身体ごとの変容(その2)
『三島由紀夫VS東大全共闘50年目の真実』(豊島圭介監督2020)
このドキュメンタリー映画を見つけたのは、出遅れて2021年の秋でした。日本滞在中にamazon prime videoでたまたま見つけて観て、その後ニューヨークに戻って、英語字幕版を観ました(Mishima : the last debate)。その後も何度となく観ています。短い期間で何度も見る映画、滅多にありません。それも、別に何かに役立てよう、調べものに使おう、などと思って観ているのではなく、ただ、その魅力で観てしまっているだけです。
魅力?
映画の中にある何かが、わたしの中の何かに触れ、そこが小さな声を出すのだけれど、それが何なのかよく聞き取れず、だからまた観て、また触れてもらって理解しようとする。すると、別のところが触れられて、また心のどこかが別の声をたてる、という具合に引き摺られていく感じ、そういう魅力です。
自分の心が探索しているものと(自分でそれとわかっていなくても)スクリーンの中に見るものとが何本もの線でつながる歓び、と言っていいでしょうか。
わたしが探索しているものがどこにあるか、どれほどあるのかわかりませんが、そのうち自覚しているものは、大きな枠ではひとつしかなく、それは、目覚めていることです。
(“起きている”って、自覚と意志が要りますね。怠けたい心はすぐ、うたた寝するからです。)
目覚める? そう、自意識のちっぽけな沼に浸かって「ここが世界だ。これが人生だ」と決め込んでいる大いなる無知から目覚めて、心の広大な海原に泳ぎ出していくこと。その海の限りのなさを“経験”すること。
(経験には、ふたとおりあると思います。)
(一つは、自分の持てる知識、知力と意識が組み合わされて、「ほらね! こういうことね!」と自分を納得させ正当化させ安心させる経験。)
(もう一つは、知識と意識がつながったところに切れ目を入れて、そこにできた隙間から、ぐいっと身を乗り出した時に触れる経験。)
(前者の経験を、癒しと呼ぶのは当然ながら間違いです。)
後者の経験とは、心身ともに新しく何かを目撃する全的なことなので、身体は沼地の苦痛の中に置きざりにしたまま、心だけは凪いだ海で、青空を見上げながら浮かんで至福、、、などということはありません。
心は変わらぬまま身体だけが手品のように苦痛から脱出する、ということでも、身体はやはり今まで通りで、心だけは自意識の恐れから解放されている、ということでもなく、心身が共に、ほんとうに、変容しなくては、わたしたちはいつまでも無知の沼地で無意味なドラマを、意味があると勘違いして綴り続けていくしかないのだと思っています。何より、身体だけ、心だけ、なんてあり得ませんからね。
そこで、『三島由紀夫VS東大全共闘50年目の真実』です。この映画の舞台は、1969年5月13日の、東大駒場900号教室。東大全共闘の面々の前に三島由紀夫(敬称略)がやって来て討論をしています。(東大全共闘とは何か、1969年とは何の年か、なぜそこに三島由紀夫がいるのか、そもそも三島由紀夫とは誰か、等々の概要は、今回は省略します。いずれ触れることになるかもしれませんが)。
その中で、三島由紀夫がこのように話す場面があります。
「この机(注:教壇のこと)は、この東大の教室で、先生たちが講義をやるためにここに置いてあるんです。ところが諸君は、この用途を変更することができる。バリケードにしてしまう。この机は、夢にも思わなかったことだがバリケードにされてしまう。机の用途を変更し、この机の生産の元々の用途の目的とは関係がないものにしてしまう。戦闘目的に使われる。そのように、モノが生産関係から切り離されて、戦闘に使われて、それで諸君は初めてモノに目覚めるという時代になっている」。
面白いですね。
机は、生産者によって机として生産されます。消費者は、机売り場で机を購入します。ですから、「それは机なのです」。 机でなければ困るのです。ところが、その年、学生たちは、机を、机として役に立てる代わりに、バリケードとして利用し、“机を使えなくする状況を作った”のです。
ずいぶん前のことですが、電気炬燵のメーカーが、取扱説明書に「逆さまにして焼き肉をしないでください」と書かなければならない羽目になった記事が新聞に載りました。実際にやった人がいて、火事寸前になって訴訟問題になったのだとか。
炬燵を逆さまにして、炬燵としてではなく、焼き肉のために利用するという発想と、机をバリケードにするという発想が似ていると言ったら革命家に叱られるでしょうが、大枠は似ています。
「これは机です」「これは炬燵です」という“決まりごと”に盲目に従うのではなく、「今自分が必要としているものに役立てられないか」と考える。そして実際にやってみると、焼き肉はうまくいかなかったが、バリケードとしてはなかなか立派に役立ってくれた、というようにいろいろな結果となるでしょう。
わたしたちは、このようなことを日常でしょっちゅうやっていますよね。何かを捨てる前に「ん? これはクロゼットの仕切りに使えないかな?」とか「あっパン粉がないっ。素麺茹でたら衣の代わりになるかな?」とか、常時工夫してやりくりしています。
つまり、机をバリケードにする、というのは、特別なことではなく、日常の工夫です。机のはずだったものが机の使用を不可能にすることができるという逆転が面白い、それでも、変容とは関係ありません。
三島由紀夫の発言を受けて、東大全共闘側から芥正彦(敬称略)登場、彼がこう応じます。
「大学という形態の中では机は机だけれども、大学が取り壊されたとしたら、机はもう机でもなんでもないわけです。ただ一つの事物ですよね。(その通りだね、と三島が相槌を入れる)その事物に対して、我々が一方的に関係づけた場合、身の回りの全てが、武器にもなり得るし、何にでもなり得るわけです。その関係の逆転の中に、おそらく革命があるのだろうと。そしてその時初めて空間が生まれるっていうことですよね」。
芥はまず、「机は別に机でもなんでもない」と言うのです。教室の中にありそこで講義が行われるという“しつらえ”の中で、「これは机だ。決まってるじゃないか」という、言ってみれば開き直り、それが起こる、でもそれは、小さな共同幻想(または、拵えられた常識、または、生まれた時から入信させられていた信仰のようなもの)だということを思い出させてくれます。
自分が、自分の都合に合わせて、“それ”を衝立にしたり、“それ”で肉を焼いたり、“それ”でコロッケ作ったり、そんなことは無限にある。なぜなら、“それ”は、何にでもなり得るもの、つまり何でもないものだからです。
“それ”は何でもない。すべての事物は何でもない。
(「ただの事物」という言い方を、わたしはこのように受け取りました。)
自分の都合、一方的な必要性によって、それらの事物は役割を与えられているに過ぎない。そしてさらには、あらゆる事物の真ん中にいて事物の役割や働き具合、能力などをコントロールしようといつも躍起になっている自分自身さえも、その“しつらえ”の中に置かれた一つの事象に過ぎない。
ならば、机を別の用途に利用する、などということではなく、机も炬燵も自分自身も、まず“しつらえ”の外に出る。そして改めて、“しつらえ”を創る経験でなければ、ほんとうの逆転とは言えないのではないか、革命(=変容)にはならないだろうと、と言うのです。
(そうは言っていませんが、そのように受け取れます。)
自分が生まれてきた場所、その“しつらえ”が、元々誰によって作られたものなのか、その目的は何か。それは“しつらえ”を出てみなければわからないのではないでしょうか。同時に、「これはただの“しつらえ”の中のドラマだ」ということがわからなければ、そして「ただの“しつらえ”ならば、違う“しつらえ”もあるのではないか」と気づかなければ、そこから出る試みはできないでしょう。
違う“しつらえ”って? こことは違うもの。芥は当時から今までずっと演劇を通してそれを構築して見せていると思います。
わたしのボキャブラリーで言えば、それは、ここのような、病や苦痛や死の惨めさ、自責の念や不平不満や嫉妬がないもの。こことは真逆のもの!(とまでは思えなくても、より良いもの!)傲慢な無知で突っ走るのではなく、謙虚に頭を垂れて、「わたしは知りません。経験させてください」という祈りでできている“しつらえ”。
その“しつらえ”に、今までの身体は持っていけません。とはいえ、潰瘍に冒されている胃を、健康な胃にすり替えて運び込むわけにはいかず、でも、「生まれつき胃が弱い」「パワハラされてダメージを受けた」等々の、幻想の中での自分物語を持ち込まないことはできます。胃の痛む身体を、今までの物語の中に組み込み、当然のように役割を被せるのではなく、つまり「胃疾患のある身体」「自分を脅かしている病気の身体」という古いしつらえの中での役割から身体を解放し、新しいしつらえ、愛のしつらえの中で、これは何になるのだろう? と見ることで、身体を、心と一緒に変容させることができる、それを癒しと呼ぶこともできる、ということではないかと思っているのです。
わたしは、自分の身体を、昨日までとは違う“しつらえ”の中に置く勇気を持っていたいと願っています。既存の(過去の)“しつらえ”とは完全に切り離された、祈りのドラマにシフトさせたいと願っています。
幻想の中の王様ではなく、広大無辺の海の中の一点でありたいです。
(変容について、次回に続きます。)