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夕陽のカスカベボーイズから考える映画と現実。

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ

もう設定から引き込まれた!

映画の中の世界に迷い込む。
その世界には映画ならではの不思議な現象が存在していて、それを解決し、脱出できるか!?
というストーリー。

そして最後には、この映画の内と外のある決定的な違いによってもたらされる悲しい結末が待っている。。。

ボーちゃんの髪型カッコ良いし。
最高な映画。

映画の中には映画の人がいて、映画の外には(観ている我々)現実の人がいる。うん。これが当たり前だ。


いやちょっと待てよ。


果たして本当にそうか?

もしかしたら逆で、映画の中が現実で、映画の外が映画なのかもしれない。そんなことを考えていたら眠れなくなった。笑

#クレヨンしんちゃんで眠れない

けど、映画が現実だとすれば、映画を作ることは、現実を作ることであって、その映画自体には、当時の人間や景色や匂いを閉じ込めておけるんだ。魔法の箱だな。タイムカプセルだなこりゃ。

そして、そのカプセルはこうやって日常の隙間で、いつでも開けることができる。

映画はタイムカプセルである。

これは今僕が考えた名言風の言葉だ。もしかしたらどっかの誰かが言っているかもしれない。笑

映画と現実を区別するものなんて、たった一枚のスクリーンだけなんだから、こちらが現実だと思ってる世界の向こう側に映画の中の観客がいたっておかしくない。

例えば、映画が現実を映画のように見る映画があっても良いじゃないか。そんなもんなんでもありじゃないか。

映画の中に映画があって、またその中に映画がある。映画がタイムカプセルだとすれば、タイムカプセルinタイムカプセルだ。

果たして一体それは何を意味するんだろう?

こんなことを考えるだけでも楽しい気持ちにさせてくれる。

とにかく僕たちは生きている限りこうやって素敵な映画を見ることができる。最高じゃないか!

タイムカプセルをいっぱい掘り起こしていきますわ!

これからもそんな僕のタイムカプセル掘り起こし記録をこのnoteに書き起こしていきますんで、よろしくお願いします!

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