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クリスマスのことを考えながら中国の故事に学ぶ12月24日の朝

今夜はクリスマスイブ。聖なる夜。
クリスマスはイエス・キリストの生誕を祝う日で、ユダヤ暦およびそれを継承する教会暦では、日没をもって日付の変り目とするらしいので、クリスマスイブはクリスマス当日の夜ということらしいです。

メリークリスマスの「メリー」は「愉快な、笑い楽しむ」といった意味で、僕の会社名のメリーゲートの「メリー」も同じ意味です。
「メリー」って楽しい気持ちになる言葉で良いですよね。メリーゲートの由来はこちらの記事で書きました。

クリスマスといえば恋人や家族と楽しく過ごす日というイメージがありますが、僕は変わらず仕事で、やるべきことをやります。

とはいえ、クリスマスをまったく意識しないわけではありません。日本に蔓延している恋人と過ごす人=幸せ、一人で過ごす人=不幸の空気を気にしないほどできた人間ではありません。昨日、自分を前進させる情報を取るとnoteに書きましたが、気にしてしまう自分がいるというジレンマ。

言い訳をさせてもらうと、恋人がいないということは恋人をつくる楽しさ、喜びを感じるチャンスを得れるということ。つまり、恋人がいなくても幸せなんです。
逆に、恋人がいるということは失う不安もあるということです。僕には恋人を失う不安はありません。恋人いませんから。
ということで自分を納得させてます(笑)

人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)

僕の好きな中国の故事に由来する言葉です。
中国の北辺の塞(とりで)のそばに住んでいた老人(塞翁)の馬が逃げたところから始まります。これ自体は不運ですが、後に、逃げた馬が駿馬を連れて戻ってきました。とてもラッキーなことが起こりました。しかし、駿馬に乗った塞翁の息子が落馬し、脚の骨を折ってしまいました。不運な出来事です。ところが、しばらくして戦が始まり多くの若者は徴兵されて命を落としたが、息子は骨折のため徴兵されず、命を落とさずに済んだ。というお話です。

人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないという例えでつかわれます。

鬼滅の刃の表現をかりると、起こる現象に一喜一憂せずに自分の責務を全うする。そのことに全集中です。

来年のクリスマスは恋人と過ごしているんでしょうか。そんなことを考えながら今日も仕事をしています。