![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/173888750/rectangle_large_type_2_dafe05764144829b312ebd0b78db73eb.jpg?width=1200)
【要注意】オノレの老害を疑ってみた
ハンドボールがコワイ今日この頃
先日、肉離れ治療後、久々にハンドボールをやってみて、マツオヤスヒロ史上、最高レベルに出来が悪くて萎えた。
シュートを外しまくり 、かなり悲しい気持ちになっていた所、ついには夢にまで見た。夢に見るんや。いや、ほんとハンドボールちょっと無理かもなぁと思った。
日吉で大学生と練習
そんな悔しさを乗り越えて、アラフィフの先輩2人と、大学の練習に参加した。日吉駅から10分くらい歩いた場所。
学生といえば、ほとんど親子ほど離れた世代で、彼らと一緒にハンドボールできることは、結構嬉しい。
ただ、昨今では、体育会のサークル化とか、気合が入っとらんとか、色々と議論があって、実際一緒にやると、どうなのかなと気になっていた。
比較すると結構違う
例えば、練習場所は、外→体育館へと変わった。 30年近く前は、ハンドボールの練習を山の上のアメフトグラウンドのゴール裏でやっていた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/173889269/picture_pc_98ee73414f491a7f77f37aec995bc551.png?width=1200)
ゴールキックを蹴った後に、ゴールを通過したボールが落下する地点にスペースがあり、そこがハンドボールのコートになっていた。だから、アメフトのキック練習時には、ハンドの練習はストップした記憶笑。
当時は、多分筑波と慶應だけ外でやってた。何を隠そう ハンドボールはヨーロッパではとても人気のスポーツで、室内でやるものです。
室内では、体の動かし方が変わってくる。地面が砂だと滑る。室内は止まりやすいので足運びとか体重移動の感覚が違う。
ボールも今のように持ちやすい素材ではなくて、むしろ下から支えるようにボールを取り扱った。思ったところにシュートを打つことも難しく、手が小さいと苦労したものだ。
今は、しとしととひっついて持ちやすい。その結果たくさんスピンがかけられていろいろシュートに工夫ができる。
また、ボールは両手で大事につかめと言うことを教わってきたけど、今は片手キャッチを練習している。なぜなら両手で取るのは当たり前。片手で取れて初めて相手を超えることができるから。
そういう意味では同じハンドボールでも、ちょっと全然違うスポーツなのかもしれない。
更には
僕らの頃は、何らかの粗相をすると連帯責任で坊主だった。今だとハゲハラ。
僕らの頃は、練習中に笑うとかあり得なかった。今はリラックスしていい感じ。
僕らの頃は、授業は必修とか語学以外は不可だった。不可とは、受講禁止ってこと。練習は、昼過ぎから夕方ぐらいまで。夜は暗いから筋トレ。今は授業終わって集まり、夜から練習。
とまぁ、枚挙にいとまがないけど、今の子たちの練習は、ともすれば、甘いとか、ゆるいとか、サークルっぽいと先入観を持っていたのだな、と気づく。
実際には、結構いい感じ
練習に参加してみて、とても明るくて、のびのびとリラックスしてやってることが伝わってくる。
軍隊的に、ミスなく丁寧に、気合いでやることの良さは確実にあった。試合前の慶應のアップは、鬼気迫るものがあり、側からみたらキチガ⚪︎レベルと思われていた。ゆえにセレクションがなくても、それなりに勝てていた。
その成功体験フィルターを前提に、自分と違う価値観を否定してるって事は、それ老害ちゃうかと我に帰ってみた。
感想
やっぱり人には観念があるものだ。問題は観念に気づかなかったり、固定化しがちなことである。
どちらが正しいかどうかと言うよりは、相互の理解が大切だなと改めて思った!以上、老害の階段を登り始めた松尾康弘より