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2つのアイドルトラウマ事件

1クラス45人、1学年16クラス、卒業までの3年間一度も顔を合わさないヤツもたくさんいる、いわゆるマンモス校って呼ばれていた狭い中学校に無理やり押し込まれた「僕」が、だらだらと無為に過ごした3年間のエピソード、いわゆる「プレイバック80'エッセイ」の第6話。今回は高校時代の番外編。僕がアイドルから離れることになった2つのエピソードを。

以前にも書いたんだけど、僕が初めてファンになったアイドルは早見優ちゃんだ。いわゆる「花の82年組」と言われるアイドル当たり年にデビューしたひとり。

ただし期間は短くて、中3のときにMTVを観るようになってからは洋楽一辺倒、アイドルというか、早見優ちゃんからは徐々に離れていくことになる。中学校の2年間くらいのことだ。優ちゃんごめんなさい。

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久々にアイドルのコンサートに行くことに

高校2年のとき、同じクラスのグッチー(男)が「(アイドルの)コンサートのチケット1枚余ってるんやけど、一緒に行けへんか」って言ってきた。

当時はハードロックや邦メタルばっかり聴いていた頃で、「何で俺に...?」って思ったんやけど、ちょうど部活も休みだったこともあったし、アイドルのコンサートは早見優ちゃんの以来ってこともあって、一緒に行くことにした。

場所は大阪厚生年金会館(現・オリックス劇場)、ステージからも近いわりといい席だったので歌う表情まではっきり見えた。歌う姿も可愛らしくて、まさにザ・アイドルという感じだった。超かわいいやん、来てよかったわって思って(語彙力足らん...w)、僕はグッチーに感謝した。その子はファンのみんなから「ユッコ」の愛称で呼ばれていた岡田有希子という名前のアイドルだった。

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コンサートから半年くらい経ったある日、グッチーが半泣きで電話してきた。

「ユッコが自殺した...」

いろいろ悩みを抱えていたのか、情緒不安定になった彼女はある日発作的にビルから飛び降りる。次の日から写真週刊誌に、ユッコが飛び降り自殺したまだ遺体が横たわる現場の写真とか、ワイドショーでの憶測まじりの報道が垂れ流しにされた。僕はそれらのすべての報道とそれに関わる大人を嫌悪した。

グッチーが岡田有希子ちゃんのファンだと知っているのは僕以外ほとんどいなかったけど、目に見えてボロボロのグッチーを励ましたり、当時「ユッコ・シンドローム」と呼ばれた後追い自殺をグッチーがしないか心配したりで、僕もかなり消耗したのを憶えている。

グッチーは幸いにも、時間はかかったけれど悲しみを部活にぶつけて復活したのでよかったけれど、当時のデリカシーの欠片もない一部報道は本当にひどかったし(今もだけれど)、僕が安っぽいのぞき見趣味的なメディアを嫌悪する最初の原因となる出来事だった。

コンサートで見た岡田有希子ちゃんが僕が持っている彼女のイメージのすべてだ。19歳のキラキラしたイメージしかない。コンサートに誘ってくれたグッチーには感謝している。それからひとりのアイドルを追っかけるのが怖くなるのには十分すぎる悲しいエピソードとなった。

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パイセン、部活やめるってよ...

高校の部活はハンドボール部だった。中学校時代の狂犬...違う郷研(郷土研究部)とはうってかわって運動部だ。1年の前半の練習を経て、僕は持久力の無さとかボールコントロールが他の子よりも劣っていることを自覚して、フィールドの選手ではなくゴールキーパーを目指すことにした。

3年の先輩が引退し、2年の先輩と世代交代してすぐの頃、二人いる2年のゴールキーパーの先輩のひとりが突然部活をやめると言い出した。やめる理由を濁してはっきり言わないので、家庭の事情か何かかなとそのときは思っていた。

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しばらくしてわかったことだけど、先輩キーパーの部活をやめた理由はおニャン子クラブの「夕焼けニャンニャン」を観たいから、だった...orz

わかるよ、パイセン気持ちはわかる、でもそこは録画しようよ...(>_<)

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運動部に所属している人間の悩みのひとつが、「ひまで練習熱心なOBが頻繁にやってくる問題」だ。ハンドボール部も例外でなく恐ろしいOBパイセンがやってくる。チェッカーズのフミヤみたいに前髪と後ろ髪の一部を長く垂らして、片方ずつ柄違いの靴下を履いた「サイケデリックかつヒマで練習熱心なOB」が僕らが一番恐れていたOBだ。

「なんや、2年のキーパーはひとりか...ほんで1年のキーパーがお前やな」

「フミヤっぽいサイケデリックかつヒマなOB」から辞めた先輩キーパーの代わりに初めてのキーパーノックを受けてボロぞうきんみたいになった僕は、グラウンドで横たわって、辞めた先輩キーパー、おニャン子クラブのメンバー、やすす(秋元康氏)のすべてを恨んだ。特にやすす、よけいなグループを作りやがって、お前だけは許さんぞ、と、16歳の僕は誓った。

これがアイドルから離れるにはじゅうぶん過ぎる2つ目のエピソードだ。

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アイドルなんか追っかけるんやないで、と思った僕がのめり込んだのは、ラフィンノーズというパンクバンドだった。完全に逆恨みになったやすすに怒りをこめて笑...あきもっさんごめんなさい、悪いのはパイセンですw

楳図かずおじゃねぇぞ、ぐわしっ!

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最後に...

さて今回は、ワタシがアイドルから離れるようになった悲しいエピソードを2つ紹介した。

アイドルは追いかけないようにしていたワタシが今、秋元康氏がプロデュースしたNMB48を箱推しして、NMB48の最初のライブを岡田有希子ちゃんがコンサートをしたオリックス劇場(旧・大阪厚生年金会館)に観にいったというのはなかなか感慨深いものがある、単なる偶然やけども。

今この時のメンバーほとんど残ってないし...(>_<)

モーニング娘。もAKB48もスルーしたワタシが、いろいろな紆余曲折を経て、NMB48と乃木坂46を箱推しするようになったのは、また別のお話で。

ではでは....。