ソングライティング・ワークブック 第187週:Leonard Cohen (8)
余談。
ユダヤ人をどこかヨーロッパ外に集めて国みたいなものを創らせて、という考えは、ホロコーストに転じる前のナチスも持っていた。今でも、もともとはユダヤ人嫌いのアメリカやヨーロッパの右翼が現在のイスラエルを支持するのは、ある意味自然なことだと言える。
アブラハム系の3つの宗教(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教)の聖地がエルサレムにあるということは、もともとこの都市が宗教的に寛容だったからだと思う。時代は遡ってローマがやった十字軍というのは、エルサレムに当時住んでいたキリスト教徒にとっては迷惑以外の何物でもなかった。
もともと宗教的に寛容な都市だったのに、時の権力のせいで互いに殺し合うことになってしまった例として、ある年齢以上の人々はサラエボとボスニア・ヘルツェゴヴィナで起こったエスニック・クレンジングを思い浮かべるだろう(1992-95、旧ユーゴスラビアで1991年から2001年までに起こったいくつかの紛争、戦争のひとつ)。
あのときはNATOが介入して、ボスニアのセルビア人勢力を攻撃、後のコソボ紛争ではセルビア(ノヴィサドなどのユーゴスラビア軍施設)を爆撃。虐殺のリーダー格の人たちはハーグで裁かれている。
なぜネタニヤフは裁かれない?支援する西側の国々、とくに合衆国はなぜ裁かれない?
デモクラシーが合衆国にやって来る
ベルリンの壁って知ってる?
「それは壁のひび割れから始まった」ベルリンを東西に隔てる通称「ベルリンの壁」は1961年から1989年まで存在し、東西冷戦の象徴だった。ざっと28年間あったことになるが、それが壊されてからすでに34年経っている。つまり壁があった時間より、壁の「不在」の時間のほうがずっと長いのだ。
Cohenは『Democracy』という歌を、このベルリンの壁が壊され、人々が歓喜するニュースを受けて発想した。実際に発表されたのはその3年後になる。映像は1993年にBBCが収録、放送したもの。
あの頃のまあ楽観的(世界はこれからより民主的になって人々は自由になってより平和になるという期待が、一応はあった)な雰囲気の影響を受けて、曲は基本的に明るい。「visionary flood of alcohol」は面白い表現(酒の予見的洪水)だけど、そのように、皆一応は乾杯し、ベルリンではBeethovenが歌われ、てんやわんやの大騒ぎではあったのだ。「the sermon of the Mount」は大文字で書かれているから、聖書のマタイ書にあるキリストによる説法のこと。多くの人々がこれからあるべき世界について高らかに語り出した、というようなことか。Which I don't pretend to understand at all.―別にすっかり理解したなんて言うつもりはないが。
ただし、ここでCohenが言いたいのは、「合衆国が民主主義を広める」のではない、と言うことだ。そこはG. W. Bushなんかとは違う。自由主義国側が勝った、合衆国が世界に民主主義と自由を広める」という考えには与しない。
逆に、世界中で民主主義を求める戦いがあって、やがてそれが合衆国にやって来る、そうCohenは言っている。冒頭を読んでみよう;
「それは空中に穿たれたひとつの穴を通してやって来る。天安門広場の夜から、実在しない感覚から、あるいは実在するけどそこにない何かから、混乱に対する戦争から、夜にも昼にも鳴り渡るサイレンから、家を持たない者の火から、灰となってしまった楽しさから、デモクラシーがUSAにやって来る」―まだ合衆国は民主主義を実現していない、と言っているのだ。そしてそれを実現させるのは、世界のどこかでの日常的な戦いや犠牲だと言っている。
ストリートの悲しみから、いろいろな人種が出会う聖なる場所から、誰が提供し誰が食べるかを決めるキッチンで聞こえる殺人的な悪態から、こちらやあちらの砂漠で跪き神に祈る女がいる場所の失望の井戸から...
また、この歌は合衆国についての歌だと言える。それに対する複雑な気持ちを表している;
合衆国よ、偉大な船よ、行け、必要の海岸まで。強欲の岩礁を越えて。渦巻く憎悪を抜けて [中略] この国を愛しているけれど、その眺めには耐えられない。私は左でも右でもない。ただ家にいるだけだ…