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ソングライティング・ワークブック 第191週:Juan Formell y Los Van Van (2)
1969年のLos Van Van
北米の影響
Los Van Vanとしての活動が始まった当時の様子は『Coleccion: Juan Formell y Los Van Van』というアルバムに収められている。デジタルマスタリングもされていないようで音質はよくないけれど、様子を知ることができる。
ざっと聴いてみると、特にコード進行が、60年代に流行ったポップスやロックにちょっと捻りを加えた感じであることがわかる。1曲目の『El Penoso』のイントロなんか、『サザエさん』のテーマソングにも通じるような感じでもある。ハープシコードのアルペジオなんかも、シンセサイザーの使用がポップスで一般化するようになる前には英米のポップスやロックでよく使われていた。ただ、このアルペジオ、3連が入ったりして、そこはキューバのリズムだ。
なんならロックで流行っていたペンタトニックを多用したエレキギターのソロなんかも入ったりしている。6曲目の『La Lucha』がそうだ。
以下、当時の北米のラテンミュージックとちょっと比べてみるけれど、それぞれ相手にしていたマーケットが全然違うことに注意したい。Los Van Vanが相手にしていたのはキューバの若い人たちだ。政治的には北米から隔絶していたけれど、電波は入ってくる。
もうひとつ、キューバでは音楽教育も北米とは違う。才能ある人には早くから国が英才教育を施す。かつてIRAKEREという、クラシックもダンスミュージックもジャズも現代音楽もなんでもござれのスーパーグループがあったけれど、キューバのミュージシャンは基本的にめちゃくちゃうまい。
そのころ北米では
Los Van Vanはある意味、実際に北米で始まっていたサルサやその少し前のブーガルーなどのラテンミュージックと比べても、ポップスの影響が強いとも言える。それはとくにコード進行に現れている。北米のラテンミュージックの影響でできた音楽、たとえば「キューバのサルサ」みたいな形容は当てはまらない。
一応比較のため60年代の北米のラテンミュージックについて、簡単に触れておくと、たとえばブーガルーはロックンロールやリズム&ブルースが大流行したこと(そしてそれまでダンス音楽として流行っていたマンボなどがだんだん廃れてきたこと)に対するラテンミュージシャン側の返答と言える。ロックンロールのように、1コード、2コード、3コードといった簡単な進行で、単純な繰り返しが多い。マンボのようなオーケストラでなく、少人数のコンボで演奏される。また、ラテンパーカッションが入るけれど、8ビートのように2拍目と4拍目にスネアドラム(バックビート)と同様のアクセントが入ることも多い。Joe Cubaの『Bang Bang』(1966)などがそうだ。
Pete Rodriguesの『I Like It That』(1967)も、ラテンらしいピアノのモントゥーノが入るけれど、手拍子のバックビートも加わる。クラーベ命のラテンリズム純粋派(そんな人がいれば、だが)が怒りそうである。
それ以前には、ジャズに詳しい人にはおなじみのMongo Santamariaの『Watermelon Man』(1963)がある。ジャズピアニストのHarbie Hancockが書いたけれど、よくブーガルーの例として挙げられる。
いずれもパーティーミュージックだ。リズム&ブルースのSmokey Robinson & the Miraclesによる『Going to a Go-Go』(1965、のちにRolling Stonesもカバーしている)なんかと比べてみると面白い。
Los Van Vanのアルバムの2曲目『Yuya Martinez』のリズムはブーガルーにも通じるけれど、それ以外は全然違う。
けれど、1965年以降というのは、ポップスもロックもリズム&ブルースももっと多様化した時代であって、複雑なものも増えてくる。まら、アフリカ系でもラテン系でもそれぞれのルーツやアイデンティティをもっと強調したものがメインストリームでも受け入れられるようになる。またソングライターやシンガー(多くはシンガーソングライターという形で)の個性がより重要視されるようになってくる。前述したレコードをプロデュースしてきたFania やMotownといったレーベルの音楽も同様だ。
Willie Colon(トロンボーン奏者)とHector Lavoe(ヴォーカリスト)による『El Malo』(1967)はそういう音楽で、サルサ好きにとっては本当のFaniaはこの辺から始まる。詳しくない日本人にはどこが1拍目かわからないような音楽。日本にはFania All Starsをもじったバンド(仙波清彦とはにわオールスターズ)があるけれど、日本のミュージシャンにとっても影響は大きかったと言える。
私はラテンミュージックの専門家ではないのだけれど、キューバの音楽のリズムについて、来週は少し私なりに理解できたことについて書きたい。