【男の中の男】ありがとう、木戸修

 皆さまごきげんよう。いつも読んで下さっている方は押忍ですわ。初めましての方は初めまして押忍ですわ。というわけで押忍ですわ。

 さて、木戸修が亡くなったというニュースが飛び込んで参りましたわ。先月末、木戸修のおnoteを書いてからというもの、激烈に木戸修の試合を観ていましたので、取り乱すようなことはなく、お別れも穏やかな気持ちで受け入れますけれども、激烈に観ていたおかげで、わたくしの中にはいま、世界で1番木戸修が生きていますので、遺族の方を除きましたらば、皆さまがどう思おうと、何を言おうと、わたくしの心にあるのがいま最も色濃い木戸修ですわ。そもそもわたくしのおnoteは木戸修ファンクラブという名称で始まりましたし。昭和ではなく令和にですわよ???よって、わたくしが今日以降を生きている限り、木戸修の魂は誰にも渡さないぐらいありますわ。むろん、亡くなったことにもなりませんわ。

 そんな気持ちのわたくしが木戸修と出会ったのは、わたくしがまだ子どもの頃でしたわ。映像の中の木戸修は、カッチリとしたヘアースタイル、そんなに日焼けしてどうするんだというぐらいに日焼けした肌のインパクトと裏腹な、堅実で地味な試合ぶりの渋い中堅というイメージがあり、見た目は派手でも中身で勝負という価値観を植え付けてくれた存在であったように、今となっては思いますわ。

 地味な試合ぶりと書きましたけれども、新日本プロレスワールドに動画が全然ないせいで、試合を振り返れない、どんな選手なのか知らないまま過ぎ去ろうとしている方も多数いらっしゃると思いますので、さらっとどういう人物か、どういう試合をしたかをさわりだけご紹介させていただきますと、木戸修はプロレスラー志望だった兄・木戸時夫の思いを継ぎ、プロレスラーとなった男ですわ。そのおかげで、大恩ある師カール・ゴッチの教えそのままに、大技やパフォーマンスに頼らない試合をし、また、ゴッチが来いといえばUWFに移籍し、その無欲な蜜月ぶりから、新日へのUターンも万人に受け入れられるという、侠客じみたところも最高の、男の中の男でしたわ。

 木戸修のフィニッシュ技といえば脇固めでありまして、その脇固めへと向かう試合展開の中で繰り出す技といえば、エルボースマッシュ、リストを取られて回転して寝ての両足での蹴り上げ、キド蹴りという、技とも言えないような打撃技を除けば、ヘッドステップ、ネックブリーカードロップ。その徹底的に技を削ぎ落としたファイトスタイルに、幼少期のわたくしは激烈に魅了されたものでしたわ。技なんてなくても、プロレスというものはやれるんだ、と誰もが気付くこととは思いますけれども、わたくしがそのことに早く気付けたのは、やはり、木戸修との出会いがあったからではなかったかしら。

 この辺りの技について解説すると、エルボースマッシュは今の選手なんかもよくやりますが、あんな伸び上がるように打つのではなく、カツンとコンパクトに当てるタイプ。ハードな当たりよりも、正確な当たりを重視していた印象がありましたわ。プロレスラーたるもの、一撃一撃を正確に打つ気概と責任を持って相手を攻めてほしい。わたくしは木戸修の試合を見る度に、そんなことを考えるのですわ。リストを取られて回転し、下から蹴り上げるムーブにつきましては、1試合に1度しか使いませんわ。木戸にとっては回転したり蹴り上げたりというムーブは派手であり、一撃一撃を大切にしている木戸が、1回しか使わないというのは、ある種の見せ場として設定していたのが分かりますわ。それと申しますのは、皆さまご存知のように、木戸修の必殺技といえば脇固めでありまして、そこにあるのは「腕を取る」という要素でありまして、だからこそ脇固めに通ずる腕ひねり上げの体勢にならない、すなわち「腕を取らせない」という矜持を、大きなアクションから反撃に繋げることで見せているのですわ。脇固めの使い手だからこその矜持。こういうプライドが試合の中に溶け込んでいるレスラーが今どれ程いるかしら???

 キド蹴りにつきましては、足の外側を当てる蹴りですわね。今はWWEのアメプロにかぶれて、誰も彼も爪先でのトーキックを簡単に使いますけれども、これは元々反則のはずですわ。だからこそ、爪先を使わずに蹴る為に開発した蹴り技がキド蹴りなのですわ。レフェリーのブラインドを突いて反則をするのではなく、反則に該当しない似て非なる技として堂々と使う。こういう発想、マイノリティー的アイデアで試合を構成するのが“センス”なのですわ。顔面踏みつけヘッドステップ、首をひねって倒すネックブリーカードロップにしても、動きのあるアクセントとして使っているという雰囲気がありましたわ。試合がゆっくり流れている中でのヘッドステップ、畳み掛けや反撃のネックブリーカードロップ。そしてこれらとは独立して成り立っているのが脇固めでしたわ。

 さらりとしながら、突然に、一瞬で相手を捉えて極めてしまう脇固め。それはあたかも、木戸修の人生そのものでしたわ。わたくしたちは最後まで木戸のさらりとした、しかし突然の動きを見ていることしか出来ませんのよね。でもわたくしはそんな木戸修だからこそ、心をガッチリ掴まれたのだと思いましてよ。忘れませんわ、ありがとう。愛していますわ、木戸修。

 押忍ですわ……。


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