【NPO書評】伝記 世界の作曲家(14)エルトン・ジョン
エルトン・ジョン。
洋楽をほとんど聴かないので、アルバム等はちゃんと聴いたことはありませんが、名前は知っていて、CMなどで使用されていた曲はなんとか知っているという感じです。
でも、すごくチャリティに積極的なアーティストでした。
まったく知らずにおりました。
エイズに関する支援活動を始めてから、新曲として発売したシングルの収益を自ら立ち上げたエイズ基金に寄付をしているそうです。
新曲のシングル、すべてがチャリティソングになんて、すごい!!
今回は図書館のサイトで「寄付」で検索して見つけました。
まだまだ知らないチャリティの偉人がいますね。
エルトン・ジョンは英国出身のアーティストです。
音楽活動やチャリティ活動の功績により、イギリスでナイトの称号を得ています。
こちらの本は、偕成社の「伝記 世界の作曲家」シリーズの一冊です。
シリーズ最初の本はベートーベンです。
他にもバッハなどのクラシックの作曲家を取り上げている一方で、エルトン・ジョンの他にジョン・レノンやボブ・マーリーなどの本もあります。そして、学校推薦図書に選ばれているシリーズです。
なので、内容は中高生向けになっています。中高生にもわかりやすいように、本文に出てくるキーワードや登場人物は細かい注釈が入っています。例えば、「ロック」や「芸名」の解説があるのが面白いです。
伝記 世界の作曲家(14)エルトン・ジョン
2005/8/4
ジョン オマホニー (著), 橘高 弓枝 (翻訳)
さて、エルトン・ジョンについては、wikiで調べてもらうとして、本書で取り上げられていたチャリティ・エピソードを紹介します。
・一九七〇年代前半といえば、慈善事業に参加するスターはほとんどいなかった。一九七四年、エルトン・ジョンは病気で苦しむ子どもたちのための募金活動を行い、この分野の草わけとなった。(P98)
・サッカー好きのエルトンは、一九七六年、イギリスの一部リーグ「ワトフォード」の会長にも就任し、「ワトフォード・フットボール・クラプ」基金を設立した。そしてコンサートをひらき、五万ポンド以上を募金した。(P98)
『ぼくは、めぐまれた幸せな人生をおくっていると思う。外国旅行ができるし、好きな歌もうたえる。豪華なホテルに泊まり、贅沢な生き方も楽しめる。だから、せめて自分で得たお金の一部を何かの団体に寄付したいんだ。そうすれば、ぼくより不幸な人びとの暮らしに少しは役にたつだろうから。』(エルトン・ジョン)
・一九七七年十一月には、めぐまれない子どもたちにサッカー用具を番付するためのチャリティー・コンサートをひらいた。(P126)
・(1985年夏の「ライブ・エイド」に出演。)その夜の最後には、縦織もようとラメ入りのフロック・コートを着たエルトン・ジョンが登場して、『ロケット・マン』と『ベニー・アンド・ザ・ジェッツ』をうたい、次にジョージ・マイケルの『ドント・ゴー・ブレーキング・マイ・ハート」がつづいた。(P150)
・一九九〇年、ライアン・ホワイトという名のアメリカの少年が、エルトンの人生に大きな衝撃をあたえた。(彼は血友病患者で輸血によりエイズに感染し、その後、テレビ等でエイズに関する周知啓発活動を行ったが、1990年に亡くなってしまった) (P170)。
・同じ年の六月、前年に制作したアルバムの中から『ヒーリング・ハンズ/サクリファイス』をシングル発売して、収益金をエイズ基金団体に寄付した。この曲は、イギリスでナンバー・ワンにかがやいた。それ以上に重要なのは、エイズ基金団体に三十二万ポンドを寄付できたことだ。(P171)
・この年以降、エルトンはシングルの収益金をすべてエイズ基金に寄付するようになった。(P172)
・一九九二年、四十五歳のエルトンはスタジオにもどり、新作アルバム「ザ・ワン」を制作しはじめた。~シングル・カットされた三曲の収益金は、すべてエイズ基金に寄付された。それだけでは飽きたらず、同じ年には、エイズ撲滅をめざして、<エルトン・ジョン・エイズ基金)を設立し、本部をアメリカのアトランタにおいた。(P174)
・一九九七年四月三十日には、ニューヨークのカーネギーホールで行われた<熱帯雨林保護コンサート>に参加した。(ロックスターのスティングが企画)(P180)
・一九九七年九月六日、ウェストミンスター寺院で行われた、ダイアナ元イギリス皇太子妃のしめやかな葬儀では、エルトン・ジョンは深い悲しみにつつまれながら、遺歌「グッバイ・イングランズ・ローズ」をうたった。また、かつてマリリン・モンローへの献歌として作曲した作品の歌詞を書きかえ、『キャンドル・イン・ザ・ウインド~ダイアナ元イギリスが子妃に捧ぐ』というタイトルをつけてCDを発表した。このCDは
発売後三十七日で三千百八十万枚を売りあげ、シングル盤世界記録を樹立した。収益金二千万ポンドは、ダイアナ記念基金に寄付された。(P184)
恥ずかしながら、エルトン・ジョンのチャリティ活動については、ほとんど知りませんでした。本当にすごい人です。
ファンドレイジング・スーパースター列伝で紹介したいです。
伝記は、1998年にナイトの称号を得たところで終わっていますので、その後のチャリティ活動についても、チェックしたいと思います。