【本音】高校生のとき見つめていた美術業界と今見えている美術業界の違い
高校生のとき僕は美術家になる事を強く意識し始めました。
幼稚園の時の将来の夢がロボットを作る人で、
小学生の時の卒業文集に絵を描く人になる。と、書いていたから
クリエイティブな方向に進む事を早い段階から決めていたのだろうと思います。
高校時代、進路が現実の問題として出てきたとき迷わず作家になるための道筋を現実的に見つめました。
高校時代に美術の業界をどのように眺めていた(想像していたか)思い出してみます。
まず思い出されるのが「実力主義」の世界だと思っていました。
それと「夢のある世界」です。
どちらも正しいのですが、現実の美術業界に向き合うと
少しだけ違う表情をしています。
現実とはつまり、制作を続けてゆけるのかという切実な問題で
全てのクリエイターはこの壁に打ち当たります。
多くの場合お金がネックになってきます。
お金の問題を前にして「実力」も「夢」もどんどんとひからびてゆきますからね。
美術業界は実力主義の世界ですが、難しいのは数値で測れない表現の分野での実力を試される事です。
100メートルを走るのと違って、作品のレベルは一般的にわかりにくくなっています。
それにかなり複合的な要素がおり混ざって、1人の人間と1つの作品が
美術史の文脈の中に存在しているので先を読むのが難しいのです。
つまり高校時代に思っていた「良い絵」「良い作品」は存在しなくて
自分の主観的な「好き」でしか無かった事に気がつきます。
実力というのは、作品レベルというような点ではなく複合的な線での基準となってきます。
そこには運や人脈や能力などの要素が含まれてきて、実際何がなんだかわからない状態になっているんです。
コントロールできない状況下で唯一自分ができる事は、作り続けるという1点になってきます。
実力主義の正体は点を打ち続けて、線のような形にするというのが今の実感です。
次に「夢のある世界」ですが
確かに美術業界に夢はあります、ただ現実的にしっかり地に足をつける事ではじめて「夢のある世界」を実現できる事を知ります。
考えてみて下さい。
ディズニーランドは夢の国ですが、運営側は夢だけでは生きていません。
安全性や清潔な環境など、頭を使って夢を作っています。
美術の夢も提供者になる事によって、少しずつ形を変えてきました。
今の僕が高校生の僕に何か言うとしたら
「現実はそんなに悲観するものではない」
「だから走り続けろよ」です。
物事がすごく現実的になってきても、きっと僕はその現実的な「実力主義」と「夢のある世界」を求めていました。
若い誰かが美術家を目指して、もしかしたらディズニーランドの舞台裏に幻滅してしまうような事もあるかもしれないけど、
表にたてば「夢のある世界」しか広がっていないような表情で作品を送り出す事が美術業界のリアルなのです。