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第34回『ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ』(国立西洋美術館)/Tokyo Friday Night Art Club

昨日4月5日(金)は、2024年度最初の東京藝術鑑賞金曜夜行俱楽部のツアーでした。34回目です。
17時20分過ぎに事務所を出て、18時頃に上野に到着。
美術館目的で上野公園に来ましたが、周りは花見目的の方がたくさんでした。

ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?
――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ

会期 2024年3月12日(火)~5月12日(日)
会場 国立西洋美術館

戦前に収集された松方コレクションを収蔵するために建設された国立西洋美術館で、はじめての「現代美術」の企画展。
すごく実験的ですね。
このコンセプトを見て、訪問するのが楽しみでした。

この展覧会は、国立西洋美術館においてはじめて「現代美術」を大々的に展示する機会となります。こんにちの日本で実験的な制作活動をしている、さまざまな世代の20を超えるアーティストたちの作品が集います。
主として20世紀前半までの「西洋美術」だけを収蔵/保存/展示している国立西洋美術館には、いわゆる「現代美術」は存在しません。過去を生きた、遠き異邦の死者の作品群のみが収められているともいえます。けれども、1959(昭和34)年に松方コレクションを母体として開館した国立西洋美術館の成立前史の記憶を紐解いてみると、この美術館はむしろ、開館以後の時間を生きるアーティストらが所蔵品によって触発され、未来の芸術をつくってゆける刺激の場になってほしいという想いを託されながらに建ったということができます。しかしながら、国立西洋美術館がそうした「未来の芸術」を産み育てる土壌となりえてきたのかどうかは、これまで問われていません。
西欧に「美術館」という制度が本格的に誕生した時期とも重なる18世紀末、ドイツの作家ノヴァーリスは、こう書いていました。
 展示室は未来の世界が眠る部屋である。――
  未来の世界の歴史家、哲学者、そして芸術家はここに生まれ育ち――ここで自己形成し、この世界のために生きる。
国立西洋美術館は、そのような「未来の世界が眠る部屋」となってきたでしょうか。本展は、多様なアーティストたちにその問いを投げかけ、作品をつうじて応答していただくものとなります。

これは、とてもよかったです!
2時間くらいでさくっと鑑賞できると思いましたが、少なくとも3時間は鑑賞時間を確保したい企画展でした。
18時に行って閉館が20時。
今回は2時間しか時間を確保できませんでしたが、完全に時間配分を間違えました。もっとじっくり鑑賞したかった。。。

国立西洋美術館そのものを、あるいは美術館そのものを問い直すような作品や展示があったり、芸術や芸術家そのものの問い直すようなものがあったりして、ある意味、アートにどっぷりつかった企画展でした。
さらに、社会とアートの関係性を訴えるものや、人権や差別をテーマにした作品や展示があり、とても考える企画展でした。


そして、NPOの活動現場を素材にした作品群もあって、これがとてもよかったです。NPO活動も作品のテーマとなり、その作品を通じて、社会やNPOのことを理解してもらうきっかけにもなるものでした。

あと、企画展の最初に、国立西洋美術館の創設の話が掲載されていました。
写真撮影不可でしたが、「松方コレクション:国立美術館建設協賛展」のポスターの展示がありました。
建設資金を獲得するためのファンドレイジング(寄付集め)として、当時、一流画家600名以上が参加し、高額寄付者に芸術作品を贈呈するというすごいキャンペーンを実施していました。その贈呈した作品を集めた特別展が協賛展です。すごい取り組みですね。

上の写真をスマホで読み取ったものです。
誤字脱字などはご容赦を。

1951年のサンフランシスコ平和条約調印のさい、日本の首席全権だった首相の吉田茂はフランス全権のロベール・シューマン外相に松方コレクションの返還を申し入れ、これ以降、日仏両国政府間の交渉がはじまった。返還の条件としてそのコレクションを収蔵/展示する美術館を東京に建てるようフランス側から要望が出たのは1953年、さらにその設計者にル・コルビュジエ、また彼の弟子であった坂倉準三、前川國男、吉阪隆正が日本側の協力者に決まったのは1955年のことだった。やがて1959年1月に松方コレクションの寄贈返還の正式調印がなされ、同年6月10日に上野公園内に開館したのが国立西洋美術館である。
けれどもこの美術館は、なにも政府のちからのみで生まれたのではなかった。民間の多大な協力があってこそ、国立西洋美術館は設立されたからである。その中心となったのは、1954年に樺山愛一郎を会長として結成された「松方氏旧蔵コレクション国立美術館建設連盟」だった。松方コレクション返還交渉が資金面でなかなか進まないことを案じ、それを「政府にばかりまかせてはおけない」と考えた彼らは、約1億円を目標に基金募集をおこなった。これに協力したのは財界ばかりでなく、じつのところ美術家たちでもあった。その点で忘れてならないのは、1955年3月16日-3月20日に、京橋にあった国立近代美術館で開かれた「松方コレクション:国立美術館建設協賛展」である。この展覧会に展示されたのは、財界関係などの寄附をしてくれた相手がたに返礼として渡すための美術品だった。寄贈返還される松方コレクションは西洋の絵画や彫刻などであったにもかかわらず、会派やジャンルの差異を超え、洋画家と彫刻家はもちろんのこと、日本画家、工芸家、版画家らもが出品し、総勢は600名近くにおよんだ。
ただし、こうした美術家たちの協力体制が滞りなくできあがったのかといえば、けっしてそうではなく「一部には反対もあった」らしい。松方コレクション返還と美術館建設のために作品を提供することを渋った面々も、当然ながらいたというのである。ところが、そのような論調にたいし、美術家連盟会長だった安井會太郎が立ちあがり、つぎのごとく語りかけたと伝えられる一「みなさんのおっしゃることはよくわかる、しかし〔松方コレクションの〕絵がもし返ってきた時、誰が一番これの恩恵を受けるんですかと、それは日本国民全部かもしれんけども直接的には我々美術家じゃありませんか」。すると、周囲は静まったとされる。安井はおそらく、松方が日本の無数の「油畫描き」の存在を念頭に置きながらに一それだけが動機ではありえなかったにしても一芸術作品の集をし、それらを彼ら一彼女らに日本で見せたいと思っていたことを知りはしなかったであろう。もっとも、安井の言葉はあたかも、そういった松方の想いを知りつつ発せられたものだったかのように聞こえる。安井は松方の想いを、はからずして受けいでいたといえるのではないか。
いずれにしても、こうした国立西洋美術館設立前史の記憶を紐解くなら、その美術館は1959年の開館以後の、いわば未来の時間を生きるアーティストのために誕生したといっていえぬことはない。とはいうものの、国立西洋美術館はほんとうに、美術家たちに「恩恵」をもたらしてきたのか。このことはこれまで、一度として問われてきていない。それを不問にふすことは、数十年にわたる紆余曲折を経てようやくひとつの美術館が建ちあがるにいたった根源的な記憶、そこにあった想いを、忘却することに等しいだろう。したがって、この展覧会において問いたいのである一国立西洋美術館やそのコレクションは、未来のアーティストたちをはたして触発しえてきたか、あるいはそうしうるのか、と。

こういう展示を読むと、あらためて先人の寄付の恩恵を享受して、今、アートを楽しむことができるのだとしみじみ感じ入りました。

あと、寄付繋がりで、こちらの募金箱もかっこいいですね。
デザインを見ると、シンプルだけど、すごく機能的な募金箱ですね。
この大きさだと、ちゃんと盗難防止にもなっています。

この企画展は、ぜひ、NPO関係者に行ってもらいたいものでした。
ほんと、いろいろ刺激を受けることができます。
そして、いろいろ考えさせるものでした。
潜在意識や先入観を問い直す仕組みがあって、すごく面白かったです。

さて、今回のツアーで、東京藝術鑑賞金曜夜行俱楽部としては、企画展的には記念の50個目となりました!

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