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「こんな音にしたい」という意志をどうやって持つか?(4)

前回の投稿で触れたAIによる作曲、特にデヴィッド・コープのアルゴリズムによるバッハのイミテーションについて。チェスエンジンについても少し。

Beautiful! でもAlphaZeroは自分でそれが美しいと知っているだろうか?

全く弱いのだけど、ときどきオンラインチェスを楽しんでいる。対戦相手とチャットできる機能がついているので、ごくたまに短い会話をすることがある。"Hello"-"Hi"-"Where are you from?"-"Tokyo, and you?"-"Syria."-"Are you safe?"-"Yes, since I'm in Turkey now."―という会話をしたこともあった。まともに受け答えしていると、ブリッツと呼ばれる持ち時間3分とか5分のゲームだと、のろまな私は負けてしまうのだけれど。

必ずチャットをする人たちがいる。相手がロボットでないことを確かめるためということもあるようだ。けれど、ロボットを使う人もチャットをすることがある。"I am a girl from Egypt"とか言って。賞金が出るわけでもないただのオンラインゲームで、なんでロボットなど使うのだろうという気がするけれど、たまにそういう人たちがいる。

オンラインチェスサイトでは(私はLichessを使う)、サイトのロボット(チェスエンジン)と対戦できるモードもあって、ロボットの強さを設定できる。弱く設定すると、人間業でない悪手を指す。ここがロボットを相手にしても楽しくないところだ。自分が仕掛けたトラップに相手が引っかかれば楽しい。チェスは一手一手がパズルみたいなものなので、こちらが正しく解いたから勝てたというなら楽しい。ところが弱く設定されたロボットはこちらの手にお構いなくランダムに間違える。それではコミュニケーションが成立しない。

サイトのロボット(Stockfish8というプログラム)はむしろ、普通に誰かと対戦したあと、ゲームを検証して勉強するのに役立つ。今のチェスの世界選手権など、プロとしてチェスをやる人たちはハイスペックなコンピュータと対戦相手を研究するチームを雇ってゲームの準備をする。チェスは将棋と違って引き分けが多い。両者が最良の手を指し続けた場合は引き分けになると一般に言われている。コンピュータの時代になって、チェスはつまらなくなった、と不満を言う人は多い。一昨年の世界選手権ではチャンピオンのマグヌス・カールセンにファビアノ・カルアナが挑んだけれど、全試合引き分けで、結局早指しの得意なカールセンが決定戦で勝った。このレベルでお互いのことをよく研究していると、早指しでないとミスがない。

チェスでは一般的に先手(白)が有利と言われてきたし、コンピュータの判定でもそうでるけれど、言われてきたほど白が強くないことも知られてきた。かつては持ちこたえられないと考えられてきたポジションで後手(黒)が実は持ちこたえられることがわかってきた。ある大会の中継でコメンテーターが冗談交じりに流行りの言い回しをもじって、"Black is the new white."と言っていた(『Orange Is the New Black』というドラマがあるけれど、これは「今はオレンジがクール」みたいな意味)。「チェスがつまらなくなった」という人の不満は「このごろは皆手堅くなってバーンと捨て駒やって胸のすくようなカッコいい勝ち方を見ることが少なくなった」ということでもある。

でも、コンピュータを使うから手堅くなる、という状況にも変化が起こるかもしれない。2017年囲碁チャンピオンを破って有名になった、DeepMindが開発したラーニングマシンのAlphaGo、その汎ゲーム機のAlphaZeroがStockfish8と対戦してチェスでも強さを見せつけたのだけれど(引き分けもあったが)、チェスのエキスパートたちの目を引いたのが、その勝ちっぷりである。えっ、というような捨て駒をやって見る人にはカッコよく映る勝ち方をした。

Beautiful!という誉め言葉はチェスをやる人たちもよく使う。逆に何だか苦し紛れに差したのが見え見えの手をuglyと呼ぶことも多い。AlphaZeroは美醜の判断はしない。一番相手をチェックメイトできる確率の高い手を探して優先順位を決めるという作業を繰り返しただけだ。優先順位を決める、分類する、繋がりを見つける、重要な情報を分ける―アルゴリズムのする4つの仕事のうちのひとつだ。

1997年、音楽でもチェスでもコンピュータによる事件が起こった

1997年、IBMが開発したDeep Blueが当時のチャンピオンだったガルリ・カスパロフに2勝3分1敗と勝ち越した。前年にはカスパロフが3勝2分1敗と勝ち越していた。今日から見ると、最強の人間と一大先端企業が開発したプログラムとの力が拮抗していたということに、むしろ驚かされる。この1997年の対戦はマシンそれ自体の力という以上に、IBMチームの作戦勝ちという面があった。エリートプレーヤーはいつも特定の対戦相手に対して準備をする。アップデートされたDeep Blueには戦歴がなかったから、カスパロフの準備のはそれまでのマシンとの対戦経験に依るしかなかった。また、時間の使い方でも、IBMチームは簡単な手でもわざと長く時間を使うという心理戦に出た。カスパロフも心理戦を得意としたけれど、機械相手にそれは効かない。初戦はカスパロフが勝ったが、2戦目は引き分けできるポジションだったのに勝てないことに、失望したカスパロフが投了した。3,4,5戦は引き分け。6戦目にはカスパロフの心は折れていた。心が折れるということはそれぐらい勝つ気満々だったということだ。それまで彼はマシン相手に勝っていたのだから。

ハナ・フライ(Hannah Fry)の『Hello World-Being Human in the Age of Algorithms』は、私たちが普段知らずに使っていたり、私たちに対して使われているいろいろなアルゴリズムについて説明している。『Power』と題された第一章はこのカスパロフの話で始まる。そこには、人々がアルゴリズムの「計算」を盲目的に信じてしまうことの例が挙げられている。

彼女は『Art』と題された章でもうひとつ、1997年に起こった例を挙げる。オレゴン大学のコンサートで、J. S. バッハのそれほど有名でないキーボード曲、大学の音楽教授 スティーヴ・ラーソン(Steve Larson)によってバッハのスタイルを模して書かれた曲、そしてデヴィッド・コープ(David Cope、この人もれっきとした作曲家)のバッハのスタイルを真似て作曲するアルゴリズムによって書かれた曲、以上3曲が並べて演奏された。そのあと、聴衆はどの曲が誰(どれ)によって書かれたか当ててみるように促された。ラーソン教授を失望させたのは、聴衆の多くがラーソンによって書かれた曲をコンピュータによって書かれたと考え、コンピュータによって書かれた曲をバッハによって書かれたと考えたことだった。正解を知った聴衆の中にはコープに対して怒りを向ける人もあったようだ。

こういうことが起こると人々は慌てて「コンピュータが人類を超えた」とか、センセーショナルに騒ぎすぎる。カスパロフのときと同じだ。計算の得意なコンピュータがカスパロフに勝つのは時間の問題で、これで機械が人間を支配するとかディストピアSFみたいなことにはならない。オレゴン大学のコンサートだって、どちらかと言えば、人の耳なんてそんなもの、ということを示したということだと思う。

Emmyというアルゴリズムが書いたバッハ風インヴェンション

そのコンサートでコープのアルゴリズムによって書かれたバッハスタイルのどの曲が演奏されたのかは知らない。彼のYouTubeチャンネルにたくさん上がっているもののひとつを聴いてみよう。

だいたいのトランスクリプションは以下の通り。

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この曲が良いかどうかは置いておいて、バッハの時代の音楽としては少しおかしいことがわかる。11小節目から12小節目にかけて終止形があるので、ここで提示部が終わるということになる。このスタイルを知っている人は、ここで下属調(Eマイナー)で終わるのはおかしいと思う。短調の曲なら初めは属調(Fシャープマイナー)か平行調(Dメジャー)に行く。下属調を辿るのは曲の終わりに近いところでやるのが普通だ。しかも、Eマイナーの前にEメジャーを通る。わざわざFシャープマイナーのドミナント(Cシャープ7)からFシャープマイナーのコードに行ってるのにそれをEメジャーのIIの和音としてEメジャーに転調してからEマイナーに到達するなど、あまり合理的でない。これはあまり音楽を変えないでFシャープマイナーに行くように改変できる。10小節目からこのように…

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また、8小節目の後半に出てくるモチーフを使って転調することも可能だ。Fシャープマイナーへ…

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Dメジャーへ…

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また、冒頭の和声的リズムを見ると、1-2小節目はIとV7が2拍毎に入れ替わり、3-4小節目では1拍毎、5-6小節目では1小節毎となっている5-6小節目は音階的な動きが入っていてその変化は良いのだけど、この和声的リズムだと、せっかく3-4小節目でやや切迫する感じになったのが間延びする印象がある。5-6小節目は別の所で経過的に使ったほうが良いかもしれない。こんな風に改変することも可能だろう。

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終わりの方は少し遊んでいるが、全体をこう改変することもできるだろう。

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アルゴリズムには辞書と「オープニングブック」が必要だった

AlphaZero以前のチェスエンジンはどれも無数の古今東西のゲームを辞書として使う。また出だしの10手(チェスでは両者が指して1手として数える。将棋で言う20手)ぐらいは、天文学的な数の選択肢があって計算が大変なので、オープニングブックという定跡を使う。90年代までの人対マシンの対戦では、人の方が定跡にない始め方をしてマシンに計算時間を浪費させるという作戦があった。

コープのアルゴリズムもよく似た作られ方をしているようだ。1音につき5つのパラメータがあり(タイミング、持続の長さ、音高、音量、楽器)、それをひたすら手でタイプしていくというもの。(今ならマシンが楽譜をスキャンして読み取ってくれそうだ)それからそれらの音の次の音が何かというこれまた大量のデータ(ググるときに、またスマートフォンにタイプするときに出てくるオートフィル、または次の言葉を予測して準備する機能、あれを作るというわけだ)。最後に最初のコードとアルゴリズムに辞書を読むようにするインストラクションを与える(チェスエンジンのオープニングブックに近い)。あとはアルゴリズムが作曲をする。

そうして出来上がったものについて、コープはこれは結局バッハの音楽なのだと言う―「パルメザンチーズをおろしてもう一度固めてもパルメザンチーズであることには変わりはないようにね」。ときどきバッハの知っているフレーズがそのまま出てきてしまうのも理解できる。

コープはバッハのほかにも、モーツァルト、ショパン、などなどいろいろな作曲家のスタイルをアルゴリズムに教えて試しているけれど、転調と形式についてはどれも弱い。どうしてもそれらしいフレーズを寄せ集めた感じのものが多くなる。バッハはその中では比較的成功しているように、私は思う。

There is no such a thing as a new idea-Mark Twain

コープのアルゴリズム以降、作曲アルゴリズムは進化している。大きく分けて2種類のアルゴリズムがある。ひとつはDNAのようにもともとの曲を何世代にも変化させて作曲するgeneticというもの。もうひとつはAlphaZeroのようなラーニング機。コープのものも含めて、新しいものについても、フライの判断によると、全て過去の作品を基にしていて新しいものを作るものではない―The algorithms are undoubtedly great imitators, just not very good innovators.

でも、人の創作というものが、まったく新しい発明によってできているわけではないことについても、フライは言及している。マーク・トウェインの言葉を引きながら、創作とはすでにあるものの新しい組み合わせを見つけることであることを説明する。コープも創造とは関係なさそうに見える二つのことの間に関係を見つけることだと言っている。

クラフトかコミュニケーションか?

たぶん、とフライはコメントする。アルゴリズムには創造性を持っていると言えるけれど、まだ弱い、と。アルゴリズムが創る作品は美しいこともあるが、深いものではない、という。 前回の投稿で商用のAI作曲サイトに触れて、低予算のドキュメンタリーフィルムのBGMとしてなら使えそうと言ったけれど、フライの評価も同じようだ。アルゴリズムはクリエイティヴになり得るか?(They can)というのはそれほど大きな問題ではない。アルゴリズムが突きつける問題とは、そもそもアートって何だろう?ということだとフライは言う。アーティストが経験したある感じを受け手に移すことがアートであるならば、今のところアルゴリズムはそもそも主観を持っていないのでアーティストになれないということになる。逆に言えばクラフトならやれるということだ。先に指摘したバッハの模倣についてのクラフトとしての問題点など、じきにアルゴリズムは解決するだろうと思う。




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