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進まない終活

仕事先の知人の葬儀に行ってきた。僧侶は二人で親子のようにも見えた。
年配の方の和尚が主で若い方はサポートであろうか、私と同年代位の年配の方のお経は時々途切れ、咳も出るが、艶やかな若い方の声が輪唱のようにカバーしてなんとか事なきを得た。ただ法話に至っては、むしろやらない方が良いと思えるほどの不出来な話で、故人が生前にお経の会に興味を示してくれたものの、一度も足を運ばないままであったとか、、故人を偲ぶにはふさわしくないような感じさえした。若い方に任せればよいものを、己を知らぬ爺和尚と腹立たしくさえ思いながら帰路に就いた。

家に戻り、いただいた「御会葬御礼」というご挨拶の中にパンフレットのようなものが入っていた。

「葬儀を縁として」
 ひとりの人の死は悲しい。
 しかし、残された私が
 そのことから何も学ばず、
 何ひとつ新しく生み出せないとすれば、
 それは、もっと悲しい。

挑戦的ともいえるこの言葉は、あの僧侶との縁にさえ意味があるという「天」からのお言葉か、、。
思えば、あの同年代の和尚とて、あの歳までに何十年とお経をあげ、法話をしてきたに違いない。何を見なくても そらで言えていたことが、ある日言葉にも詰まる、そんな日の訪れることを身をもって知らしめてくれたのかもしれない。しかも「葬儀を縁として」などという書き物まで準備していた、これこそが真の終活かもしれない。

令状の中には故人の年齢も記され、私より6歳もお若い、68歳とある。その彼からは、亡くなる5日前に電話があった。私はお休みの日で、家で終活の衣類整理などをやっている時のこと、。春の陽気にかこつけて、元気いっぱいの、能天気な返事をしてしまった。間違ってかけてしまったとの、心なしか弱弱しい声を聴きながら、相手が喉頭がんの放射線治療を受けていることを知っていたからこそ、春の陽気の話題から抜け出せない自分の大人げなさが、最期の会話になってしまった。相手の気持ちを察した、寄り添った言葉をかけることがどうしてできなかったのか、こんな当たり前のような学びでも、「新しく生み出した何か」になるのだろうか。

あの年配の和尚にとっての終活は、言葉ではうまくできなくなった法話を違う形で伝える方法を探りながら、できることを最後までやることなのかもしれない、単にできなくなったからと、身を引くのは終活ではなく終りだ。
私の終活も単に捨てるか残すかではなく、自身が最後までやるべきことをやるための活動の「終活」に変えなければ、そうでなければ、本当に意味のない単に終わるための活動になってしまう。そんなことを学んだ葬儀であった。傍から見たら終活はますます進まないようにみえそうだけれど。
真の「終活」が見えてきた。


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