マロン内藤のルーザー伝説(その5ター坊の生い立ち)
ポルシェ930ターボ、通称ター坊との新婚生活を無事スタートさせた私であったが、ここで改めてター坊の生い立ちを整理したい。ちなみに930というのはそれまで生産されていたナローボディータイプのポルシェが、北米の規制に対応すべく5マイルバンパーのついた幅広い車体にモデルチェンジした際に新発売されたターボモデルに与えられた型式であり、その後ほどなくして911ターボとして販売が継続されたのであるが、サーキットの狼で930ターボとして登場したので、私にとっては930ターボが一番しっくりくる。
私のター坊は、シャーシナンバーおよびエンジンナンバーから1976年に製造された最初期のヨーロッパ市場向け個体であることが判明した。後にインタークーラーが追加され、排気量がアップされる前の元祖モデルである。ター坊との新婚生活をスタートするにあたり、洋書も含めた専門書を買いあさり、似非ポルシェマニアよろしく座学による薄っぺらい知識だけは一通り身に着けていたのである。
私自身、子供のころから本当のマニア、オタク、プロ、といった方々に遥かに及ばない薄っぺらな知識を身に着けては、自分もマニアであるといった風を吹かせる習性があり、還暦を迎えた現在も「子供のころとあまり変わらないなあ」というのが偽らざる心境である。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので人間の個性って変わらないですね。
さて、1976年製造のヨーロッパ市場向け930ターボなのであるが、なんというかネットで集めた初期量産型ターボの写真と比べると異なる部分が散見されるのである。具体的には、リアバンパーについている衝撃吸収用のゴム形状とか、サイドパネルのウィンカー、リアウィングのラバー形状等々。とっても気になってしょうがないのであるが、30年という長い年月の間に何らかの理由から部品交換が行われたとしても不思議ではなく、それ以上深追いすることは自分のためにならない、と自らに言い聞かせて気が付かなかったことにした。
さて、その後も発生し続けるマイナートラブルと付き合いながらも、ちまちまと町中を低速運転する暮らしにも少々飽きてきた私は、一念発起し、生まれ故郷の名古屋までター坊との初の泊りがけロングドライブに出たのである。前夜のドキドキは今でも忘れられない・・この名古屋旅がター坊との最初で最後のお泊り旅行になるとも知らずに・・・
高速でのター坊は、水を得た魚のように実に本領を発揮した。高速走行での路面に吸い付くような車体、何時間走っても全く疲れないレカロシート、とにかく車体がピシッとして安定しているのである。それまで国産車しか運転したことのなかった私が初めて触れた、アウトバーンで鍛えられたドイツ車の素晴らしさであった。またまたジャーマンクラフツマンシップにうっとり。初めて本当のター坊を知ったような喜びに包まれて我が生まれ故郷に凱旋を果たしたのである。
しかし、喜ぶのも束の間、全く想定外のトラブルが私を襲った。なんと路線バスシフトレバーが、バックギアに入らなくなってしまったのである。RCサクセションの名曲、雨あがりの夜空の「どうしたんだ、ヘヘイベイビー、機嫌直してくれよ~」である。定番名古屋飯である味噌煮込みうどんを食するために立ち寄った山本屋本店の駐車場で、とにかくバックしなくても店から外に脱出できそうなスポットを必死で探して駐車する羽目になった。普段の超安全運転に加えて、ひとつまた頭の体操を要求されることになったのである。
このアクシデントが切っ掛けとなり、ター坊のメンテナンスはおじさんの店ではなく、ポルシェの専門家がいる別の店を選んだほうが良いのではないか、という発想が(漸く)生まれたのであった。
続く・・・