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ありがとう、ジョンサイクス
ジョンサイクスが癌により65歳で逝去しました。ずっと表舞台に出てこないと思ったら闘病していたのか。いつか復活を願っていただけにショックです。
僕のジョンサイクスの印象は、才能に溢れるけれど不運なギタリスト、です。
ジョンサイクスのデビューはTygers Of Pang Tangの2nd、Spellbound(1981)。世はN.W.O.B.H.M.の最中、熱に沸くUKメタルシーンに現れた22歳の若きギターヒーローでした。サイクスが不参加だった1stに比べて明らかに攻撃性と構築美を増したギター。1980にOzzyに見出されたランディローズを彷彿させる存在。年齢も3歳差(サイクスの方が若い)で、近いものがありました。Tygers Of Pang Tangはツインリードなので黒いギターの方。
その後、ソロとしてやっていこうとバンドを脱退する予定だったところ、アイルランドの英雄たるThin Lizzyのギタリストに抜擢されて彼らの最終アルバムThunder and Lightning(1983)に参加。ほとんど曲が出来上がり、レコーディングが始まる寸前での参加だったそうでほとんど作曲面では関わっていませんが、レコーディング中にスタジオで作った曲がCold Sweat。これがシングルカットもされました。この曲でサイクスを知った人も多いはず。
(Thunder And Lightningってかなり名盤だと思うんですけどリマスターされていないんですよね。他のアルバムと並べると音量が小さいのがたまに傷…。)
とにかく「弾きまくるジョンサイクス」が前面に出た曲です。
ただ、この時のThin Lizzyはセールス的には下降線で残念ながら契約を打ち切られてしまった。所属バンドを失ったサイクスにデヴィッドカバーデイルが声をかけ、Whitesnakeへの加入が決まります。
なお、後にPretty Maidsがカバーし、日本でも大ヒットする「Please Don't Leave Me」は実はThin Lizzy加入前の曲。フィルライノットとジョンサイクスの名義でリリースされました。もともとジョンサイクスが作っていたインスト曲に後からフィルライノットがボーカルを入れた形。なので、ある意味ジョンサイクスのソロデビューシングルという側面もある。ここで相性をみて「一緒にやっていけそうだ」ということでThin Lizzy加入となったわけです。ソロアーティスト、ジョンサイクスの巣立ちの曲とも言える。
そしてWhitesnake。まずは加入後、すでにUKではリリースされていたSlide It Inのギターパートの差し替え。脱退したミックムーディーのパートを差し替えてUS盤がリリースされます。
当時はまだサーペンスアルバス(Whitesnake)リリース前でしたが、すでに大物バンドではあったWhitesnake。Slide It InのUS盤もアメリカで50万枚売れ、Whitesnakeは80年代メタルムーブメントのトップバンドの一つに躍り出ます。この時がジョンサイクスが一番前途が輝いていたころ。
そして次作のレコーディングに入ります。ジョンサイクスにとっては初めてWhitesnakeにメンバーとして作曲からかかわるアルバム。カバーデイルとサイクス主導でアルバムが作られていきますが、レコーディング中にカバーデイルが感染症にかかり歌えなくなってしまう。これによりレコーディングが延び、スタジオ費用がかさみ、ツアーは延期され、カバーデイルは莫大な負債を抱えます。Whitesnakeはカバーデイルが他のメンバーを雇用する形のバンドだったため、その間メンバーを抱えきれずサイクスもここで解雇。このことがずっと後までカバーデイルとサイクスの間に遺恨を残します。
ついにカバーデイルが復帰し、リリースされたアルバム「Whitesnake(サーペンスアルバス、または1987、と呼ばれる)」は全米で800万枚を超える大ヒットとなり、80年代メタルムーブメントの中でも10指に入る大ヒットとなります。その立役者たるサイクスは本来は時代の寵児となるはずでしたが、すでに脱退。Thin LizzyとWhitesnakeと2つ続けて望まぬ形で終わってしまったことがサイクスに「不運なギタリスト」像を感じてしまうゆえんですね。
Still The NightのMVはすでに脱退しているのでサイクスの姿はありません。音源はサイクスのギターですが。
Whitesnakeを去ったサイクスは自らのソロプロジェクトに動き出します。1989年にデビューしたのがBlue Murder。ボーカリストとのトラブルに懲りたのか自分でボーカルを兼任。
Blue Murderは1stも2ndも名盤なんですよ。素晴らしいギタープレイ、曲がそろっている。惜しむらくはやはりボーカルが弱いこと。きちんと専任ボーカルがいる、あるいは1stなんかはWhitesnakeでやっていたらこちらももう一つの名盤になっていただろうなぁという出来です。
Blue Murderの2nd「Nothin' But Trouble」はリアルタイムで聞きました。この頃はジョンサイクス人気が日本でかなり高まっていた気がします。
ただ、残念ながらUSはグランジムーブメントが勃興し、80年代からのメタル、ハードロック系のアーティストは契約を打ち切られる事象が多発。さらにサイクス以外の2名のメンバーが脱退して、新メンバーを入れてなんとか2ndアルバムまではリリースしたもののBlue Murderもゲフィンとの契約を失ってしまいます。当時、ゲフィンとしてはサイクスをWhitesnakeに戻したかったようですね。
その後は人気が高かった日本との縁が増えます。マーキュリーレコードの日本支社と契約し、ソロアルバムをリリース。なんだかパンキッシュな曲がシングルカットされて、最初「The Wildheartsみたいな曲だな」と思ったのを思っています。今思えばCold Sweatみたいなイメージだったのかな。
計4枚リリースしますが、一番ヒットしたのは2ndの「Loveland」でしょう。過去に発表したバラード曲をリレコーディングしたものがメイン。というか「Please Don't Leave Me」の再録が目玉でした。
やっぱりソロになってからはちょっとスケールダウンしてしまったのが残念ですね。その後、Thin Lizzyのトリビュートライブを行ったり、ガンズのオーディションに参加したり、ドリームシアターを脱退したマイクポートノイと新バンドを結成しようと動くなど活動の兆しはみせますが、2010年代にはほとんど活動は沈静化。2020年代に入って久々の新曲をリリースし、活動復帰の兆しを見せていたところに、、、今回の訃報となってしまいました。
なんだか、ジョンサイクスって「すごいギタリストですごい作曲家」という印象が強いんですよ。実際、これだけの名曲を生み出している。その割にバンドに恵まれなかった印象を持っていたんですが、、、。
改めて考えてみると、著名バンドに参加し、ソロでも大ヒット曲(Please Don't Leave Me)を持ち、商業的に記録的に成功したアルバムのメインソングライターとしてかかわり、自分メインのバンドでもデビューして作品を残せた。きちんと才能に見合った評価と活躍をした、と言えるかもしれません。メタル史を追っていると、才能があっても恵まれなかった人はたくさんいますからね。
今回、サイクスが亡くなったというニュースを受けて各種SNSで多くの人が悲しみを表明しています。日本語の書き込みも多い。これだけ多くの人に愛され、記憶に残る曲を作ってきたのだから、アーティストとして、ギタリストとして、ジョンサイクスはとても恵まれた人生だった、むしろ幸運な人だったのだろうなとイメージを新たにしました。人生に悔いがあったかどうかは余人が口を出すことではありませんが、音楽家としてみたときには十分に歴史に残る名作を生み出してくれたことに感謝です。ありがとう、ジョンサイクス。そして永遠に。
生前最後のリリースとなってしまったOut Alive(2021年7月)。変わらぬギタースタイルと熱量。最後までサイクスはサイクスでした。
それでは良いミュージックライフを。