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あの頃の小さな私が欲しくて欲しくてたまらなかったもの

一昨日、下北山村も含めて取り組んでいる『奧大和サスティナブルデザインスクール』の中のオンラインフィールドワークの中での移住者プレーヤーとして(横文字だらけだなぁ…)ちょっとお話させていただきました。

私がお話したのは先日から好評販売中の「にんにく春まなみそ」のラベルデザインの色々裏話だとかその辺りだったのですが、
参加者さんが考えたレシピ!がまず皆さんすごい積極的に考えてくださって…で、やっぱり視点が違うと全く違うアイデアが出るしーもう凄く!楽しかった!
ツチノコイーツはまだまだこれからも商品出る予定なのでその度にやりたい☺️と思いました。

で、他の方の話もとても勉強になる部分があったり興味深かったりなフィールドワークやったんですが、
その中で別のプレーヤーさんに寄せられたご質問が私自身もたまに考えたりしてる事だった。けど私が答える番じゃなかったからここでごにょごにょ言います(笑)

その質問は
「自分自身が田舎で育ったので、誰もが顔見知りという中での閉塞感というか、この人数の中で失敗できないぞ、下手なこと出来ないぞ、みたいな感じが子供の頃は嫌で、出て行きたくてたまらなかった。
で、今そういう場所から出て、子供を持つ身になった今、田舎で子育てしたいなーという気持ちも実は湧いてきている。ただ、実際そうして子供自身にまた自分のような気持ちにさせるのだろうか。その辺実際どうなんですかね。今は時代が変わってきたのですかね?」

ーーー私自身は逆に「マンモス校」と呼ばれる1クラス40人×6クラス(中学は8クラス)みたいな学校に通っていた。

で、イジメというほどでも無いけど嫌な目にいっぱい合って、学校が嫌いだった立場の人間だったから
そんな自分から見て本当にひしひしと感じるのは、誰もが顔見知りの中での「下手な事したら終わるぞ」みたいなんて大人数の学校でもめっちゃあったよ…むしろその方がキツいんじゃないのかなっていう…

だって子供のころ友達とケンカしたり仲違いして「他にも同い年の子なんていっぱいいるぜ!他探そ!」とか思えんかったもん…子供の世界は田舎都会に限らずもともと狭いんじゃないかな…そう思える子もいるのかな…知らんけど…

ほんの一部のグループから無視されただけで他の人達からも無視されているように感じる世界。あの頃はとにかく沢山の無限の目のほうが怖かった。
確かに時代もあったのだろうと思う。今よりずっと少数派が多数派にかき消されてしまうような時代。

で、そんな私は、子供の学校生活を見ながら「良いなああああ」と思っている。私もこれぐらいの人数の学校が良かったな。とすら思っている。
自分の話がちゃんと届く、私という存在を認めてもらえてる安心感というのはあの頃の小さな私が欲しくて欲しくてたまらなかったものだ…

…えっ、なんかクソ暗いな自分で引くわ…
あの時私が答える立場じゃなくて良かった(笑)

…ただ私はそういう風に、自分の子供時代と我がの子供を見てそう感じています。
街の学校で育ち、ど田舎で子育てしている一個人の意見でした☺️

いいよなぁやっぱり。羨ましいよー。

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