後悔しない人生の生き方
私にとっての究極のテーマがこれ、後悔しない人生の生き方。
誰だって後悔したくないはずです。だけど後悔が怖くて無茶しても、それがまた後悔の種になるかもしれません。
あれをやっておけばよかった、こうしておけばよかった・・・。私は死んだことがないのであくまでも予想でしかないのですが、恐らく死の直前にはそのようなことが色々と思い起こされてしまうのではないでしょうか。
しかし普通に生きていくなかで思い浮かぶやりたい事やこうしたい、ということを叶えるには条件が必要だったりするわけです。条件が低いものであればクリアできるでしょうから、思い浮かぶそういったことのほとんどはその時に手を出せない条件があり、その条件をクリアしないと手を出せないからこそ積み上げてしまう。そしてその積み上げた思いが最後の最後で後悔となってしまう。何とも悲しいです。
例えばテレビで旅行番組をみて、そこに行きたい!と思ってなかなか難しい。国内旅行でも最低一泊二日分の時間とお金がかかります。海外旅行ならもっと日数をかけたいし、そうなると費用も嵩みます。では比較的金銭面が自由になる老後の楽しみで取っておこう、と思っても・・・特に海外旅行などは体力勝負なところもありますので、定年後になってみたらとても海外旅行なんかできる体力は無くなってた、などという可能性は十分にあります。そして定年退職後は体の健康面でもそれまでとは違った不安が生じることも十分にありえます。
ここまで相当後ろ向きなことを書いてきましたが、実際にこれを読むと、そーだよなー、と思われる方も少なくないのではないでしょうか。だけど・・・ではどうする?となるのは当然です。
そこで私はこの「いかに後悔を減らすか」問題の解決策として、自分の力で頑張れば達成できそうで、なるべく大きな目標を立てることがいいのではないか、と思ってます。自分が頑張れば達成できそうな目標、そして死を目の前にした人生の最晩期になってその達成済みの目標を思い起こし、「たったひとつでも立てたあの大きな目標をクリアして良かった!」と思えれば・・・なんて幸せなことでしょう。
人生、後悔など幾らでもできますし、幾らでもあります。なので後悔をゼロにはできません。しかし極論すれば、後悔したことを忘れてしまえば無かったことになるんです。しかしそんな都合よく忘れられません。後悔が大きいほど心についた傷が大きく、忘れるには長い時間がかかります。しかし忘れることができない後悔であっても、同時に忘れることができないくらいに良かった思い出や、達成感が大きかった思い出なら自分の力で作ることができるわけです。
ここまでで気付いた方もいらっしゃると思いますが、その立てた大きな目標を達成できずに晩年を迎えてしまったらどうするのか、それこそ後悔の塊しか残らない人生になるのではないか?
はい、全くその通りです。ですがその解決策もあるわけで、それはその目標を幾つか用意しておき、クリアする毎に難易度を上げていくと良いように思います。最初は少しの頑張りで達成出来る目標にする。これが達成できたら次はもう少し背伸びする。この繰り返しです。
こうやると目標の達成方法が分かりますし、経験もできます。やれば出来る、という経験なり思い込みができ、それは十分に自分の今後に役立ちます。
何だっていいんです。例えば頑張って貯めた5万円を握りしめてフレンチレストランに行き、コース料理を楽しむ。できればお一人様がいいかな、この場合は。こんなの私だってやったことありませんが、5万円なら頑張れば何とかなりますよね。恐らくこれが達成できれば一生の思い出になるひとつだと思います。
そして次は8万円を貯め、別の目標を達成する、そしてその次は10万円超え。そう、お金はかかりますが逆にいえばお金で解決できる目標って案外何とかなるものなのです。
そしてその際に重要なのは、できるだけ目標達成時の満足度をアップさせるように考える、でしょう。フレンチレストランに行くなら、当然行き来は満員電車、ではなく、タクシーを使い、きちんと服装を整え、レストランに行き来することを含めた全体を良いものとする。だって・・・例えばレストランを後にして乗った電車が満員電車で、駅からの帰り道で犬の落とし物などを踏んでしまったらもう・・・結構な残念感漂う思い出になってしまいます。
そのような努力を重ねても、それでも後悔は減りませんよね。ですがそれは仕方ありません。人間はそういう生き物ですし、そうなるように設計されているわけなので、設計されている図面を引き直さずに変えるのは至難の業です。なので人間は何も考えずに本能に近い状態で生きるほど、設計図通りの行動に近づきます。この場合は後悔の連続で周りを羨んでばかりの人生が待つだけになります。
でもこれって苦しいですよね、つらいですよね。なので自分の頭で考え、余計な本能には抵抗し、生物として生き残りを優先させる本能よりも、人間としての快適さや満足度をアップさせる、という人間性を優先させる方に力を注いだほうが良い、となるわけです。
そのために何をどうしたらいいのか、を考えたひとつの提案が、上記のものです。後悔を減らすためには後悔した出来事の記憶を薄れさせ、忘れ去る。そして何かの目標を達成することで得られる経験とその時の喜びなどの感情を最大化し、できるだけ鮮明に思い出せるようにしておく。
ここに書いたのは私が考えた簡単な内容なので、このテーマで考えるともっともっと色々なやり方が思い浮かぶと思います。
人間って体の健康が非常に重要ですが、体の健康と同じくらい、心の健康が大切なんです。心の健康を害する一つの要因がこの後悔、だと思ってます。
後で悔やむことを無くすことはできませんが、それによる心のストレスを減らすことはできるはずですし(別に書いたNOTEでどうぞ)、人生の最晩年にそれまでの自分を振り返った時に嫌な思い出や後悔ばかりのことを思い出すよりも、楽しかったこと、嬉しかったことなどを思い出せる人生の方がいいに決まってます。
このNOTEは、それを長い目で達成できるように思って書き残したものです。長いようでいて短い人生、ツラいことばかりだった人生。しかし、それだってやり方によっては、考え方によっては何とかなる、何とかする。私を含めて皆さんも人生の最後には笑っていられるよう、考えていきませんか。
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