氷の溶ける時間。
「日本語の良いところは、曖昧で伝わりにくいところだと思わない?」
彼女はそう言うと、汗をかいたアイスコーヒーにガムシロップを入れた。
目の前には4つのドーナツ。
チョコレートは溶けると言う理由で、今日はシンプルなものばかりだ。
まだ3月だというのに桜は咲き急ぎ、太陽も暦の先へ急ごうとしている。
入学式を終えたばかりの親子が、笑いながらドーナツを頬張る横で、僕と彼女は薄手のカーディガンを椅子にかけ、コーヒーを飲んでいる。
僕の今日の目的は、彼女への誕生日プレゼントを探すことだ。
彼女の欲しがるものの、検討もつかない僕はただ、大型ショッピングモールへ足を伸ばした。
『どういうこと?』
僕は少し考えながら彼女に聞く。
もっと言えば、考えていたことは、この後何を見てまわるかであり、僕の耳には、彼女の言葉の半分も入ってきていなかった。
「伝わらなかったでしょ?」
彼女は小さく笑うと、今度はミルクを入れて赤いストローで混ぜる。
細いストローは彼女の指をより細く感じさせ、爪の赤いマニキュアはより彼女を魅力的に感じさせた。
「直接的な表現は避け、間接的に物事を伝える。君が相槌をうつことで私は安心するし、君は私の伝えたいことを考えることができる。」
僕はますます混乱する。
『言葉を理解するんじゃなくて、相手の気持ちを理解しようとすることが大切ってことかな?』
僕は何とか纏まった思考を口にすると、彼女の反応を待った。
話を聞いていなくても、合わせることができるのは、僕の特技でもある。
それは、他人の顔色を伺ってしまうという、悪い癖からくるものでもあった。
「それは当たり前だと思わない?私が言いたいのは、遠回しに伝えることで、直接的に伝えるってことなの。遠回りしてたつもりなのに、実はそれが一番の近道だったってみたいにさ。」
僕は話し半分で彼女から視線をそらす。
ドーナツ屋の隣にある、彼女の好きそうな色の財布に、目をとられていたからだ。
「ねぇ?話聞いてくれてる?」
僕は『ごめん。』と呟くと、彼女の目を見て、少し目を伏せる。
「私の欲しいもの、教えてあげようか?」
彼女は唐突に僕に言葉を投げかける。
彼女は僕の今日の目的など、お見通しだったのかもしれない。
僕は今日の目的をさとられないよう、平常心を保つように彼女に答える。
『急にどうしたの?何か欲しいものがあるの?』
僕はぎこちない笑顔で彼女に尋ねると、彼女は指についたガムシロップを舐めてから呟く。
「私が今、1番欲しいものは、君の相槌だよ。」
彼女はコーヒーを一口飲むと、さっきの話の続きを始めた。
僕は今度は、彼女の話に頷いて、自分の言葉を返す。
目の前のドーナツは、あっという間に無くなり、僕と彼女はもう1つずつドーナツを注文した。
氷が溶けて薄くなったコーヒーは、余りに早く過ぎる時間を少しだけ愛しくさせた。