自己紹介⑩(激動の社会人1年目・前半)
自己紹介シリーズも10回目を迎えました。
やっと社会人になれました(笑)
僕が新卒で入社したのはバイオベンチャー企業でした。好きな研究に没頭できると思い、わくわくしてました。
4月
4月は新人研修。施設に泊まり込みで社会人としての心構えやマナー、業務上で注意することを学びました。
同期が約10名いました。4月はとにかく飲んでました。お酒を飲んで仲良くなろうということで夜な夜な飲み会を開き、寝不足ながらも研修を受けるという生活を1ヶ月ほど続けました。楽しかったけど、飲みすぎて途中からは常に寝不足で気持ち悪かったです(笑)
5月
そして、ゴールディンウィーク明けに静岡オフィスに配属されていよいよ研究生活がスタート!!
楽しみだと思いきや、、、まったく研究ができませんでした。
当時はリーマンショックの影響を受けて世の中はとても不景気。僕の会社は大手の製薬会社や食品・化粧品会社から委託を受けながら売上をあげつつ、新規の研究開発をするという事業形態でしたが、大手からの委託がまったく無くなってしまい赤字が続いてる状態でした。
研究は一切せずに、営業チームのアシスタントとしてアポ取りや営業への同行をさせられました。研究をやりたかったので不本意でしたが、しょうがないかと思いながら与えられた業務をこなしました。
しかし、アポは全然取れずで次第にやることも無くなってきます。最終的には部長に呼び出され「仕事がないので自宅で待機してくれ、給料は6割支払う」と言われました。
6月
6月からは自宅待機でした。
社会人1年目にしてすぐに仕事がなくなる。会社にも行かずに1日ぼーっと家にいる。いったいどういう状態だと悲観的になりました。
最初は家でDVDを観まくってました。それも次第に飽きたので、バイトを探したり、転職サイトをみたり、図書館に行って投資の勉強を始めたりしました。
給料6割で収入が下がってしまったので、何かお金を稼ぐ方法はないかと図書館で投資関連の本やビジネス書を読みあさってました。その中の一つに「金持ち父さん貧乏父さん」という本があり、その本を読んだ時にこれだ!!!と興奮しました。
その本には「会社に依存した生き方は危険で一生金持ちになれない。お金のために一生働く生活を脱出するためにはお金を働かせる勉強をして資産をつくらなければならない。」と書いてました。
間違いない!!!
会社に依存した生き方は危険というのは入社2ヶ月で猛烈に実感してました(泣)
まずは何か投資をやってみようと思い、当時流行っていたFXを始めました。株やFXの勉強をしながら、ドルやユーロの値段の動きを見続ける生活でした。いわゆるデイトレーダーです。社会人1年目でお金はなかったので扱う金額は数万円程度でしたが。
7月
そんな日が続いた7月のある日。会社に呼び出され、希望退職を募っている話を聞かされ、希望するかしないか考えてくれと言われました。
僕は心の中で即断!!
もちろん辞めます!!(笑)
退職金として80万円がもらえました。
やった~!FXの軍資金ができた!と僕は喜んでました。
手に入れた80万円のうち、40万円をFXの資金に残りの40万円を引越し資金に使いました。
8月、9月、10月
静岡にいても仕事がないので退社してすぐに横浜の病院で研究アシスタントの仕事をしてました。時給1200円のバイトだったので、土日も別のバイトや転職活動をしながらFXで金持ちになるというプランを立ててました。
ちなみにそこでやってた研究は先天性の遺伝疾患の子どもの遺伝子を解析して、疾患の原因を突き止めることでした。
病院ではダウン症などの遺伝性疾患の子供をたくさんみました。あまり見たことがなかったので最初は驚きましたが、遺伝異常をもって生まれるのは不幸みたいな捉え方は違うなと学びました。
担当の先生たちは子供たちを健常児と比べて劣っているなどとは一切思ってませんでした。少し他の子と違うだけ。遺伝性疾患を持つことと幸せかどうかは一切関係ないと学びました。
さらに余談ですが、高齢出産のリスクをやたらと強調する人がいますが、それもどうかと思います。
もちろんリスクはあります。
ダウン症などの染色体異常をもつ子供が生まれる確率が上がる、流産確率が上がる、母親の体力的な負荷など。
例えば、ダウン症の赤ちゃんが生まれる確率は20代で約0.1%、30代だと0.3%、40代では1%です。これが高いといえるのかは疑問です。降水確率1%で傘を持って出かける人はほとんどいないと思います。1%という数字をどう捉えて判断するかは人それぞれですが、やたらをリスクを強調する必要はないように感じます。
高齢出産では、仕事のキャリアがある、やりたいこともやって人生の満足度が高い、精神面でゆとりがある、経済的に余裕があるなどのメリットもあります。
僕は高齢出産を推奨してるとかではなく、物事にはメリットがあれば、デメリットもある。人はデメリットに目が向きがちだけど、メリットも知ったうえで冷静に判断する必要があるなと考えてます。
余談が続きましたが、話を本編に戻します。
11月、12月
僕は悩んでました。悩みは2つです。
①仕事がみつからない、FXがうまくいかない。
転職活動が全然うまくいきません。とにかく不景気なので、そもそも研究職の募集がありません。さらにFXもうまくいかず10月には軍資金40万円はすべてなくなってました。稼ぐ手段がなくなり、どうしようかと困ってました。
②恋愛がうまくいかない。
当時、好きだった女性(Aさん)がいました。5個下の大学生です。でも、Aさんには彼氏がいました。彼氏とは別れたいとずっと相談されてましたが、共通の友人も多く、なかなか別れられない状態が続いてました。僕はAさん付き合いたいとずっと思ってたので、もやもやしてました。
こんな状態が続いてた頃に大学の同級生の数少ない友達の一人のTくんと飲みに行った時に現状の相談をしました。
Tくんは大手電機メーカーに勤めていました。Tくんと焼肉を食べにいきました。
キャバクラ好きのどうしようもない男です。夏のボーナスすべてをキャバクラに使ってました。大学1年生の時は長万部の不良にからまれて、負けじとやり返した結果、寮に不良が乗り込んでくるという事件を起こしてました。ある時は寮の風呂場でぎっくり腰になって動けなくなってました。ある時はカントリーマアムをレンジでチンして、寮の台所が煙まみれになってしまい、喘息もちの友達と本気でケンカしてました。カントリーマウムでケンカする大学生なんて彼以外みたことがありません。
そんな少しおバカなTくんと僕は仲が良かったので、横浜にいる8月以降はたまに飲みに行く仲でした。焼肉を食べながら僕の悩みを話してると、会社の先輩でこれから起業する人がいるので紹介するよという提案をされました。
Tくんのつながりなので、どうせ大したことない人だろうなと思いながらも、彼は大手電機メーカーに勤めていたので、優秀な人なのかもしれないと淡い期待を抱きながら会ってみることにしました。
そこで紹介してもらったのが権藤優希さんです。権藤さんとの出会いによって、僕にさらに大きな変化が訪れます。
長くなってしまったので次回に続きを書きます。