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オランダ教育実践「社会が先か、子どもが先か」

子どもってすごい豊かなんですよね、心が。小さければ、小さいほど。紙がこすれる音だけで何分も遊んでいたり、道端のきれいな花の存在に気付いてママにプレゼントしたり、パパの顔を見ただけで満面の笑みになり、ホウキにまたがって空に飛ぼうとしてみたり。

片や、僕たち大人って。気が付けばスマホを触り、どうでもいいような情報に目を通し、なんでも知ったような気になって、ただただ時間を消費していく。どこかに旅行をしてみて、旅行をしたという事実に満足をして。

ま、それはそれで良いとは思います。が、子どもか大人、どっちが豊かな心を持っているんだろうと、ふと考えたときに、

『あー、子どもってすごい豊かだな。素敵な存在だなー。』って思いまして。

今ある社会に、適応させるような子どもを育てるのでなく、子どもがもっている豊かな心を、めーーーーーーーーーっちゃくちゃ大切に育てて、その子たちが考える?その子たちが素敵だなと感じることのできる社会を作る方が、素敵な社会になんじゃないかって思いまして。あの感性をもったままの大人が作る社会って、楽しそうじゃないですか?ジブリの世界みたいな世の中ができるのかなーとか、お菓子の家ができちゃうかーとか色々想像が膨らみますが。きっと、今の世の中にある、多くの問題が消え去るような気がして。

ま、とは言え、そんな極端などっちが良くて、どっちが悪い、AかBかみたい話ではなく、小さい子どもの感性や豊かさを尊重できる、そういう社会ができたら素敵だなって。


工場(会社)型?上から下への学習システムは壊れてる?

先日勤めている学校で研修があり、その中で、計算(日本でいう算数)やCITOテスト(全国学力テストに近い)の結果の分析をしているときに、同僚(パトリック)が珍しく感情を露わにして怒っていました。担当の同僚にというより、そもそもオランダの小学校で採用されているCITOテストを中心としたオランダの学習システムを強く批判していました。

パトリック曰く、

『例えば、体育の立ち幅跳びで、Groep8(小学校6年生)の平均は200cmだから、Groep7(小学校5年生)では、190cmまで跳べるようにしないといけませんってなったら、子どもはどう思う?隆?』

『いやー、それは途端に体育がつまらなくなるし、苦手だなって思う子も続出して、人前で運動するのが怖いっていう子も出てくるよね。』

『そうなんだよ。だから、このシステムは(俺は)壊れたシステムだと思ってるよ。』

と、言ってました。

その数週間前にも、オランダ語でいうLezen(読み)のテストが個別で行われており、パトリックと自分がたまたまそこに居合わせました。テストは、テストの直前にテキストを渡されて、それをどのくらいの時間で、何個ミスなく読むことができたか、というものでした。子どもがそのテストを読み終えると、監督役の先生が、

『35秒、ミスは2つで、ココとココね。今、あなたは〇〇レベルだけど、次は〇〇レベルの本を読んでね。』

という感じでした。

パトリックは、子どもが読み終わる度に、

『〇〇はすごく感情を込めて読むことができるね!』

など、一人ずつに声を掛けていました。

その日の最後にテストをした男の子は、テストの基準で言えば、きっと基準に満たすような読みはできていなかったかもしれませんが(ミスが10個以上あり、時間も他の子に比べると多くかかっていたので)、すごく堂々と、はっきりとした声で、しかも、声が、何とも心に染み渡るような、少しハスキーなんだけど、透き通った声をしており、非常に耳触りが良かったので、その事をパトリックに少し助けてもらいながら、その男の子にその事を伝えるとすごく嬉しそうにしていました。話しかける前まで、テストの結果が悪かったため泣きそうになっていましたが、何とか笑顔で教室へ戻れました。

その時に感じたのは、もちろんノーミスで、すらすらと読める子も何人かおり、当然監督役の先生は、『素晴らしい!よくできたわね!次のレベルに行けるわよ!』と手放しで褒めるわけですが、自分は、逆にすらすらと読んでいるからか、非常に機械的で、彼らの読みからは、何も感じる事ができませんでした。その後、その事をパトリックと共有し、

『社会が求める能力を子どもに身に付けさせるようにすると、できていない所を探して、こことここが出来ていないから、ここを出来るようにしないといけない。さもないと進級できませんとなる。そうなると、出来る事が当たり前になって、子どもの良い所が見えない学校になっちゃうんだ。隆は気が付いていたけど、〇〇君のあの読み方は俺も感動したし、あれが読みの良さだと思うんだけど、今のこのシステムでは、そこは評価されないんだよ。そんな学校システムはダメだから、隆!一緒に新しい学校を作ろう!隆が校長で、俺は体育の教師として雇ってくれ。あ、でも教育システム自体を変えないと意味ないか。』と冗談交じりに現行のオランダの教育システムを結構批判していました。

自分は、だからこそ、そういった数字では測れない部分を評価、支援できる生身の教師の必要性があるんだなと思いました。

また、日本とオランダしか現場経験がないので何とも言えませんが、先進国と言われている国の教育というのは、どうしても能力主義的な流れになってしまうのかなと思います。

小学校教科担任制度、体育は心配

少し話は変わって、自分は今、オランダの小学校で、Groep1-8(4歳-12歳)の年代に授業をしています。加えて、時々学校に隣接している保育園児(2歳半-4歳)にも授業をしています。

日本では、高校で2年間、中学校で8年間体育教師として働いていたので、トータルで、かなり幅の広い年代に対しての経験があります。

来年度から日本の小学校で、教科担任制度が始まり、体育では中学校の体育教師が、近隣小学校へ授業をしに行くという情報を耳にしました。まだ、始まってもいない制度ではありますが、個人的にちょっと怖いなと感じています。

というのも、日本での教員時代にも、小中学校連携という事で、中学校の先生が小学校へお邪魔して、次年度に入っている子どもたちの様子を観察したり、情報共有する機会がありました。が、今思い返しても、なぜか、中学校の方が何となく立場が上で、中学校へ来るまでにこれとこれくらいはできるようにさせてくださいね。みたいな、要求をする場になっていたような気がします。だから何となく、中学校の先生が、しかも、もしかしたら、小学校の指導経験のない先生が授業に行く可能性もあるという事かなと想像していますが、、、余計体育嫌いの子どもが増えてしまうような気がします。

より、種目の専門性に重きを置いて、できるできない、能力主義な授業が増えてたら怖いなと。

これは、自分が経験して感じた事ですが、まず、小学生と中学生は、表現の仕方が悪いかもしれませんが、違う生き物と言ってもよいと思います。ましてや、一学年違うだけで、更に、一人一人の発育発達の状況も丸きり違います。当然、住んでいる地域や、時代、社会のありとあらゆる影響を受けて育ってきているわけですから、もはやそこに“平均”みたいなものは存在しません。

それでも、これまで出会ってきた同僚の中には、

『今の子たちはボールを投げたり、キャッチすることすらできないから、授業なんて成り立たないわよ!』

みたいなことを平気で言う人もいましたが。もはや、そんな事は当たり前で、そういう子たちにどうスポーツの楽しみを伝えられるかが、僕たちの専門性なのではと思っていました。

と、少し話は戻って、もはやそこに平均は存在しないわけで、じゃ、何ができるかって言えば、教師が目の前の子どもたちをよく観て、その子どもたちに必要なサポートを一生懸命やるだけでしょと。上から、あーだこーだ言われるかもしれませんが、そんな事は言わせておけばいいと思います。そもそも基準なんか存在しないんだから。今はできないかもしれないけど、3年後にはもしかしたらできるようになるかもしれないし。だから、もし、中学校の体育教師の方で、小学校へ授業を行く人がいれば、まずはその子たちをしっかり観てほしいなと思います。連携って、お互いを理解し合うことがスタートだと思うので。

これは、特に体育だけに限った話ではなく、高大連携、中高連携、小中連携、幼小連携など、全ての場面で言えるなと思います。上から、言われたことに従ってやってたら、教育は衰退?干からびる?枯渇?どう表現するとよいのかわかりませんが、良くはないと思います。もちろん、その中で意見が合う事があれば、それはそれでいいと思いますが。とにかく、子どもの目の前にいる教師が、一番その子どもたちの事を理解しているんだから、堂々と胸張っていればいいのかなと思います。そして、お互いの立場や状況を理解し合う事で、良い連携になるのかなと思います。

オランダの体育の授業は素晴らしい

最後に。ここまで色々書きましたが、オランダの体育は素晴らしいです!日本のやり方とは違い、種目を学ぶことが中心ではなく、動き方(揺れる、バランス、跳ぶ、正確に投げる、強く投げるなど)を学ぶことが学習の中心にあり、とにかく楽しむことが何よりも大切にされています。できるできないに全くフォーカスされていないので、他人と比較される事がなく、のびのびと身体を動かしています。その結果、少なくとも自分とパトリックが受け持っている子どもたちは、みんな体育が好きです。体育嫌いの生徒はいません。保護の観点から、こちらに載せられる写真が限られてしまい、文章だけではうまく良さを伝えられませんが、今後帰国した際にワークショップをしたり、オンラインミーティングなどで情報共有していけらたと思います。

実際にオランダで働き始めて8か月。まだまだ道半ばですが、色々と見ながら、感じながら、やっていきます。Doei!! Tot volgende keer!!

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