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人間椅子 2022.4.18@Zepp DiverCity

1995年、5作目にしてインディーズからリリースされた人間椅子のアルバム「踊る一寸法師」。インディーズのため再プレスがなく、長らく入手困難盤となっていましたが2021年、現在所属している徳間ジャパンコミュニケーションズからついに再発。その再発を記念したツアーの最終日が東京はお台場、Zepp DiverCityで開催されました。会場はSold Out。「踊る一寸法師」からの曲を多く演奏する、という触れ込みなので「それは最近のライブでは聞けない曲が聞けそうだ」と期待して足を運んできました。

1曲目「モスラ」。「踊る一寸法師」の1曲目をかざる曲がオープニング。サビの「モスラ はばたけ」が1000人以上(Zepp Divercityの着席時の最大収容人数は1102人)の観客の前で披露されるのは感動があります。たぶん、この曲ほとんど演奏されていないんですよね。MCでは「25年ぶり」と言っていたし。満員の観客の頭上をモスラがはばたいていく幻想が浮かびました。

人間椅子はイカ天に出場して話題となりメルダックからメジャーデビューし、「イカ天のねずみ男」の話題性もあり1枚目、2枚目はなんとかチャートインするもののシングルヒットに恵まれず話題性の低下と共に売り上げも低迷、4枚目の「羅生門」を最後にメジャーレーベルとの契約を失います。バンド継続の危機に「インディーズでもリリースできる」ことを知り本作を制作。ただ、レーベルのバックアップもなく動員的にはかなり苦戦していた時期で、O-West(スタンディングでキャパ600人)もほとんど埋まらない状況が10年以上続きます。そんな時期に発表された楽曲がSold OutのZepp DiverCityで聴けるのはなんだか「強くてコンテニュー」の異次元転生ものを見ているような気分に。

続けて「踊る一寸法師」から「ギリギリ・ハイウェイ」に。最後にセットリストを貼っておきますが、なんと踊る一寸法師から8曲を演奏。全10曲のアルバムなので大半が演奏されました。下手すればリリース時のツアーより多く演奏したんじゃないだろうか。

最初は「おおっ」という驚きで聞いていたんですが、ところどころに挟まれる最近の曲(「夜明け前」とか「無情のスキャット」とか)と聞き比べて気が付いたことは「やっぱり踊る一寸法師のころはまだまだ粗削りだったんなぁ」ということ。単純に、1曲に込められたアイデアの量が少ないんですよね。リフとかメロディ展開とか、各楽器のアンサンブルとか。最近の曲が1曲に8~10のアイデアが入っているとしたら、この頃の曲は3~5ぐらい、というか。決してアイデアの質は低くないものの、全体的なアイデア量が少ない。逆に言えば最近の曲はものすごく1曲の中にアイデアが盛り込まれているんだなぁと再確認できました。インディーズに行き、初のセルフプロデュース作品のためまだ曲の練りこみ切れなかったのもあるのでしょう。「暗い日曜日」だけはメジャー時代の延長線にある”アイデアが詰め込まれた”感がありますが、他の曲は基本的にシンプルで「好きなことをやってみた」感が強い。楽曲にB級感があります。

ただ、だからつまらないライブだったかというとそんなことはなくて、やはり楽曲に粗削り故の魅力があるんですよね。それを今の人間椅子が、今の演奏力(特に歌が上達している)と今の機材(ギターの音色のパターンや、各楽器の音響は当時と比べると驚異的に向上)で演奏するわけで、これ以上ないぐらい生まれ変わっているわけです。振り返ると、「踊る一寸法師」はメジャーレーベルを離れたことで人間椅子のアイデンティティを初めて自分たちでじっくり煮詰めたアルバムなのかもしれません。メルダックに最初に所属していた時は「専任ボーカルを入れろ」「バンド名を変えろ」的な話もあったようですし、頑なに自分たちの音楽性を守ったとはいっても影響はあったのでしょう。時代の変化もあっただろうし。USではグランジブームが終焉し、日本でもバンドブームも終焉した。そんな時代に、新たな門出としてリリースされたアルバムだったわけです。

あと、曲構成で気づいたのはこの頃の曲はギターソロが長いですね。最近の曲はリフとソロが一体化している、というか、ソロだけで延々と引っ張るパートは実はあまりなくて、バンド全体のアンサンブルが考えられていますが、この頃の曲はギターソロが続く。曲の作り自体がだいぶシンプルです。それからボーカルの音域がちょっと無理がある。「暗い日曜日」で和嶋の高音が綺麗に出ていたのは「歌がパワフルになったなぁ」と感心したのですが、その後声が枯れて「無情のスキャット」がちょっと不安定に。最近のライブだとなかなか声が枯れなくなっているのでたぶん音域が高いのでしょう。サビだけ急にボーカルが上がるし。最近の曲は自分たちの音域や歌いまわしにあったスタイルを見出したんだなぁと再確認。そういうがむしゃらさ、「好き放題やってみた」感が散漫さも感じつつ不思議な魅力を感じるアルバムだったなぁ、と改めて今日のライブを観て「踊る一寸法師」への認識を新たにしました。

ソールドアウトで2階立ち見まで満席

ステージセットは凄くシンプル。昔のRushのステージみたい。このセットでシンプルに人間椅子が演奏するわけですが、今日のライブはかなり長くアンコール2回で2時間半程度。このサービス精神は流石。昔の曲をやったこともあり親密な空気が会場には流れていました。これだけの時間を集中力を途切れさせずやり通す(しかも楽曲は言い方は悪いが低迷期のB級曲も多いのに!)というのはすさまじいなと思いました。「何をしてもサマになる名人芸」の域に達しつつあります。

今日のセットリスト

ちょっと人間椅子全体の歴史にもいろいろと思いを馳せたので雑感を。「踊る一寸法師」は異質ですが、その次のアルバム「無限の住人」も異質。この2枚のアルバムは人間椅子の全体のカタログの中でも個性が強い気がします。「踊る一寸法師」はインディーズ、「無限の住人」は企画盤だから、でしょうね。その次の「退廃美術展」から再びメルダックに戻り、音楽的にもやや以前の路線に戻ります。ただ、「踊る一寸法師」で拡散した音楽性を実験し、「無限の住人」で和風ドゥームな世界観を突き詰めたことが血肉となってその後の個性をより強固なものにした気がします。「踊る一寸法師」以降は全部自分たちでセルフプロデュースするようになるし、「人間椅子が確立」したアルバムなのでしょう。

とはいえそれからしばらくはスタイルの模索が続いたことも事実。やはり楽曲の説得力が今に比べると薄い曲が多かった。今現在の「世界でも通用する人間椅子」が完成し始めるのは個人的には「未来浪漫派(2009)」かなと思っています。それ以降はどんどん完成度を高めていき「新青年(2019)」「苦楽(2021)」ではドゥームメタルバンドとしてはS級レベルだと思います。楽曲的にも演奏的にも音響的にも海外の中堅バンドに引けを取らない。色物でサブカルだった人間椅子が音楽的にそこまで突き抜けるとは思いもしなかった。キャリアの長いバンドはそのままバンドと自分の人生が反映されているし、何十年と追い続けるストーリーがあります。そんな「人間椅子の歴史」にも思いを馳せるライブでした。楽しかった。4/24までストリーミングで2500円で観れるようです。

それでは良いミュージックライフを。


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