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お母さんの役割

今日は本当にソファで寝落ちをしてしまっていました。
夜、11時ぐらいから記憶がありません。今は早朝の5時です。りん(猫)のお相手をして、外に出して(玄関前に犬のようにつないで外で過ごしています)もうじき娘のお弁当をしないといけないのですが、それまでの時間を使って書けるところまで書きます。


私は文章を書くことは昔から苦にならなくて、座っていたらものすごい時間がたっていることがよくあります。


高校生時に進路を決める時に、「何になりたいのか?」と言われて、「そう言われたら、小説家か研究者」と言って、「全く違うじゃないか」と怒られたのですが、そんなことはなくて、没頭して追求していく感じのことがよいなと思っているからなのでした。


結局、理科の「生物」が好きで、勉強をしなくてもわかるぐらいに肌に合っていたので、「生命科学科」というよくわからない名前の学部に進学しました。
「粘菌の研究」という何の役に立つのかもよくわからないことをしていたのですが、仮説をたてては実証を繰り返していく。まだわからない未知なことを掘り下げて明らかにしていく。というような研究というものはやはり楽しかったです。


大阪に向かう娘を駅まで送ってきました。
早朝だけどバスで行けることに気がついて、(ないはずだったのですが)バスで行きよ。と言ったのですが変更して、自分で行くつもりはないようです。
姫路駅から大阪まで1時間半、それからもバスで20分はかかるので、、まあ、行ってあげましょう。と思って引き続きお連れすることにしました。


片道10分ぐらいですが、あまり喋らない子が車に乗ると、隣でぽちぽちと話をしてくるので、(朝から不満や愚痴も多い。笑)まあ、大事な時間かなと思っています。

私は今は家にいる時間が多いのですが、来春には、長女は就職(おそらくは。。いわゆるニートにはならないから。とは言っています。)次女は大学進学をするタイミングなので、家族5人での暮らしはあと半年となります。

死ぬ前に人生を振り返ってみると、おそらく、家族と過ごした日というものについて、どうだったか。ということを思うに違いないなと思います。


今まで、ひとりひとりの子と向き合う時間をそれほど持てていなかったと思っていて、、あと半年は専業主婦的にいようと思っています。


三姉妹は、学校がお休みだったり行事などで半日で帰ってきたりと、別々の学校に行っていると、誰かが家にいたりしています。


うちは、4LD Kの家で、上の3つの部屋は子どもたち。
下の和室は部屋がない両親の服などの荷物置きになっているので、私と主人は部屋がなく(私より、主人への同情の声が大きい)私はリビングのソファで作業をしています。


子どもたちは2階の部屋にいる時間が多いですが、最近はリビングのソファにいるが増えている傾向で、母にやはり愚痴を言ったり、悩みを言ったり、面白かった出来事を言ったり口を開けて眠ったりしています。 

たまには一緒にご飯を作ったり、長女はお菓子をよく作るようになりました。焦げたチーズケーキは美味しかったです。だんだん、本領を発揮してくれる気がしています。


買い物に行かへんの?と言って、スーパーに連れ出して母に何か買ってもらったり、服がいるんだよね。と言って、連れていかれたりもします。

年頃の娘の服代はきりがなく経済破綻に繋がりかねないから、年間予算を決めています。
服にこだわりがない私は買うとしても古着専門店です。

なんなら、ジャージでよいレベルですが、さすがに、人に驚かれない姿にはしています。

そんな感じで、今は娘たちとの生活に気持ちを寄せています。


海外では学校教育としても、小学校の時代には、心を育てる教育に集中して、それから、いわゆる勉強というものも加えていく国がある。とお聞きしたことがあって、それはとても面白いなと思いました。

算数、国語、理科、社会、というような教科を使って、脳にインプットしていったり、脳を鍛えていくということよりも、まずは、心というものに焦点を置いて、そこに力を注いでいく。また、教育として積極的に働きかけ、鍛えてもいく。ということを先に集中して行うということのようです。

例えば、嫌なことを、嫌だ。と相手に示す。ということも、きちんと教育をされるので、「いじめ」があった時に、いじめた側だけではなく、いじめられた側にも、先生は、「あなたは、嫌だと言葉に出して伝えましたか?」と確認するのだそうです。
わあ。すごくよいな、、と思いました。

国民性もありますし、そっくりそのままがよいものではないかもしれませんが、「心」というものにしっかり焦点を置いた教育というのは、妥当だし、とても素晴らしいと思いました。
具体的に何をしているか勉強不足なので、またきちんと知りたいと思います。

日本では、学校教育に関しても、心に対して重きを置くということがなされている訳ではなく、そこは家庭や地域社会が担えていた時代はあったと思うのですが、今は親が忙しくして、日々の生活をこなすのが精一杯。


子どもの心に寄り添おうにも、自分自身がやっと、外の仕事と家庭の仕事をこなしている状態だから、時間の余裕も心のゆとりもなく、子どもの前に、自分が寄り添ってほしい状態という家庭は少なくないと感じています。


母が余裕をもって家にいる。ということは、何をしているともない、とされるのかもしれないけれど、実際にやってみると、とてもよいなと思っています。


私は家庭にずっといたいタイプの人でもまたないので、ストレスを感じている部分があるのは否めないですが、それを差し引いても、やっぱりよいなと思っています。

このペースでいられるのは、あと半年ですが。

娘たちの変化が楽しみです。


それでは、今日は(遅くなりましたが)これで終わります。







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