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15年ぶりに地元で演奏して抜け殻になった話

数年ぶりの山形凱旋。大師匠のレッスンを受けコテンパンにされた翌日は、本来の目的である発表会の出演へ。
出番直前までハプニングだらけ&前代未聞の演奏をして抜け殻になった様子をお届けします。

レッスンの様子はこちら。

今回演奏することになった経緯

なんで急に山形演奏することになったかというと、遡ること4年前。
ピアノを再開して2年。小〜中学校でお世話になったピアノ教室の先生に連絡。
来年の発表会は40回記念だから、ゲスト出演しない?」とお声がけいただき、二つ返事で出ることに。

年が明けたら、まさかのパンデミック。
東京からゲストが来ることに抵抗があるパパママも多く、昨年まで出演は叶わず。
今年も先生と連絡を取り合っていたら、10月の初めに

「道路の区画整理で自宅が当たってしまって、11月の発表会を最後に教室を閉めることにしました。ギャラも交通費も出せなくて申し訳ないけど、もし出てくれたら嬉しい」と。

金などいらん。これは出ねばならん

前日深夜まで後輩と飲み明かす

今回は高校の後輩が送迎をしてくれました。今はピアノ教室を運営したり、オペラや楽器の伴奏をしている彼女。
ちゃっかり前日のレッスンもお迎えついでに聴講していた。

お酒好きな彼女に
「明日本番だから、そんなに飲めないからね!」と言い張った1時間後。
山形の美味しいご飯とお酒には勝てず、美味しいご飯に日本酒を飲んだらもう最後。
音楽談義で盛り上がり、ホテルに戻ってからも2人で夜中まで飲み明かしていた。

彼女は酔っぱらいながら、私のレッスンでのモーツァルトやリストを聴いて
「私、やっぱり、やなぎちゃんのキラキラした音好き!モーツァルト弾いてみたいなって思ったし、リストのしっとり歌うところなんかは、先生も黙って聴いてたし、やっぱりやなぎちゃんのピアノはエロいなって思う!」
なんて、可愛いことを真顔で言っていた。

幸い二日酔いになることもなく、朝から元気にホテルの朝ご飯を食べ、本番前の必需品、羊羹とミネラルウォーターを手に入れ、いざ会場へ。

会場の動線と衣装が合わない

会場入りして、先生に挨拶してから、楽屋へ。
地元での演奏時は必ずお願いする美容師のお姉さんに楽屋でヘアセットをしてもらい。
大きい会場(最大1000人くらい入る)に合わせて、メイクは横からアドバイスをもらいながら、ゴリゴリに。

後輩にドレスを着せてもらい、とびきり美しい死神に仕上がった。
前回は森に迷い込んだ貴族の娘をコンセプトにしたけど、今回は自分が森の中にいる死神になってみた。

懐かしい会場内をうろうろして、客席のいちばん後ろで、後輩2人と生徒さんたちの演奏を聴いていたら、気がついた。

みんな、客席から階段を使ってステージに上がっている。
大人の私がドレスで客席に行ったら目立ちすぎる。
それにドレスのボリュームで、階段を上がれない
先生に相談しようにも、時間が押してて休憩がない。

ここで後輩が舞台裏のステージマネージャーに舞台袖から入れるように交渉。手書きのメモを司会の方や先生に渡す。
などなど大活躍。
舞台袖からステージに出ていけることに。

自分の出番の2つ前になり、舞台袖でスタンバイ。
手にホッカイロを持って、アームウォーマーをして、ニットパーカーを着ているのに舞台袖がとても寒い

ステージに出ていく直前、アームウォーマーやニットパーカーを脱いで、ストレッチして体の緊張をほぐしてみたけど、やっぱり寒い。
そうこうしているうちに出番が来てしまった。手も体も温まってない〜!!

先生の顔を見たら、泣きそうになった

ステージに出てお辞儀をして前を向く。
先生が最前列で「思う存分弾きなさい」と言わんばかりに笑顔で私を見て頷く。
そんな先生の顔とステージからの景色を見たら、この会場で経験した、たくさんの思い出が蘇ってきて、泣きそうになった。

椅子に座って、泣かないように呼吸を整え、集中しようとすればするほど、身体が固まっていくのが自分でも分かる。
いつもと比べると、弾き始めるまで結構な時間をかけたと思う。

こんなときこそ、前日のレッスンで大師匠に言われた「省エネ」が効くはず。
身体が硬直していると無駄な体力を使ってしまう。
大師匠には「何も考えずに前日に来て!」と言われたけど、行っておいて良かった。

鍵盤に指を置いて、息を吸って、息を吐きながら腕の重さだけで1音目…よし、いける!

本番にはやっぱり魔物が住んでいる

正直、冒頭はめちゃくちゃ良かった。
中盤から、どんどんミスは増え、崩れ落ちる演奏。
自分でも何が起こっているのか分からないほど、めちゃくちゃで前代未聞な死の舞踏。
どんどん腕が硬直して力が入り、ちょっと痛い。なぜ。
音だけちゃんと鳴らせているのは、15年ぶりでも小さい頃から何度も弾いた会場とピアノで、身体が順応しているから。

とはいえ、最後の発表会なので、音楽を伝えることを諦めるわけにはいかない。
省エネなんて知らんわ!と大師匠や師匠の言葉を思い切り投げ捨てた。
腕が動かないなら、身体を動かせばいい。力が抜けないなら、体重を思い切り腕に乗せればいい。
ピアノを鳴らせているなら、自分の呼吸まで重さにして弾ききってやる!と、思いながら弾いてた。

実はこの本番の2週間前から、練習していると腕が硬直する、指が一部分だけ動かない、身体のコントロールが思ったようにいかない…などの症状が続いていて、フォーカルジストニア(※)の疑いを自分で持つほど、調子が悪かった。
なぜかメトロノーム練習をしたらマシになったけど、前日のレッスンでも腕が硬直して変なミスを連発していた。

※フォーカルジストニア
楽器演奏における特定の動作のみ、身体のコントロールが思い通りにならなくなる病気。原因ははっきりとしていない。ピアノやギターの人がなりやすく、長時間の練習や複雑な演奏技術、レパートリーの変更、心理的ストレスなどがきっかけと考えられる。(全部思い当たる…)

最後のスピーチで崩れ落ちるように泣いた

演奏の冒頭は子どもたちが「うわぁ!すごい!」と声を上げていたけど、後半は静かに聴いていた。
君ら、いつもは騒いでいるだろうに、よくぞ12分間聴いてくれた。

演奏が終わって、スピーチの時間。
演奏前に頼まれていたけど、絶対に泣くので演奏後にしてもらっていた。
(本当は、パパママがお子さんに向けたメッセージを司会の方が演奏前に読み上げてくれる。私の場合はスピーチになった。)

最後までステージの上では表情管理!とK-POPアイドルのトレーナーさんたちもそう言っている!
最後まで東京から来たキラキラお姉さんを演じるのだ!
と、笑顔でマイクを受け取る。

「先生、50年間、ご指導…お、お、おづがれざまでじだぁ(T_T)」

ひとこと発し終えた瞬間に、崩れるように泣いた。
最後の発表会で良い演奏ができなかった悔しさ、このステージでの演奏するのも、先生に聴いてもらえるのもおそらく最後だという寂しさ、客席からみんながキラキラした眼差しで見てくれる嬉しさとか…いろんな感情で涙が止まらなくなった。

泣きながら3分くらい話した。

先生も一緒に泣いていた。
美容室のお姉さんも、客席から見える後輩2人も、泣いてた。
なぜか、まったく面識のない、生徒のパパママたちも泣いていた。

目的と役割は果たせた

発表会が終わって、集合写真を撮って、来てくれた後輩たちやちびっこたちと写真を撮ったり、来てくれた人たちにご挨拶をしたりとバタバタだった。
帰りの新幹線を1本遅らせたくらいには、やることがたくさんだった。

たくさんのちびっこたちから

「すごくキレイだった!お姫様みたーい!」
「上手だったー!!私もこんなドレス着て弾いてみたい!」
「すごかったー!僕も弾けるようになりたい!」

と声をかけてもらい、パパママたちからも

「とても素晴らしい演奏でした」
「プロの圧巻の演奏、本当に感動しました」
「これからも頑張ってください」

などなど、たくさん話しかけていただいた。
残念ながらプロからは程遠い存在だし、心残りな演奏だったけど、知らない人たちからはそう見えたんだろうと思うと、身が引き締まる。
衣装やメイクも含め、舞台での立ちふるまいは本当に大事だと、改めて思った。

母や後輩たちからの話によれば、演奏中から涙するパパママがたくさんいたのだそう。
あの曲、ずっと騒がしくて泣きどころないはずだけど、なにかがきっと音に乗って伝わったのね。

初めてステージに立つときから先生が繰り返し教えてくれたこと。

・ステージに出て行くときは「自分がいちばんだ!」と思って、出ていきなさい。
・自分で満足いかなくても、褒められたら否定は絶対にしちゃダメ。聴いてくれた人にとっては、良い演奏だったのだから、必ずお礼を言って胸を張りなさい
・努力したことは演奏に繋がり、周りの人にも絶対に伝わるもの。

これだけはハチャメチャな演奏でも、しっかり守れていたと思う。

今回の目的(というか、昔からの先生との約束)である、

・みんなの憧れになること
・ピアノをもっと弾いてみたいと思わせること

は、ちゃんと果たせた気がする。

そう思ったら、帰りの新幹線では清々しい気持ちで、缶ビールを飲みながら帰京の途につけた。

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