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意味はあり、意味はない 蛍火艶夜(下)

どう解釈すべきなのか、非常に悩ましい作品である。ちょっと考えがまとまってきたので、メモ。

坂ノ上編
伴は元々、自分が選ばれたことを知っていた可能性のある描写がある。
なら、彼は坂ノ上少佐とは関係なく、自分が奪われたものを取り返しただけではないか。
最後に飛び立つ前、伴の中に坂ノ上という他者が存在する余地が生まれた。
ただ、もう永遠に始まらない。

鳴子部隊編
蛍火艶夜はクレの「この世に意味のある生も死も、意味のない生も死もない」という言葉に立ち返ってくるのではないか。

後日談で鳴子が前田の実家に行った際、彼の家族から「息子はいなかったものだと思っています」と言われている。

つまり、戦後に特攻隊員の死は「存在しないもの」にされてしまった。

一方で、鳴子が軍歌を聞いて、拒絶反応を起こして身体を震わせ、会場から逃げ出していく描写もある。

戦時中のことを「非日常」として切り離さなければ、耐えられなくなってしまっているなら、戦時中に生まれた園との恋心についても、「非日常」として切り離さなければ、生きていけなくなってしまったのではないか。

とはいえ、鳴子は園を完全には手放せない。それは鍵谷や前田、冬島の死を無に帰すことになる。

だからといって、園を受け入れて二人で幸せになろうなんて考えることもできない。「不自然」を「自然」にしてしまえば、「非日常」を「日常」にしなくてはならなくなるからだ。

園は自分の気持ちだけを考えるから、鳴子を「優しくない」と責める。それは事実だろう。けど、彼にはできないのだ。危ういバランスの上でなんとか生き延びているのだから。

考えてみれば、男同士の性交も生物学上は「意味のない」行為だ。けど、当事者にとっては意味のある行為でもある。

つまり、特攻隊の存在と重なるところがある。

だから、この作品があえて男性同士の関係を取り入れた。そう考えるのは深読みし過ぎだろうか。

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