人生は時間の使い方でできている
夜道を歩いて帰ってる時に
ふと、受験生の息子さんのことを思い出したのです。
塾行って学校行って、勉強して。
その間のほんの隙間時間で、ゲームしたり。
ほんのちょっとしか自分の好きなことする時間
ないんやなぁ。と思ったら
すごいなぁ。と。
今のわたしに勉強しろって言われたらそんな時間ないもんなぁ。
と、ふと思いながら帰っていました。
おんなじ24時間なのに、
時間の使い方が全然ちがう。
同じ時代にいるのに、まるで違う世界にいるみたい。
あの頃、何かを勉強するために使ってたじかんが確かにあったのに、
今はそれを抽出する枠がないのは
なんか変なのー。と不思議に思いました。
パツパツに使う24時間。
持て余して仕方ない24時間。
それでも同じ24時間。
カラダは食べたモノでできるし
人生は時間の使い方でできてる
そう思います。
もし、本気で勉強したいと思ってるなら
何がなんでもその時間を抽出するでしょう。
今の生活のなかでも。
だってどんなに疲れていても、推しを見る時間は
何がなんでもわたし達、確保するのですから。
つまりは、時間がないで済ませることは
ほんとーーーは別にさほどやりたくないことなのです。
お金がない。でやらないも然り。
本当にやりたいこと、見たいもの、欲しい事は
時間があろうがなかろうがやるし、
お金があってもなくても、やってます。
24時間じゃ足りない!って思っちゃうのって
いらんことやりすぎてる証拠なのかもね。
立場が増えて、やるべき仕事が増えたと思ってる
けどそれは本当に本当ーーにやるべきことなのか?
立場とか全部なしにして、
やりたいことが明確にリアルに、描けてれば
削ぎ落とせる時間があるのでは?
てかそれってわたししか本当にできないこと?
むちゃくちゃ、冷静に考えたら
やりたくないことやってるって
暇つぶしでしかない。
この地球にきたのも、遊びに来てる
っていう感覚であるなら暇つぶしみたいなもので
(ソウルフルワールド的な)
暇つぶしの世界でさらに暇つぶしてるなら
そりゃ人生面白くないに決まってるやろ!
1分、時間の使い方を変えれば
人生はすぐに変わる。
朝起きて1分、深呼吸する時間にあてれば
ほら、すぐに人生は変わる。
誰も同じ人間じゃないけど、
裸で産まれてきたっていう事実は同じで、
特別な人間なんて誰もいないけど、
でも、全員キラメキを持って産まれてきて
全員個性を集めて産まれてきて
だから特別。
誰かと比べた特別なんていないけど、
存在自体が、特別。
あるけどない。陰と陽。プラスとマイナス。
そんな感じ?
世界を見る目が変われば
人生はすぐに変わる。
その目を手に入れたかったら心を変える。
心を変えたかったら
一緒にいる人か環境を変える。
そういうの全部変えたかったら
時間の使い方を変える。
そんなことを思います。🌈