新しいことをすると奇を衒ってることになるのか?
名古屋でカラダアソビ→ダンスというダンスのワークショップを割に定期的にやっています。講師はダンサー香取直登さんです。
年に一度ぐらいのペースで、香取さんのパフォーマンスも企画します。
さて、最近考え続けていること。
何か新しいことをやることと、「奇を衒う」ことの境目、というか、新しいことをしたいけど、奇を衒ってると思われたくない!
最近、いろんな公演を見て、(今から書くことは決して誰かの批判でなくあくまで私の感想です)感じたことは、
新しいことやろうとして、
・詰め込み過ぎちゃう
・意図はわかるけど何か不自然(何かの匂い嗅ぎながら踊るとか)
・もうちょっとだけ説明してほしいー…私の予習不足か?いや、舞台に予習要るのかなあ?
等々。自分がパフォーマーではないけど、主催をさせてもらう公演は奇を衒ったものでなく、かつ新しいと観る人に感じてもらいたいと考えていたんだけど……
まだ未定のことが多すぎて漠然とした伝え方になるのですが、チェロ1本とコンテンポラリーダンス、ダンサー1人の公演をしたいと思っています。
ダンサーは香取直登さん。稀代の美しいダンサーだと思っています。チェリストも同じくとてもとてもすごい人。
このお二人のパフォーマンスをいろいろ見る機会があって、いろいろ考えた。
ただ立っているだけで、振り返ったり指先を動かすだけで、ストーリーを生み出す、体に踊りに説得力のある香取直登さん。
一音一音心に響く音を生み出すチェリスト。
この二人が舞台で出会うだけで、もう十分、唯一無二。
私は何を小賢しく考えてたんだろうなあ。新しいこと、何かやってやるぞ、みたいな意気込みが恥ずかしい、と考え至った今朝。
ま、ぐるぐる考えることは大切ですね。
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