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継げない。継げない。

器が好きで沢山持っている。
今日はどの器に盛ろうか。
そんなことを考えるだけで、お腹が満たされてしまう。
器ってそういう不思議な、なにかがあると思う。

けれどもそれは大人だけの暮らしだったからこそ
叶っていた夢のような、
幻想のような、
ひと時だったということに後々気付いた。

小さな人の子・そして子猫との生活において
器は面白いほど割れていく。
粉々になっていく。
私が大切にしていたものを
子どもも猫も大切だとは感じない。

求めても仕方のない価値観を
どうしても求めて悲しくなったりもする。

永遠はない。
永久に在るものなどない。
だから器も割れるんだよ。
思っているよりとても簡単に。

10個目くらいが割れた時に
やっと未熟な自分も腹を括れるようになった。
ガシャン・バリンと音がしたら
「よし!後で金で継ごう」と
頭を切り替えられるように。

それから何年も経った。
私の家には沢山の
「後で金で継ごう」とされた
粉々の器たちが、割れたまま在る。

先日遊びに来たカメラマンのYさんが
「ちょっと割りすぎじゃない?」と
引くぐらいある。

「まあ、子どもと猫と暮らしてると、これくらい割れるんだよ。」
言い訳がましく返事をすると
「ウチの奥さんも、結構割るんだよね。大事にしている器。」
と彼は言った。

だから
「それは、奥さんに優しくしてあげないと。」
と、何を偉そうに、言っておいた。

「割れたって継げばいいのだ。」
そう思って、そこに在る
割れたままの継げない器。
「継ぐ」という行為に対して
重すぎる腰が中々上がらない。

継ぐ予定の継げない器。
このままでは、割れた器コレクターとして
私の生涯は終わりを迎えるかもしれないね。

金継ぎセットは購入できた。
あとは
あと何年以内に金継ぎを始めるのか。
それをそのうちにでも考えようね。

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