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鶏の殺処分ってジェノサイドを連想させる

今年は特になのか、これまで報道されることが少なかったのか、鶏の殺処分について、それがまた千葉県で執行されると聞いた。何とその数が115万羽だそうだ。安易に使ってはいけない言葉と思いながらも、『ジェノサイド』を連想してしまう。鳥と人は同じではないかもしれないが、命は同じ。気の遠くなるようなことで、想像もしたくないことが、実際に処分にあたる人たちのストレスはいかなるものか、自分がその任を命じられたなら、気がふれそうで怖い。

「いまでも鶏の鳴き声や暴れる姿が脳裏に焼き付いている」。総務部の男性職員(34)は、殺処分に携わった時の様子を目に涙を浮かべて振り返る。

どうしてこんなことになるのか、人間の場合は感染予防としてソーシャルディスタンスの確保、マスクの着用さらにワクチンがあげられる。鶏の場合、後者のマスクとワクチンは問題があるとしても、ディスタンスは可能なのでは、それが価格に影響するので生産性の高いケージによる飼育になることは想像できる。この問題はいわゆる『アニマルウエルフェア』の問題につながっており、先に辞任した吉川元農水相の、鶏卵業者からの500万円の問題につながっている。あまりにも人間本位の勝手な法と制度とも思われる「家畜伝染病予防法」

残念なのは、命の観点と命を「いただいている」我々の意識である。もし吉川元農水相と鶏卵業者がもっと深く『アニマルウエルフェア』の本質を理解し、単なる生産性と価格の点だけで命を機械のように取り扱うことに問題があると気づいていたなら、生産者にとっても今日のような事態を免れる、持続的な生産に向かうことができたのではないかと悔やまれる。そして我々消費者が数十年以上も同じような価格で提供されている安すぎる鶏卵の価格の仕組みに疑問をいだいていたなら、このような、鶏だけでなく自身の安全と、何といっても『ジェノサイド』のようなを光景を作り出している現状を回避できたのではないだろうか。先ずは隗より始めよ、明日からは卵のうまれる環境を考えて、卵をいただき、購入先にも気を配ることにしよう。


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