見出し画像

OHIME SAMA CHIRASHI - バズらないにちようび


当方、アメリカはサンフランシスコに住む会社員。
本日はエモミーマウスめでお送りします。小説とかラジオとか聞いたからかな、ダサっ。
ちらし寿司食べてたら姫を押し付けんな、とキレてた話です。

***

私が住むサンフランシスコ、シリコンバレーは高給取りのワーカーも多く、物価が非常に高い。

一方、私はここの水準だと低所得者にも分類されるような所得の人間だ。

しがないとへりくだっては言うが、一応私の人生の主役である。

ここに住んでいると、日本食は決して安いオプションではない。

なので、たまに日本食スーパーに行くが、あれもこれもと買ったりしなくて、代替がないものや贅沢品として買っているエモミーマウスなのだ。

そんな贅沢品の中でも、何かしら言い訳をしては購入するのが、海鮮丼だ。

日本ほど生魚を食べる文化が多くないアメリカでは貴重。

画像1

(通称聖地。。。画像ソース

とは言っても、日本のスーパーやお惣菜コーナーの海鮮丼にはやや劣る。
でもこれが、私の現在の射程圏内の海鮮丼限界値なのだ。

この日「も」特別だったので、海鮮系のできあいの弁当、海鮮ちらしを購入。
具の種類が多く、サーモン・マグロのいつメンに加えて、アジやハマチもあったので、迷いはなかった。

朝から何も食べずに買い出しに駆け回り、用事を一気に終えて、帰宅。
空きっ腹に急に炭水化物入れると血糖値急上するな〜とか一応考えてサラダファーストしつつ、海鮮ちらし寿司をかきこんだ。

プラスチック容器で食べるのもなんだから、お皿に盛りつけようとは思ってたんだけど、盛り付けもそこそこに、さっさと食べた。

カジサックが200万人突破したからナイナイ矢部氏を呼んだとかで、そんなYouTube見ながら食べた。


醤油は濃口しか持ってないから、これはちらし寿司にあってるのかかもわからないけど食べた。

こんな些細な日常に、ベストとは到底思わないけど、自分で自分を満たす力は持っているかなとは思う。

食欲を満たし、ほっと一息。空になって、米粒が残る海鮮ちらし寿司のプラスチック容器がふと目に入る。


商品名「OHIME SAMA CHIRASHI」


げ!
急に恥ずかしくなった。
自分のご飯と思って買ったけど、お姫様用のちらし寿司を自分で買っていたのか!?


なんか急に恥ずかしくなった。

日本のお笑いYouTubeで芸人の苦悩に傾聴して、濃口醤油かけたちらし寿司かき込んでた私のどこが姫だよ。

買い出しでスーパー3軒回って、自分の車もないしウーバーも使いたくないから、指引きちぎれそうになりながら買い物袋持って、サンフランシスコの坂道を歩いた私のどこが姫だよ。

むしろ姫の使い。

日本食スーパーのレジ店員が唯一、私がOHIME SAMA CHIRASHIを買ったことを知る人物だが、

彼女に、「こいつ、自分が姫に値すると思ってこのちらし寿司を買ってるのか」

もしくは「姫になりたい願望でもあるのか」、と思われてたらと想像すると、、、食べ終わったちらし寿司の後味はなんとも重いものになった。

画像2

(食べる前に写真も取らないくらいお腹空いていた)

「お姫様」がトラウマ

私はこの言葉と一生無縁でいたい。

いや普通の人なら、上流階級・社長令嬢とかでもなければ、お姫様と縁があることはないはずなんだよ(オタサーの姫除く)。

お姫様と仲良くなれる気もしないし、お姫様になりたくないし、お姫様がスタンダードみたいになるの気持ち悪い。

関わりたくないんです。

どうも幼少期に、お姫様ハラスメントとでも呼ぼうか、居心地の悪い思い出がある。

天の川での面会を拒否する織姫

私の通っていた幼稚園では毎シーズン、季節にちなんだイベントや体験をさせてもらっていた。
私は七夕でのお姫様ハラスメントを、今でも覚えている。

女子が織姫に、男子が彦星になって、ペアになって写真撮るという地獄ゲーがあった。

しかもそのペアというのも先生が決めるんじゃなくて、なんか園児同士、自分たちでマッチングさせていくというものだった。

すごい、今思うと、どっかのリアリティーショーみたいなことしてる。

とにかく、ガキ大将は、マドンナをゲットし、なんか他の子たちも決まっていった。
みんな純粋無垢な気持ちでサクッと声かけてたんだろう。

一方私は「姫になりたくない。一緒に写真撮りたいヤツなんていない。」とモタモタしていた。

結局余り物になったイヤイヤ織姫は、余り物のモジモジ彦星と写真を撮った(すまんAくん)。

今も嫌な思い出として、私のそんなに大きくない脳内メモリーの容量を食ってる出来事だ。

あー、いっそのこと、牛車引いてる牛役にノミネートしたかった。

その後、写真は無事、現像されたが、織姫になってる自分の写真を見るだけでも武者震いした。

白雪姫やるくらいなら毒りんご食った方がマシ

小学生の頃、友達の誕生日会で、ゲーム大会があった。それも結構ファンシーなご家庭(下心w)。

そのゲームで1位を狙って、見事1位となった私は景品が楽しみで仕方なかったのだが、なんと1位は白雪姫のコスチュームを着て写真が撮れるというもの。

罰ゲームかと思った。

主催のファンシーママにはそこまではまでは言わなかったが、辞退を申し出たい旨、伝えた。

2位と入れ替えてくれと(一応景品はいただきたいw)。

相変わらず可愛げのない交渉だけど、1位になって、自分の欲しいものを手に入れるという精神は我ながら褒めてあげたい。

結果、もともと2位だった子は、白雪姫のコスチュームとなった。
私は2位の景品を手にし、みんなで集合写真を撮った。

私は白雪姫の「小人」となれて本望だった。

2位の景品がなんだったか覚えていない。でも、1位の景品が絶対やだったこと、断ったことは覚えている。

画像3

(こんな感じだった。身の毛のよだつ体験だった。画像ソース

なんでこんなにお姫様アレルギーになった?

七夕、白雪姫、さらに付け加えると、七五三も大っ嫌いだったし、幼稚園の薄ピンクの園服も意味がわからなかった。

散々、自分の幼少期の姫ハラスメント・トラウマについて語ったが、

一応つけておくと、私はセーラームーンにどハマりしたし、ディズニープリンセス系映画もみて育った。
好きになるのは異性。

それでもお姫様嫌いがあったのは何故なのか。
これは完全に私の持論であるが、以下のような理由があるような気がしている。

※この持論での「お姫様」はディズニー映画の初代プリンセスである、白雪姫、シンデレラ、オーロラ姫あたりがその像に近いです

1) お姫様 = 可愛がられる = 舐められてる

「可愛がられる」から「舐められてる」までのひねくれがすごいが、どうも私の思考回路はこんな感じらしい。

お姫様は日頃から大切に、守られており、お世話をしてくれる人がいる。大事な王様か貴族の娘だからね。
だいたいにして、顔可愛い、性格良し、ならそりゃ可愛がられるよな。

なので、困った時は、まぁ大体周りがなんとかしてくれる。

しかしこの、「可愛がられる」というのが、一見大切に扱われているようで、なんか舐められている気がする。
姫は可愛がるもの、姫は守るもの、みたいな周囲の思い込みなのかエゴなのか。

「何もできないからやってあげますー」とか「僕が助けなければっ(彼女は自分ではできないだろうから)」みたいに思われているようで、姫のスキルは期待・発揮されない。

実際に助けてもらったら、姫もそれを受け入れ、感謝するしね。

自分の命くらい自分で守ったほうがいいぞ。

確かに助けが必要となることはあるが、ここを助けありき・他人任せにしてたら、何もできないと見られてもしょうがないし、王子に裏切られても王子を訴えることは難しいかもしれない。

そんな感じで、自分の力を期待されていない、発揮していない、舐められている(極端w)お姫様は、憧れどころが、苦手な存在だ。

2) 純粋にお姫様は面白みがない

彼女たちの人生は面白みがない。

もちろん継母にりんごで毒殺されかけるという波乱万丈の人生はあるが、何か自分の気持ちで、自分で、周りに対して何かしただろうか。

私は自分で、周りに対して何かしたいと思うので、お姫様たちの人生は面白くないな、と感じた次第です。
(あと普通に冗談のひとつも言わないので面白くないw)

ちなみにこれは大人になってからさらに強く思うことだが、
辛抱強く我慢した、助けてもらったそのゴール・ご褒美にイケメン王子様と結婚、というのもいよいよ意味が不明だった。

別にこれを好きな人もいるんだろうし、それを否定するつもりもないですが、
私はまーーーーーーったくお姫様たちに憧れなかった。

女子のみんながみんな姫になりたいだなんて思ってないし、姫も多様化している

ただ私が囚われているお姫様像は、少し古いお姫様像なのかもしれない。
上述した通り、私が最初にインプットしたお姫様情報は、主に、ディズニー映画の初代プリンセスである、白雪姫、シンデレラ、オーロラ姫あたりだ。

もちろんこれはすでにアップデートされ、お姫様のタイプも多様化している。

ディズニープリンセス中でも神7的な存在である、12の映画・キャラクターを、私の知る限りの知識で、まとめてみてもその進化が見られる。

ディズニープリンセス 

(シュガーラッシュ2ではディズニープリンセスの同窓会状態で集まっており、たまに自虐っぽいネタが出てくる)

<いわゆる「ドお姫様」>

・白雪姫( 1937)
超待機型の姫である。冒頭の曲では「I’m wishing for the one I love to find me today (愛する人が、今日、私を見つけてくれると願っている)」と発言する。 しかも井戸頼み。で、王子が見つけてくれる。
さらに中間でも「Someday my prince will come(いつか私の王子様が来てくれる)」と加える。

・シンデレラ(1950)
彼女の下剋上に関しては、フェアリー・ゴットマザーがグッジョブすぎる。また、ガラスの靴が履ける人を探して王子が街を回っていた時も、家のネズミたちの功績が目立つ。

・眠れる森の美女( 1959)
まず、生まれて間もなく、妖精に3つのおまじないで守ってもらう。
あとは果報は寝て待て式。針触っちゃって、寝て起きたらフィリップ王子と結婚。

<姫、「動きます」フェーズ>

・リトルマーメイド(1989)
冒頭から好奇心旺盛さを見せる。また、自分の声を犠牲にして、人間になりたいという目標を達成。

・美女と野獣(1991)
ベルが、色男ガストンをガンガン断る様は見てて清々しい。囚われていたお父さんの身代わりにもなる。野獣が刺された最後は、落下しそうになる野獣を引き上げているのも注目w

・アラジン(1992)
ジャスミンも宮殿を出ようとマジで必死。そう、まさに姫からの脱却である。

<体張りまくりフェーズ>

・ポカホンタス(1995 )
ポカホンタス至ってはジョンスミスを処刑から守ろうとする。

(安定した、許嫁との結婚ではなく、険しい川を選ぶ最後のシーンがいい。歌ももちろん良い)

・ムーラン(1998)
父親のために、自分の髪を切って、男装し、入隊してガンガン戦う。レベチ。

<冒険出まくりフェーズ>

すみません、ここら辺から私もつまらない大人になり、全部見切ってないので浅いです。
だた、どれもプリンセスが目的のために旅、外に出て行って、姫像のいい塩梅を探って行ってくれてる気がします。

ラプンツェル(2010)は自分の魔防の髪の毛を犠牲にユージーンを守るし、彼女のフライパンという武器もトレードマークになってるし。

自分の中の違和感や周りとのズレを大事にしてみる

こう振り返ってみると、私はディズニーでいうところの初期、ドお姫様像にとらわれ過ぎていたのかもしれないが、
やはり私の幼少期は姫ビッグスリーが幅を利かせていたので無理もないと思う(ちなみに姫ディスはしてますが、ディズニーは好き)。

私は天邪鬼なところもあるので、姫ビックスリーに屈することなく、自分の中の違和感をたもってきた。

しかし、私の幼少期の頃のように、1種類の、強い姫像を見せることは、誰も幸せにならないのではと思う。

1タイプの姫一強型になると、その姫像に共感できない人としては、

それから外れると、「変」なのか


それに当てはまらないと「負けなのか」


それが手に入らないと「不幸せなのか」

欲しくもないのに押し売りされる

となる。

また、姫に憧れて姫を手に入れても、本当に自分が欲しいと思ってなかったら、
姫の座を手に入れたところで、「もっと羨ましがれよ!」とか「全てを手に入れたと勘違い」とかなりかねん。
あとは別の種類の姫が流行り始めたら、かつての姫の座を手に入れた人は消耗される・衰退と見なされるのか、とか。

これは姫でなくても、キャリア像とか恋愛のあり方とか他のことでも同様に言えると思う。

世間様が決めた「これをみんな目指しなさい!」を求めるよりも、自分がそれを欲しいと思ってるのか否かの基準を持っておくようにしたいものである。

それが周りと違っても別に良い。むしろそういうの私は好き!

まずは自分が「なんか居心地悪いな」と感じる違和感などが、ヒントにもなるかもしれない。
あと、自分だけでは気づきづらい、いろんなものに触れる機会が多くない、という場合もあるだろうから
いろんな人の話、コンテンツを吸収すると良いかもと思っている。

そんなone of themのコンテンツになればと、自分のことを書いた。

時計が深夜12時をまわる。私は姫にはならず31歳になった。

いいなと思ったら応援しよう!

🇺🇸マーケティングノート by yasuko
サンフランシスコリサーチ軍資金に致します、はい。