テーマ「自立」「相互理解」
noteのサークル『ストーリーラボ』では、年始くらいから時々口にしているのですが、私の創作テーマは「自立」と「相互理解」です。
これは昨年10月に行った「駆け足世界一周旅行」での総括でもありました。
自分がクリエイターとして向き合いたいテーマとはなんだろうか?
今、何を作るべきだろうか?
そんな高尚なことばかり考えてストーリーを作っているわけではないのですが、久しぶりの長い旅行というのもあって、なんとなくそんなことを意識して、頭の片隅に走らせていました。
昔から「自立」や「相互理解」に近い言葉は使い、あるいは「混沌とした世界で、踏ん張っている姿を描きたい」というようなことはよく言っていたのですが、「自立」と「相互理解」という言葉に落ち着いた感じがしています。
ちなみに「自立」と「相互理解」は両方必要だと思っていますが、「自立」の方を優先的に考えています。
現実問題においては「自立」なき「相互理解」が目立ち、それゆえうまくいかないように見えるケースが多い気がしています。
「自立」の定義も曖昧ですが、経済的自立、社会的自立などいろいろなニュアンスがある中で、やはり私は「精神的な自立」というものが大事だと思っています。
精神的自立をまとめると大体以下のように言えるようです。
私は「自己認識」の部分が特に大切だと思っていて、もっと言えば「自立」=「自分への理解度」というニュアンスで捉えています。そういった自立であれば、奪い合うことなく誰もが達成することができ、いろいろなことが解決されるのではないかと思っているのです。
「相互理解」に関しては、少し前までは「多様性」というような言葉を使っていた気がしますが、三宅陽一郎さんと話をして「相互理解」の方がしっくりきたので言い替えました。
映画やドラマに関しては、必ずと言っていいほど「相互理解」的なテーマが含まれますが、逆に言えばそれだけ難しいからでしょう。自分のこともままならないのに、他人との分かり合えるはずがない。
パートナー、家族、コミュニティ、国、世界と大きくなればなるほど相互理解は難しくなって当然です。またそれぞれの風土や宗教によって、自立のベクトルが違うことで、より相互理解も困難になります。
「相互理解」には以下のような要素があるというのが私の考えですが、
現実的には、2つ目や3つ目の仕組みや技術の話になるわけですが、やはり私は1つ目の「感情や背景の理解」が重要だと思っており、そこには「自立」が関わってくると感じます。
相手の気持ちを理解し、おもんばかるには、自分の気持ちを理解し、一貫性があることが重要だと思うのです。
「自立」と「相互理解」は時に矛盾することはあるかもしれません。宗教上の対立などは、その例と言えます。ただ、私は「真の自立」と「真の相互理解」が揃えば、戦争もなくなると思っています。
その「キレイゴト」に向かって、何か自分が作るストーリーには、「自立」と「相互理解」の背中を押すものでありたい、そんな決意でこれからも精進していきたいと思います。
追伸
ヘッダーの画像は生成AI(Copilot)で「自立と相互理解」から作ったものです。