていい。彼は早世したので、その感傷もあっただろう。

こういうのも、今の一般的な用法で「エモい」、と呼ぶのだろう。

歳を取ると、2000年代はつい最近のような気がするけれど

『Hellelujah』はCohen自身も気に入っていたらしい。NPRのインタビューで言っている。Cohenの歌には喪失を歌ったものが多い。2000年代にEmoについて書かれた記事で、Emoの歌詞はしばしばCohenみたいに憂鬱だと引き合いに出されていたことがあった。もうひとつ、Cohenの歌は過去を振り返るものが多いのも特徴だ。また、ソーシャル・コメンタリーを含むものも多い。これは最近誰かがSNSでシェアしていて回ってきたのだけれど、2001年9.11からもう8年たったけれど、また9月が来たね、という詩だ。The New Yorkerという雑誌のために2009年に書かれた。

I used to be your favorite drunk
Good for one more laugh
Then we both ran out of luck
And luck was all we had

You put on a uniform
To fight the Civil War
I tried to join but no one liked
The side I’m fighting for

So let’s drink to when it’s over
And let’s drink to when we meet
I’ll be standing on this corner
Where there used to be a street

You left me with the dishes
And a baby in the bath
And you’re tight with the militias
You wear their camouflage

I guess that makes us equal
But I want to march with you
An extra in the sequel
To the old red-white-and-blue

So let’s drink to when it’s over
And let’s drink to when we meet
I’ll be standing on this corner
Where there used to be a street

I cried for you this morning
And I’ll cry for you again
But I’m not in charge of sorrow
So please don’t ask me when

I know the burden’s heavy
As you bear it through the night
Some people say it’s empty
But that doesn’t mean it’s light

So let’s drink to when it’s over
And let’s drink to when we meet
I’ll be standing on this corner
Where there used to be a street

It’s going to be September now
For many years to come
Every heart adjusting
To that strict September drum

I see the Ghost of Culture
With numbers on his wrist
Salute some new conclusion
Which all of us have missed

So let’s drink to when it’s over
And let’s drink to when we meet
I’ll be standing on this corner
Where there used to be a street

Leonard Cohen, "A Street," The New Yorker, 2009

後で音楽が付けられた。


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