見出し画像

ソングライティング・ワークブック 第169週:Jacques Brel(2)

ソングライティング・ワークブック目次へ

『アムステルダム』はもともと『アントワープ』だったらしい

フレンチフライ(フライドポテト)の本場はベルギー

『Ne me quitte pas』と並んで人気のある『Amsterdam』は、港町で飲んで騒ぎ、アコーディオンの音楽で踊り、女を求める水夫たちの様子を描いた歌だ。歌詞の中に「Jusque dans le cœur des frites(直訳すると「フライドポテトのハートまで」、実際のところ文脈に沿った訳は難しい)」というフレーズがある。

フライドポテトは英語だとfrench fries(フレンチフライ)という言うのが一般的だ(2003年に合衆国がイラクに侵攻したとき、フランス政府はそれに反対していて、合衆国の保守派の誰かがフランスはけしからんということで、french friesをfreedom friesに呼び変えよう、と提唱していたことがあった)。フライドポテトは世界中どこでも食べられているけれど、本当はフランスのではなく、むしろベルギーのソウルフードだ。ベルギーでは、あちこちにフライドポテトのスタンドがあるだけでなく、三ツ星レストランでもパンと同じようにフライドポテトが出されたりする。中東からの移民の店のロールケバブにもフライドポテトが巻かれている。

オランダでもフライドポテトは食べられているけれど、スタンドのスナックといえば、他の揚げ物(コロッケの類やソーセージの類)やニシンの酢漬けみたいなもののほうがよりオランダという感じがする。歌詞の中には魚(morue、タラ)も出てくるけれど。

実は『アムステルダム』、もともとは『アントワープ(英語でAntwerp。フラマン語でAntwerpen、フランス語でAnvers)』だったらしい。フランダース随一の港湾都市で工業都市でもある。ファッションに詳しい人はアントワープ6という呼び名を覚えているかもしれない(ドリス・ファン・ノッテン、Dries Van Notenとか)。文化的にも栄えている。

Brelはフラマンなので、当然アントワープのほうが身近だったはずだ。それがどうして『アムステルダム』に変更されたかは知らない。ただ、Brelの主なオーディエンスであるパリの人々は、ベルギーをちょっと田舎者扱いして馬鹿にしているようなところがあって、アムステルダムのほうがエキゾティックで受けが良かったのかもしれない―あくまで憶測だが。

ベルギー田舎説について私が見聞きしたことを2つ挙げる。2003年ごろ、ブリュッセルの街角のあちこちにプラスティックの牛が置かれていたことがあって、そこで知り合った人に「なんで牛を置いてるの?」と訊いたところ、「パリの人たちがブリュッセルには牛がいると言って馬鹿にするから」それに対する返し技として置いたらしい。もうひとつは、クロアチア人で最初ベルギーで学び、それからオランダの学校に通った人がいて、オランダのクラスで喋ったら、クラスメイトたちが笑ったそうだ。ダッチ話者にとって、フラマンは田舎者の方言だ(私には区別がつかないが)。日本人が東北弁を話す白人を見て笑うのと同じ感じだろう。

余談が過ぎたようだが、Brelの歌の背景にはそのようなことも関係してくる―ベルギーの中産階級をからかうようなものがある。パリのオーディエンスの前で自由で情熱的なシャンソン歌手として現れ、家族が待つベルギーに戻れば中産階級の父親としてふるまう、ちょっとした二重生活をしていた。

かつて港町は汚く危険だっただろう

『アムステルダム』で描かれる荒くれ男たちの様子は、アントワープに限らず、大きな港町ならどこでも見られた情景なのかもしれない。コンテナ化以前の港を想像すればいいのかもしれない。あるいはみなとみらいができる以前の横浜―私は知らないけれど。でも、横浜をあちこち歩けば、かつては汚かっただろうな、という面影を観ることができる。黒澤明の『天国と地獄』に描かれているような。

アムステルダムの中心にほど近いところには、いわゆる飾り窓地域がある。昔から有名で、リンクにもあるように、観光名所になっている(再開発もされかけているようだが)。本来は面白半分に行く場所ではないだろう(飛田新地や吉原を観光するか?)。

寛容の都市、アムステルダム。セックスとマリファナとパーティーを求めて観光客が集まる所―昔からそういう評判だけど、そういう印象を持つのは、べつに遠い所に住む日本人だけではない。イギリス人の知り合いは、「皆アムステルダムにロマンティックな印象を持っていて(They romanticized Amsterdam.)、週末になると訪れて、白い顔してこっちに戻ってきた」と言っていた。羽目を外すのは住人でなく、観光客の方だろう。

Brelの『アムステルダム』は、そんなこの都市の評判を広めるのに一役買ったと言えるだろう。

『Greensleeves(グリーンスリーブス)』に似た曲調のせいもあるのか(あるいはベースにしているのか)、英語圏でも人気がある。David Bowie(デビッド・ボウイ)が若い時(1970年代初め頃。発売は1973年)に英語でカバーしている。英語の歌詞はBrelの友人でシンガーソングライター/ピアニストだったアメリカ人Mort Schuman(モート・シューマン)によるもの。

歌い方にBrelの影響があるのは明らかだが、これはMort Schuman経由の影響でもある。1968年ニューヨークのオフ・ブロードウェイで上演された『Jacques Brel Is Alive and Well and Living in Paris』というBrelにトリビュートしたミュージカルがある。後に1975年にLPレコードとして発売されている。このアルバムはBowieの好きなアルバムの一つだったそうだ。

アルバム発売と同時に映画化もされていて、その一部がYouTubeに上がっていた。Schumanが歌っている。

次回、歌詞を詳しく読む。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?