仲間が家族だなと思えてきた今日。
こんにちは、小泉です。
今日は久しぶりに仲間と飲む日なのです。
これが私にとっては実に幸せなことで、今からワクワクしています。
そんな仲間のことを最近、仲間だと思えなくなっています。
仲間を大事にすることを大切にしてきた私にとって大きな意識変化です。
そう、もはや仲間ではなく、家族なのです。
以下、家族レベルまで到達した仲間を「家族」と呼びます。
仲間のことが最高に自分ごと化されると「家族」になる
(仲間だと思っていた)今までは、「こんな素敵な仲間と一緒に人生を描いていけたら楽しいな」と思っていました。
しかし今日は、「私の人生を過ごす上で、すでにそんな仲間がいて、彼らのおかげで私の人生はカラフルだ。だから私も仲間の人生のためにできることがしたいし、私の人生の中にも仲間を登場させたい」と思っています。
今まで以上に今日は自分ごと化されています。
かつて相手は相手。
だから一線を引きながらも共存していくスタイルでした。
でも今は違います。
もはや自分なのか相手なのかがわからなくなっています。
私は「家族」に対して昔のような一線という境界線はありません。
相手の人生に対して自分ができることがあればします。
そこに見返りは求めないし、対価も求めません。
クラシック音楽を聞いているときのような感謝
もはや境界線を引かずに共生しながら生きれていることに最高の感謝をしています。
そんな感謝は助け合いによって認識し、生きがいへと変化します。
ここへの感謝は言葉では表すことができません。
まるでクラシック音楽を聞いているときの心安らかな状態で、相手への想いが溢れている感じです。
私の人生と「家族」の人生が調和して、ハーモニーを奏でるとも言えるかもしれません。
私にとって、この状態こそがまさに生きているという感覚なのです。
最後に
なんか自分の溢れんばかりの想いを記しました。
私の「家族」との飲み会に対するワクワクが伝わりましたでしょうか?笑
とにもかくにも今日という最高の時間を楽しむ前の思いの丈としてここに綴り残します。
ここまで辿り着いてくださったあなたへ。人生で誰と出会い、どんな縁があるかはわかりません。でもそれを楽しむことができる人生こそが、発酵ある毎日だと私は思っています。サポートはみなさんとコラボするために使いたいので、意思表明としてお気持ちいただければ嬉しい限りです。