宝物。
今日は午前中、準備をする時間でして、難しい内容であるけれど、それをいかに子どもたちにわかりやすく伝えていくか。ということで、いかに削ぐか、いかに掴める言葉に変換するか。ということについて、大人がお互いに真剣勝負で率直に話をする場でした。
例えば、何を日々新たにということについてという話の投げかけに対して、自身の中から引き出され、語られる場面などもあり、語る側も聞く側もですし、誰がどうはそこにはなく、共鳴がある、とても有意義な時間であったように感じます。
誰かのために。と思って考えたり精査することは、自分の理解を深めることに繋がることであり、相手がいてこそ、そういうことが起こります。だから常に、共に成長をしていこう。一緒に学んでいこう。ということなんだと思います。そういう感触がとても嬉しいです。
何のために、ということについては、とても大事な宝物のようなものなのですが、それをどのように表現してみるかということを、日常生活の片鱗から、表してみたりします。それは、世界や宇宙の運行というような大きな視点からも、学校や職場など場面や状況によって、どのような心持ちであるかというものであったり、または、このような行いができるようになった。実践したい。ということであったりします。
結局は、その大切な何かについて、角度を変え、視点を変え、掴みとっていきたいという試みです。
人の足らずに気づけば、補完したいと願い、ただ、心から行うということは、優劣やおごりから離れ、敬意や感謝に包まれます。
人と人がそういった心で繋がり、与えた人がおられまたそれを受け取った人がいる。すると、また新たな繋がりに対し、受け取った心でまた人に行っていきたいとすることができます。
そんなふうに、何と伝えづらい宝物が、連綿と連鎖として繋がっていくということ。。そこに躊躇はなく、私自身も行っていきたいと祈りをもって思います。