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ソングライティング・ワークブック 第136週:コーラスを繰り返すときにもう一段盛り上げる

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ありゃ、またやっちゃった。人の心を弄んでしまった。

Oh, baby, baby,
Oops! I did it again
I played with your heart,
Got lost in the game
Oh, baby, baby,
Oops! You think I'm in love,
That I'm sent from above
I'm not that innocent

Max Martin, Rami Yacoub, "Oops!…I Did It Again"

最近回想記を出版して話題になっているBritny Spearsについて、ここのところ私が引き合いに出している『Switched on Pop』も触れている。本来はいろいろなポップソングの「楽曲分析」を試みている本で、個々のアーティストの「音楽の外」についてはあまり触れていないのだけれど、彼女が歌った『Oops!…I Did It Again』についての章では、冒頭で彼女のアーティストとしての在り方について少し書いている。正確には彼女の在り方が当時(この歌が出たのが2000年)どう論評されたのかということについて論じている。

たとえば、この歌を魂のない人工的で安直なもの、歌手を着せ替え人形と評したものがあって、『Switched on Pop』はそれをSpearsに対する当時の評価の典型として引用している。そして、人工的で本当の姿が何なのかわからないような、人々が好き勝手にSpears像を投影できるような、そのようなアーティストの在り方というのは、現代的なことなのだと結論している。このあたりからアメリカ文化の嗜好(志向)が変わってきたという。真正さからフェイク(と言って語弊があれば「可塑的なアイデンティティ」)へ、ということか。日本や韓国のポップスが受け入れられる素地がこのあたりから創られつつあったということか。

なんで日本や韓国と言うかといえば、日本に生まれ育った男性としては、Spearsって日本のアイドルのようなところがあったのかな、と思うからだ。ただし私は別に日本人男性を代表しているわけではないので、あくまで主観である。それにアイドルに関心がない十代を過ごしている。他に好きなものがあったので。

『Switched on Pop』では「Oops!…I did it again」という子供っぽい言い回しと「I'm not that innocent」と突っぱねるアンビバレントさについて触れている。こういうのは日本の、それこそ昭和のアイドルにもあったと思う。中学生に「女の子の一番大事なものをあげるわ」とかなんとか、思わせぶりなことを歌わせて男たちは喜んできたのだから。

『Oops!』の歌詞は曖昧さがあって、「勘違いさせたかな」と言いつつ、主人公自身もそのゲームの中で自分を見失う言っている。「なんだ、それって結局惚れてるんじゃないか、いや、それともそれも勘違いなのかな?」と、相手も戸惑うだろう。本当に興味がなければそもそもそんなこと言わなければいいのだから。戸惑わせることでゲームに招待しているとも言える。

カウンターポイント?

『Oops!』のコーラスは以下のようになっている;

YouTube動画の3分8秒すぎたところから、コーラスが繰り返されるときはこうなる;

声のパートはハモりを加え分厚くなっている。リズムが変化して歌詞が短縮されるけれど、これはここにヴォーカルソロパートが入る隙間を作るためだ。ソロパートはちょっとしたカウンターパート(対位法)になっていると言えなくもない(『Switched on Pop』はそう言っている)。

次回はこれを真似てコーラスをもう一段盛り上げるやり方をスケッチしてみる。

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