FUKUSHIMA mon pay(福島 私の国)写真メモ under construction(工事中/未完)

画像1 友人の待つ、富岡町を目指した。目的地に近づくと、読みにくい表示が表れた。2.17μSv/h 時間当たりの放射線量だ、2.17マイクロシーベルト。目的地はこの路線で最も高い値を示していた。(Source: https://jobando.jp/senryo/genzai.html)
画像2 北に第一原発、南に第二原発、そして桜と海の町、富岡。(source: Google map)
画像3 2021年、今年も桜は咲いた。
画像4 しかし、誰も訪れる人はいない。
画像5 災害の日から10年後の富岡町。10年たっても「帰還困難・・」、覆水盆に返らず、、人は返ることができるのであろうか、。
画像6 歩くことのできない花たちは、そこに留まざるを得ない。まるで檻に入れられているように見える。
画像7 10年もすれば、家も傷む。風雪に晒されているのだから。
画像8 この日の夕日は格別な色を放っていた。
画像9 放射能のいたずらでも無かろうに、、。
画像10 歓迎のあいさつと受け取って、友人の家に入る。
画像11 「仏浜街道踏切」を渡った。ホテルの窓から見えた踏切で、たまに電車も通っていた。
画像12 ホテルにあった、パンフレット。富岡町の津波の高さは21,1mと他の地域よりもダントツに高い。
画像13 ・・・・・
画像14 あの坂を必死で上り、命をつないだ人もいたという。
画像15 高台に続く階段、またいつかこの階段をのぼらなければならない日がやってくるのだろうか、、何時かは分からない いつか。
画像16 眼下には富岡駅が、その向こうには海が見える。
画像17 かつての「富浜」に仏像を奉持した僧侶が船でたどり着いて以来、木浜を「仏浜」と呼ぶようになったとか、大きなものが漂流しやすい潮流になっているのかもしれない。津波の高さもそれゆえかも、、。
画像18 仏浜からみる福島第二原発。この浜の名前にはなんとも似つかわしくない景色であり、煙突は特段異様に見える。
画像19 原発から続く防潮堤。
画像20 堤防を防護するテトラポット。
画像21 要塞のような堤防。
画像22 高台にあった地蔵様が海を眺めている。
画像23 横には羅漢が花にうもれて、
画像24 地蔵堂の裏には流された社の梁であろうか、、。いつか建立される日に備えて、、。
画像25 地蔵堂の入り口にあった一本の木は頑張っている。
画像26 仏浜の海にはサーフィンを持った若者が戻っていた。
画像27 ホテルの裏口にはツバメが巣を作っていた。
画像28 富岡町を離れて南下、途中の道の駅で見かけた寄せ書きタイル。

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