20200412いじめと作詩とわたし
「言葉」を意識しはじめたのは中学生のころ。プチいじめにあい、自己主張する場所が少なくなったときに、自分の考えや思いを少しずつ、単語で表現するようになった。
プチいじめの原因は、いま思えば自分のせい。ずかずかと相手の触れてほしくない領域に入ったせい。
単語を文章にしはじめたのは高校三年生。文化祭の文集に一人一品出すことになったとき。ちゃんと詩にしたつもりだったけど、いま見たらきっと笑っちゃうんだろうなぁ。ちなみに詩として完成させるのに三ヶ月かかりました(笑)いまではインスピレーションがはたらけば、~30分でできるけど、当時は苦労しました。
自分にとって、「詩で自己表現すること」は精神安定のために必要なこと。正直、いじめなんて大したことなかった出来事のように思えるけど(当時は苦しかったはずです)。
いじめられた(ハブられた)合計は人生で数回。中学生のときに席替えでヤンキーカップルの女子が隣に座って、話しやすかったから仲良くしてたら、隣のクラスの彼氏の友人にトイレにつれてかれて事情聴取。その時は殴られずにすんだけど、週に数回ある合同授業では、ヤンキー彼氏とその仲間に囲まれて座る席だったので、椅子蹴られたりする日々が半年ぐらい続いた。
高校生の時は三年生の12月に仲良しグループで自分だけ進路が決まったのを逆恨みされて、新年が開けた新学期初日からグループからハブられるようになった。卒業まで約3ヵ月、一緒に登校していたのに、休み時間とか近くにいたのに、話しかけるのはほぼ、自分から。そのお陰で私は大学に進学しても、ただ一人だけ心を許せる友達をつくったきりで、数年間を過ごしたのだった。
こんな状態が続くと(他にもあるのだが、割愛します)、自分の存在価値や、生きていく希望を望めなくなることもあったが、そんなときにひき止めてくれたのは母の言葉だった。
ある日、いじめ関連のニュースを見ていたとき「もしもお前がいじめられて命を落とすようなことがあったら、私は相手をころしにいくから」
決して死ねません
母を犯罪者にすることはできません。母のこの言葉が、いまのわたしを生かしているのかもしれません。
まぁ、命について考えたことはあるけど、肉体的に痛いの嫌ですし、実行に移すことはなかったとおもいますが。
ちなみにわたしには高校生になる子供がいますが、母と同じ言葉を伝えて育ててきました。いじめられることもなく、もちろんいじめる方にもなっていないようです。
そんなわけで、人生のなかで寂しさを埋めてくれたのは詩を書くことでした。