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GEZAN 日比谷野外大音楽堂@2022.3.27
GEZANのワンマンライブに行ってきた。最新アルバム「狂(KLUE)」にただならぬものを感じ、「これはライブを観よう」と思い立ったのが1月ごろだったか。幸いチケットが取れて今日にいたる。今日のチケットはSold Out。
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今日のライブの映像はビデオシューティングされていたのでそのうち何らかの形で発表されると思うが、ライブを観た感想を書き留めておこうとパソコンに向かっている。
まず、今日のライブの様子を連想させる映像を。
GEZANのコアになるのは4人のバンド。Vo兼Gt、Gt、Ba、Dr。そこに「Million Wish Collective」と名付けられたコーラス隊というか楽団が合流して独特な祝祭的な音空間を生み出している。今日のライブを観る限り、もともとは4人組のバンドであり、この大人数編成は「狂」で編み出した新しいフォーマットのようだ。「ブンラカスチャラカスチャラカブンブン」という混声コーラスが鳴り響き、オーストラリアの低音民族楽器であるディディリドゥーやバグパイプなどが鳴り響く。大人数ということで最初はアフロビート、フェラクティや日本だとじゃがたらに近いものも想起したが、聞いているうちにビートが違うと思いなおした。ファンクというよりはもっとプリミティブで土着的。日本だと盆踊り的というか、海外の共通項で言うとむしろ「仮想の古代民族音楽」に接近しているペイガンフォークとの類似を感じた。ボーカルであるマヒトゥ・ザ・ピーポーの獣的な仮装もあいまり、Heilungを思い出した。聞き比べると静謐さを感じる音像だが、こうしたペイガンフォークもコンセプトとしては一つの着想点なのかもしれない。
ただ、GEZANの方がよりビートが強く、声も前面に出ている。この力強さは発明だと思う。そもそも日本の音楽を辿っていくと和音構造というのは明治維新と共に西洋から入ってきたものだが、その前から打楽器の乱打(和太鼓)と合唱(田植え唄や掛け声など)はあった。むしろ、「和声の掛け声と乱打」というのは明治以前から伝わる日本における祝祭音楽のフォーマットと言える。
こうした「ロックと音頭」だと古くは大瀧詠一のレッツオンドアゲンやナイアガラ音頭が思い浮かぶが、今回、GEZANのサウンドに連なるものとして遡るとするとムーンライダーズの「ムーンライダースの夜(1995)」ではないだろうか。このアルバムに収められた「夜のBoutique」という曲は今日のGEZANのライブに非常に近いものを感じた。
今日のライブの構成は、最初数曲が大人数編成。30分ほどだろうか。そこで祝祭感を堪能した後突如弾き語りに。その落差が面白かったし実験的だった。先日見たbetcover!にも近い落差。ただ、日比谷野音という開放的な場所なのでかなり攻めた構成。客席も話し声やトイレ休憩が目立った。ライブハウスと違って移動しやすいからね。ここからどう空気を持っていくのかと思ったらその後は4人編成のバンドになり、メロディックハードコア的な音像に。「ラウドロック」というべきか。Not Wonkとかにも近い、メロディアスなロックだけれどギターはかなりハードコア寄り。ボーカルもメロディアスではあるがスクリームも強いのでやはり「メロディックハードコア」なのだろう。
僕はあまりこういうジャンルに詳しくないのだけれど、声質といい連想したのはCoalter Of The Deepers。そういうところが原点なのかもしれない。何曲か青春パンクっぽい曲(モンゴル800とかガガガSPとか)もあったり。もともとパンクとかハードコアからスタートしたんだろう。あとは弾き語りか。青葉市子ともユニットをやっているみたい。ふり幅が大きいけれど、圧倒的歌唱力があるというよりは声のキャラクターが強いタイプ。それこそムーンライダーズの鈴木慶一とかCoalter Of The DeepersのNARASAKIに近い。こういうバンドがどうやって突き抜けていくか。ライブハウスからアリーナへ飛躍するか。一時期は洗練の方向に行っていたようで、下記の曲はこうしたオーソドックスな4人編成のバンドとしてはかなりいい曲だった。
だけれど、ここから突然変異的にコーラスとビートを強調した呪術的なサウンドを生み出す。これは発明だと思う。今日のライブは2時間半にわたり、「弾き語り→4人編成のバンド→大人数楽団(架空の民族音楽)」のすべてが再演され、1バンドなのにあたかもフェスのようなバラエティ感があった。そして現在の彼らの到達点が大人数楽団なんだろうなということも伝わってきた。本編最後、この大楽団編成による新曲を4曲披露したがそこで会場のボルテージもどんどん高まったのは、集まった皆が「大楽団編成」に可能性を感じていて、「もっとこの編成の曲を聴きたい!ライブを観たい!」と思っていたからに他ならないだろう。
新曲が披露されたことからも分かるように新譜を制作中の様子。この編成の新譜でどんな音が飛び出してくるか楽しみだ。この大楽団編成の特長は「分かりやすい記号」がちりばめられていることもある。「We Are The World」とか「Forever Young」とか「東京」みたいな「ありがちな言葉」が”あえて”曲の中に埋め込まれていて、あたかも人力ミックステープのような、昭和~平成を総括し、令和につなげるような、近代日本のコンテンツ史をカットアップしてコラージュしたような感覚がある。このあたりの感覚は(ギャグが入るかどうかの差はあるが)水曜日のカンパネラにも近いのかもしれない。「固有名詞」を使ってポップとしてのフックを増す、情報量を増やしてサブカル感を出す、という手法ね。こちらはすべて人力でそれを再現してしまうのが迫力があるが。コムアイ期後期の水カンも、もしかしたらこういうところにたどり着きたかったのかもなぁ。ビートを弱めてしまったのが迫力のなさに繋がってしまったが、過渡期だったのかもしれない。リブートした新しい水カンにも期待している。
おっと、話が広がってきたので今日はこの辺りで。それでは良いミュージックライフを。
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