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ビートルズが遺したもの

2023年11月3日、ビートルズ最後の新曲「Now And Then」がリリースされました。

ジョンレノンが遺したデモテープに残りの3人が参加した形。1995年のビートルズアンソロジー(新曲「Free As A Bird」と「Real Love」が同様のプロセスでリリースされた)作成時にこの曲も取り組んでいたもののボーカルが小さく、ノイズも多いため完成を断念。今回は自動補正によるボーカルの分離とノイズ除去のAI技術の発達によりついに完成の運びとなりました(一部で「AIによるビートルズの新曲」と言われたのはこの分離過程のこと)。1995年のセッション時にも取り組んだ曲であったため、2001年に死去したジョージハリスンのギターソロも収録可能に。まさに「ビートルズ」の4人が集う最後の曲となります。

ビートルズが「Love Me Do」でデビューしたのは1962年。それから61年が経ちました。この間、ビートルズは何度も「終焉」を経験してきた。最初は1970年の解散。そして1980年のジョンレノンの死。この二つが実時間における「ビートルズの終焉」と言えるでしょう。

その後、95年の「アンソロジー」シリーズ。これにより「喪われたビートルズ」が改めて蘇り、そしてまた終焉していった。そして2001年のジョージハリスンの死。今回、2023年の「最後の新曲」によって、幾度目かの「終焉」を迎えます。やがてポール、そしてリンゴも去っていくのでしょう。その時また私たちは「ビートルズの終焉」を感じるに違いありません。

20世紀における大きな文化のうねりとして「ロック音楽」は存在します。以前書いたようにロック音楽は「若者文化」を定義する上で大きな役割を果たした。1950年代以前は大衆文化としては「子供」と「大人」だけがあり、「若者」は「子供以上大人未満」の存在、あるいは「未熟な大人」でした。「若者文化」というものがファッションやロック音楽を通じて世の中に浸透し、「子供」「大人」とは別の文化単位として捉えられるようになっていきます。

ではロック音楽はずっと若者文化であり続けたのか。いいえ。おそらくロック音楽が若者文化であったのは1950年代から2000年代の初頭まででしょう。それ以降、ロック、いや、音楽そのものが若者文化の中心から外れていった。インターネットやSNSに代表されるコミュニケーションツール、動画コンテンツがその座を占めていきます。若者にとって文化とは受信するだけでなく発信するものへと転換。もちろん、音楽は変わらず人の心を動かしていますが、「聴いている音楽(や着ている服)が自分を表現する最大のもの」という若者は少なくなっている。ロック音楽はある世代と共に成長し、老成してきたのです。

その中でロックは、いや、ビートルズは何を遺してきたのでしょう。世の中にロック音楽が認識されたのはエルヴィスプレスリーによって。1954年のことです。当時19歳(プレスリーは1935年生まれ)だったプレスリーの腰フリダンスは触れた人に衝撃を与えた。当時のアメリカは公民権法が存在し、音楽も人種によって明確に区別されていました。いわゆる「黒人音楽」のノリを取り入れた初めての白人歌手としてプレスリーはデビューし、1955年には全米を席捲していきます。ここでいう黒人音楽とはブルース、ジャズ、そして南米(マンボ)音楽です。ダンスを踊るための強烈にビートが効いた音楽。当時は各家庭にはレコードよりピアノが普及しており、ヒットチャートはシートミュージック(譜面)だった。ピアノを弾いて新曲を楽しんでいた白人世帯に強烈なビートと共にレコードが普及していきます。

しかし、1950年代後半にはロックは沈静化していきます。プレスリーは兵役に行き、黒人スターたちは飛行機事故で死去したりスキャンダルで活動停止したりした。そこでモータウンが現れ、「ロック」の穴、つまり「ビートが効いて踊れる音楽」の座を埋めます。50年代、60年代初頭までの「踊れる音楽」はプレスリーという巨大なアイコンを除けば黒人音楽によって占められていた。

そこへ1962年にビートルズがデビューします。ファーストアルバム「Please Please Me」のリリースが1963年ですから、実質的にビートルズが社会現象となっていったのは1963年以降と言える。ビートルズに続いてストーンズも米国で人気を博し「ブリティッシュ・インベンション(英国の侵攻)」と呼ばれます。

ビートルズが成しえた快挙は、同じ英語圏とは言え海を渡って米国を制覇したこと。圧倒的な社会現象となり、それは世界中に広がっていきました。プレスリーはやはり「米国内」の存在だったのですよね。ビートルズはその出現からして海を越えていた。先ほど「公民権法」と書きましたが、米国には米国社会の枠組みがある。音楽はその社会の中に存在します。ビートルズも英国の枠の中で生まれたバンドでしたが、その音楽は英国の枠を超えて人気となった。これは画期的なことです。「世界的スター」は1910年代から1930年代のハリウッド黄金期によって映画から生まれていた。ただ、大恐慌と二つの大戦が世界を分断していたし、何より映画スターは演者であった。ビートルズはプロの作曲家が曲を作り、アーティストは演奏するだけという分業体制が通常であった音楽業界において「自作自演」を取り入れた最初期のアーティストとされていますが、「自分の声、思想を届ける初の世界的スター」とも言えるのではないでしょうか。

それ故の摩擦も多く経験しました。1966年に起きた「ビートルズはキリストより偉大だ」という騒動。これはジョンレノンが英国の雑誌のインタビューで「キリスト教は衰えていくだろうね。消えて縮小していく。議論の必要はないよ。僕は正しいし、そうだとわかるだろう。今では僕たちはキリストより人気がある。ロックンロールかキリスト教、どちらが先に消えるかは分からない。キリストは良かったけど、弟子は鈍くて平凡だった。僕にとっては、弟子が歪めてしまったせいでダメになったんだと思えるね。」と語った。英国の感覚では”いつものレノンの毒舌”で済まされる内容であり、実際、発売当時は何の問題にもならなかったのですが、それからしばらくたって米国でこの記事が掘り起こされ問題になった。米国の感覚ではこれはNGだったのです。それによりレコードの不買運動にまで発展し、レノンは謝罪に追い込まれます。現代の日本社会でも多々同じようなことが起きていますが「自分の属していたコミュニティ・国・時代ではOKだったことがほかの場所ではNG」ということをビートルズは多く経験した。世界の多様性を彼らは肌で感じ、様々なトラブルに巻き込まれ、それを世界中のファンがメディアを通じて追体験する。社会現象としてのビートルズの中にいたのは20代の4人のイギリス人であり、彼らが感じた未知への驚きや喜怒哀楽がまた楽曲となって世界に還元されていった。ビートルズを通じて若者は世界に触れたのです。

「世界平和」や「グローバリゼーション」という概念がここまで一般に広まったのはビートルズのお蔭なのかもしれません。政治の世界ではそういう概念はあったがそれは日常生活とははるかに遠いものだった。ただ、60年代という時代に多くの人々はビートルズによって世界がつながるのを感じた。だからこそ社会現象であり、文化となった。様々な時代の変化と稀有な音楽的才能、そして彼ら自身のキャラクターが重なり、ビートルズの4人の人生は同世代の若者たちに価値観を遺しました。それは、2020年の世界において一つの土台をなしている価値観のようにも思います。ビートルズが遺したものはシンプルに言えば「Love & Peace」。遠大で非日常的なそんな概念を「身近なもの」として感じさせたのは、20代のイギリスの(決して品行方正とは言えない普通の)若者たちが世界と時代に触れる中で得た実感であり、それをビートルズという存在を通して世界に歌ったからでしょう。

永遠とは個人にとっての体験です。僕たちの永遠はそれぞれの人生の中にあるもの。

ビートルズよ永遠に。

I know it's true
It's all because of you
And if I make it through
It's all because of you

And now and then
If we must start again
Well, we will know for sure
That I will love you

Now and then
I miss you
Oh, now and then
I want you to be there for me
Always to return to me

本当さ
すべて君のため
もし僕がやり遂げることができたなら
すべて君のおかげさ

今でも思う
もしもう一度やり直せるなら
僕たちはそれを知るだろう
君を愛している

今でも思う
君が恋しい
今でも思うんだ
君にここにいてほしい
いつでも戻ってきて

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