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アクトオブキリング

インドネシアで行われた大量虐殺を題材にしたドキュメンタリー映画。1960年代にインドネシアで繰り広げられた大量虐殺の加害者たちに、その再現をさせながら彼らの胸中や虐殺の実態に迫る。 ジョシュア・オッペンハイマー監督作品。劇場公開時に観に行って、受けた衝撃は今も強くこの身体に刻み込まれている。

今回のダナルト『Rintrik-あるいは射抜かれた心臓』には直接的には描かれていないが通奏低音のようにこの大量虐殺とその後の政府の行為のことが響いている。先日ジャカルタチームとのオンラインミーティングで直接、聞いたのだけど、今でもこの映画はあの国では”タブー”のように扱われているらしい。

1965年のインドネシアで起きた共産党関係者(華僑も含まれていたといわれる)の大虐殺自体がインドネシアでは”タブー”というか、触れられたくない/たくない過去になっているのだと思う、ジャカルタチームに聞いた言葉では、その後の「(政府に)捨てられた世代」という言葉が強く印象に残っている。

ダナルト『Rintrik』は、理由も明確に説明されず、生れたばかりの赤ん坊が日に20人、30人といつからか捨てられるようになったある”谷”が舞台。その捨てられる赤ん坊がインドネシア政府に「捨てられた世代」のメタファーなのだろう、と彼らの一人が説明してくれた。

ダナルトの『Rintrik』は、不思議な作品だ。これは『Rintrik』が含まれているダナルトの短編集(Godlob)の表紙の一部。もともと『Rintrik』には実は小説のタイトル(言葉)がなくて、この2つ目の”射抜かれた心臓”が正しいタイトルで、通称として登場人物のRintrikがタイトルとして扱われている。

あるいは射抜かれた心臓ーそれは、この図柄を説明したタイトルだ。

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ダナルトの『Rintrik』は1965年のインドネシア大虐殺が色濃く反映されている、それ故か、一見ファンタジーあるいは宗教小説でありながら、明らかに社会を扱った批評的な小説でもある。しかし、一読しただけではそれと分からない。そこをどう、舞台化するか。しないか。

あるいは、日本-インドネシア国際共同制作のための準備段階としての試作としての側面もある今回のshelf作品としての『Rintrik』に、インドネシアの事件と同様に日本で起きた政治的な事件を、どのように潜みこませるか。否、世界中で起きている様々な悲劇を。

直截に社会的な事件を描くには、僕はそういう作家じゃないと思っている。しそもそも僕には向いていない。といってそれを普遍性として描くこともあまり好きじゃない。あくまで個別具体的な、そこにある俳優と観客との身体、という存在、集まりから立ち現れるその場一回限りの出来事として立ち上げたい。

shelf、3年ぶりの新作『Rintrik-あるいは射抜かれた心臓』チケット発売中です。なかなか劇場にはまだ足を運びづらい時期かも知れないけれど、一人でも多くの方に見に来て欲しい。

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『Rintrik-あるいは射抜かれた心臓』
2020年5月6日(火)~10日(土)@The 8th Gallery, CLASKA

作/ダナルト
訳/山下陽子
構成・演出・美術/矢野靖人


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