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87.ウクライナとロシアのメタルバンドたち
Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.
『語りえぬものについては、沈黙しなければならない』
ということで、「正義」ではなく「音楽」を語ります。世界的に注目が集まっているウクライナ。今回はウクライナとロシアのメタルバンドを紹介します。
少しウクライナとロシアの地理関係と歴史をおさらいしておきましょう。地理としてはこんな感じですね。
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ポーランド、ルーマニアなどのいわゆる「東欧」の奥、現在は「新東欧」と呼ばれるのが旧ソ連邦に含まれていたウクライナ(とベラルーシ)です。旧ソ連邦の加盟国はこんな感じ。
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USSR、Union of Soviet Socialist Republics=ソビエト社会主義共和国連邦つまりソ連の加盟国は15か国あり、現在はそれぞれ別の国家。
旧ソ連邦国家のうちウクライナがどのような立ち位置だったか、という点についても少し触れておきましょう。ソ連、ロシアの歴史を紐解いていくと源流はキエフ大公国(古東スラヴ語: Роусь(ルーシ):9-13世紀に存在)に行きつきます。
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大きく言えば今のウクライナ、ベラルーシ、ロシアの西部とフィンランド南部が版図であり、これが今のロシア、ひいてはソ連の源流とも言えます。そもそも、「ロシア」というのは「(キエフ大公国の正式名称であった)ルーシ」のギリシャ語読みですし。キエフ大公国自体連邦国家だったので、このあたりの国家は昔から関係が深く同盟関係、連邦関係にあったのですね。これらの国家は(当時の)スウェーデン(+デンマークなど、カルマル同盟)やポーランドと敵対関係にあり、コンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国と友好関係にありました。民族で言えばスラブ人。キエフ大公国の言語であった「古東スラブ語」が現在のロシア語、ベラルーシ語、ウクライナ語の源流であるともされます。スラブ人の居住地域はこちら。
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東スラブ人(緑)、西スラブ人(薄緑)、南スラブ人(濃緑)に分かれている。
ロシア、ベラルーシ、ウクライナ(そして実はフィンランドも)はスラブ人国家、東スラブ人が多数派の国家であることが分かります。ただ、フィンランドだけは人種的にはスラブ人でも文化的にも言語的にも別。言語が違うのは差異として結構大きいですね。文字もロシア、ベラルーシ、ウクライナで使われるキリル文字(こういうの→ウクライナ語: Рюриковичі、ロシア語: Рюриковичи、ベラルーシ語: Рурыкавічі)ではなく基本的にアルファベットに独自の文字(Ä、Ö、稀にÅ)を加えたものです。
今回はフィンランドの話ではなくウクライナの話なので話を戻しましょう。上記のようにウクライナは旧ソ連の中でも歴史・文化的に中核的な地域です。ベラルーシ、ロシア、ウクライナはもともとのソ連の中心地、東スラブ人文化圏の発祥の地と言ってもいい。日本で言えばソ連が徳川幕府だとしたら徳川御三家みたいな(違うか)。まぁなので歴史はいろいろありますが、文化的にはけっこう近いと思われるし、音楽的にはメロディセンスや空気感などが共通するところがあります。
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この二国に共通して言えるのはペイガン・ブラックメタルやメロディックデスメタルなどエクストリームメタル系のバンドが多い、ということ。特にウクライナはブラックメタルが多い印象です。いわゆる”東欧ブラックメタル”ですね。ロシアはかつてイングウェイ・マルムスティーンが大人気だった(1989年のイングウェイの公演は24万人を動員し、1986年のアルバム「Trilogy」は海賊盤を含めて1000万枚以上が流通したとされる)こともあり様式美系のミュージシャンも一定数いますが、ウクライナ同様ブラックメタルやメロディックデスメタルも盛んです。第一次メタルブームであった1980年代に国内にメタルシーンはほぼ存在せず、90年代以降、エクストリームメタル(デス~ブラックメタル)、そしてフォークメタルが世界(特に非英語圏)のアンダーグラウンドなメタルシーンの主流となった後に興った新興シーンだからということもあるでしょう。
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NSBMやRAC(Rock Against Communism)と呼ばれるバンド群が結びつく
なお、ペイガンメタルとは土着の宗教や文化を尊重する、いわゆるペイガニズム的思想を軸とする音楽性を持つものを指すもので思想的背景はフォークメタル、ブラックメタル、ヴァイキングメタルと共通する部分が多くあります。特色として反キリストも多いですね。キリスト教そのもの、というより「西欧至上主義」や「帝国主義」の一つとしてキリスト教を攻撃する、的な。また、その民族主義的な思想、極右思想からネオナチと結びつくこともありナショナル・ソーシャリスト・ブラックメタル(National Socialist Black Metal(NSBM)、国家社会主義ブラック・メタル)と呼ばれるジャンルもウクライナでは一定の盛り上がりを見せています。逆にロシアではNSBMはほとんどなし。ナチスとの闘いはロシアの誇りですからね。ウクライナでNSBMが一定の支持を得たのはロシアへの反発もあってのことかもしれません。
ウクライナのメタルバンド
さて、音楽を聴いていきましょう。現在のウクライナのメタルシーンを代表するバンドといえばJinjer。
Jinjerは2008年にウクライナのドネツク(Донецьк)で結成されたメタルコアバンドです。この曲はメタルというよりグランジ・オルタナティブ的、静と動のコントラストがくっきりしておりPixiesやNirvanaにも通じるところがあります。結成時のメンバーが誰も残っていないというバンドなので、実質的な今の中心メンバーが集まったのは2010年から。女性ボーカルのTatiana "Tati" Shmailyukのクリーントーンとグロウルを使い分ける歌唱力がまずは耳を惹きます。ドネツクと言えば(現在起こっているロシア・ウクライナ戦争の端緒であった)ドンバス戦争の渦中にあり、ドネツク人民共和国が独立する/しないで揉めている都市。現在バンドはウクライナの首都キエフを中心に活動しています。バンドは過去の曲ではドンバス戦争に言及しており、「Home Back」は故郷の街が戦火に包まれ、平和と自由が失われたことを嘆く歌。
Home Back
What is this?! What is this mess?!
これは何? この混乱は何?
What's that noise? Is this a death sentence?
この騒ぎは何? これは死刑宣告?
Terrifying silhouettes
恐ろしいシルエットが
Rising over the motherland
祖国の上に覆いかぶさる
Are those the fireworks?
これは花火だろうか?
No. it's a military quirk
違う、軍事行動だ
Is it a mermaid singing?
これは人魚の歌声?
No. it's a siren screaming
違う、サイレンの悲鳴だ
Is it an angel watching over us?
それは私たちを見守っている天使?
It's an air-fighter making a fuss
それは騒いでいる戦闘機
Why is this party looking so bizarre?
なぜこのパーティーは奇妙に見えるのか?
A party? No! this is W.A.R.
パーティー? 違う! これはW.A.R.だ
My darling, did we wake up like this?
私の最愛の人、私たちはこのように目覚めた?
Isolated bodies in a boudoir of helplessness
孤立した寝室の無力な体
A bullet is an early bird, a midnight owl
弾丸は朝の小鳥、夜中のフクロウ
Morning greeting of a rooster are replaced
朝を告げる鶏の声と入れ替わる
With fire in a hole
火が付いた穴の中
My dear, do we have to go to sleep like that?
愛しい人、私たちはそのように眠らなければならない?
With a soothing cocktail and the hundredth cigarette
心地よいカクテルと100本のタバコと共に
Morning greeting of a rooster are replaced
朝を告げる鶏の声が入れ替わる
With fire in a hole!
燃え盛る穴の中!
Our beds are cold
私たちのベッドは寒い
As cold as basement floor
地下室の床のように
Our beds are cold
私たちのベッドは寒い
As cold as basement floor
地下室の床のように
This house is not our shelter anymore
この家はもう安全な場所ではない
Anymore
今はもう
Home is not a building
家とは建物ではない
Home is liberty
自由こそが家
A place where memories live
思い出が残る場所
In prosperity and peace
平和と繁栄の中で
I came back home so I want my home back
家に帰ったのに家に帰りたい
I came back home so I want my home back
家に帰っても、過去に帰りたい
Don't you leave us homeless!
私たちをホームレスにするな!
Don't you leave us homeless!
私たちをホームレスのままにするな!
Homeless homeless
家を失った、家を失った
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他のバンドも紹介しましょう、ウクライナで最も人気があるブラックメタルバンドのNOKTURNAL MORTUM(ノクターナル・モクトゥム)がこちら。
公式MVではなくファンが作った動画です。ウクライナの国土や風土、そして戦いの歴史の映像が使われています。いきなり騎馬民族との争いが描かれますがこれはかつてのモンゴル(チンギスハンとかの時代)の侵攻かな。モンゴルの侵攻によってキエフ大公国は滅亡しました。そこからソ連からの独立、ウクライナ建国のシーンが出てきますね。ナショナリズムが高揚するような作りながら、ウクライナの歴史や風景、風土が分かります。ウクライナの首都キエフは先に述べたようにロシアにとっても古都であり、歴史的な街。その街を破壊することは誰も望んでいないのでしょう。
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出典は日本における東欧ブラックメタル紹介の第一人者、岡田早由氏のサイト
NOKTURNAL MORTUMはペイガンブラックメタルに分類されるバンドで、思想的にはかなり極右、国粋主義的なバンド。その発言からNSBMに分類されます。中心人物のKnjaz Varggoth(クンジャズ・ヴァルゴス)は東欧のブラックメタルと極右のミュージシャンの第一人者とされており、1974年生まれで1992年デビュー。Burzumのヴァーグ・ヴィーケネスを除けばメタル界で最も有名なNSBM関係者かもしれません。この曲は「ウクライナの誇りと自由を!」的な歌詞なので純血主義的な主張は感じませんが、国粋主義的な部分だけは感じますね。Burzumのヴァーグ・ヴィーケネスが1973年生まれで1992年デビュー(デモテープまで含めると1991年)なので、ほぼ同年代。こうしたジャンルの黎明期から活動しているバンドです。東欧ブラックメタルの歴史に触れると長くなるのでそれはまた別の機会に。
もう一バンド、メタルコア~ブラックメタルと来たのでメロディアスなバンドを紹介しておきます。メロディアスというかちょっと変わり種。この頃はインダストリアルメタル色が強かったSEMARGL。
もともとブラックメタルバンドだったんですが2011年、2012年に急激にインダストリアルメタル(デジタルビートを主体としたサウンド、ドイツのラムシュテインなどが代表格)に接近し、同時にお色気を足すように。お色気はもともとメタルには要素としてありますが、けっこう女性の声とかも入ってくるんですよね。女性の胸が思いっきり出てるMVもありますし。なんだか「商業化(ヒット)を目指しまくった」けれどずれてしまったような、このズレっぷりがまた面白いようなバンド。
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ちなみに最近は完全にテクノみたいなインスト曲を量産しています。アンビエントミュージック(静かな起伏の少ない音楽)を奏でているヴァーグ・ヴィーケネスにも近い「同じバンド名なのにまったく連続していない音楽性」のアーティスト。まぁ、この曲なんかはロシアっぽさも感じますね。インダストリアルというかロシアはテクノ系の音が強く、ロシアンハードベースと呼ばれる独特のベースが強めの音楽が流行しています。ウクライナには他にメロディアスなパワーメタルバンドのSUNRISEもいて、日本ではそこそこ人気(個人的にはあまり個性を感じず…)。
ロシアのメタルバンド
今のロシアメタル界で一番勢いがあるのはSlaughter To Prevailでしょう。2021年5月にリリースされたBaba YagaはYouTubeで公開されるや5日間で100万再生を突破し、現在687万再生。他にも1000万再生越えの曲もあり、世界規模で見てもメタルコア界の新星の一つ。
しかしこのPVでも熊が出てきますね。ときどきロシアのバンドのMVを見ていると「熊の着ぐるみにおいかけられる」というシチュエーションが出てきます。それだけ普通に襲われるのか。怖い。タイトルのBaba Yaga(バーバ・ヤガー)はロシアに伝わる伝説の魔女で子供をさらってしまうとされます。日本のなまはげにも近いのかな。常に悪役というわけでもなく、善人に対しては贈り物をしたりもする役回りなので稀人(まれびと)の一種、(厳しい)自然の擬人化=精霊と言えるかもしれません。こちらの曲では「恐怖の魔物」としての側面を強調していますね。
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このバンドはロシアのエカテリンブルグ出身で、ロシア人ボーカリストのAlex Terribleと英国人ギタリストのJack Simmonsによって2014年に結成されました。Alex Terribleの強烈なグロウル、ボーカルスタイルがまず耳を惹きますが、もともとAlex Terribleは自分の個人YouTubeチャンネルで有名メタルコアバンド(Slipknotとかマリリンマンソンとか)のカバー曲をアップして人気を得たYouTuber。SNSから発掘されるボーカリストが増えていますね。あまり「ロシアならでは」感がないのは作曲の主体が英国人のギタリストだからか。クオリティが高いので「ロシアのバンド」という但し書きがなくても十分魅力的ですが、次はもっと「ロシアならでは」のバンドを紹介しましょう。
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UKとロシアは音楽的には交流が深いんですかね、混合バンドも多いし
CATHARSIS(カタルシス)は非常にロシア的というか、まず歌詞がロシア語です。これだけでかなり感覚が違う。また、メロディセンスもロシア民謡を連想させるというか、やはり英語圏のバンドとは違います。
1996年にモスクワで結成され、現在まで活発に活動を続けており10枚以上のオリジナルアルバムをリリースしています。ロシアメタル界の大御所。2時間におよぶオーケストラとの共演ライブもYouTubeで公開されており非常に見ごたえがあります。地域性がありつつグローバルに訴求する「純粋なハイクオリティ」も持ち合わせた稀有なバンド。本物が常に生き残るわけではないですが、やはり生き残るバンドは本物ですね。
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ロシアから最後に紹介するのはさらなるベテランKiplov(Кипелов)。この曲はロシアでは非常に著名で、総再生回数は1億回を超えています。
ロシアのメタルシーンは1980年台半ばには萌芽が見られ、「ロシアのアイアンメイデン」と言われたARIA(Ария)が1985年デビュー。そのARIAからの脱退者がさまざまなバンドで活躍しており、(元メンバーがいくつものバンドで活躍した)Deep Purpleみたいなバンドです。通称ARIAファミリーと呼ばれるバンドがいくつもあり、Kiplovもその一つ。2002年を脱退したボーカリストValery Kiplov(ヴァレリーキプロフ)が率いるバンドです。この曲はロシアの女性詩人 Маргаритой Пушкин(マルガリータ・プーシキナ)とValery Kiplovの共作で歌詞が書かれており、単なる歌詞ではなく詩としての評価も高くロシアの(歴代のあらゆる詩の中で)15位に選ばれています。ボーカルスタイルだけで言えばアイアンメイデンというよりスコーピオンズ(のクラウスマイネ)的な美声系ですね。バラードが魅力的なバンド。今となっては「メタル」というよりはより普遍的なロックですね。世界的な第一次メタルブームだった80年代から活動するベテランアーティスト。本家ARIAも新ボーカリストを迎えて活動中で、現在のARIAのライブ映像はこちら。現在でもロシアで一番人気があるメタルバンドかもしれません。
以上、ウクライナとロシアのメタルバンドをそれぞれ3組紹介しました。ウクライナからはJinjerが頭一つ抜けて活躍中。ロシアだと「新世代を代表するバンド」という存在はこれからというところですが、ARIAを筆頭とするベテランアーティストが活躍中、という印象でしょうか。世界中のメタルシーンを聞き比べるのは面白いですね。
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なお、ウクライナ最初のメタルラジオ局「Radio Metal」はこちら。サイトからストリーミングできます。ベラルーシとの国境に近いウクライナ北東のСуми(スムイ)にあるラジオ局。ウクライナやロシアの曲というよりはもっとメジャーな欧州メタルバンドの曲がほとんどですが、ウクライナの空気感を伝えてくれるラジオ局です。
それでは良いミュージックライフを。
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おまけ
この曲の歌詞が刺さりますね。
The body bags and little rags of children torn in two
死体袋と二つに引き裂かれた子供たちの小さなぼろ切れ
And the jellied brains of those who remain to put the finger right on you
そして最後まで正義を訴えていた人々のゼリー状の脳
As the madmen play on words and make us all dance to their song
狂人たちの言葉遊びで俺たちは踊らされたようだ
To the tune of starving millions to make a better kind of gun
より優れた銃を作るため多くの人を飢えさせるなんて
2 minutes to midnight
終末まであと2分