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アルヌルフ・エーヴェルラン「家の表札」翻訳+解説
家の表札
人に伝えるのには向かない
人生における幸福がある。
それは君が人を幸せにすること
それが唯一の喜び。
誰の涙でも軽くはできない
世界の悲しみがある。
それに君が気付いたとき
もう手遅れだった。
誰も残された時間を知らない、
墓のそばに立って愚痴を零す。
一日には多くの時間があり
一年には多くの日がある。
(原題:En hustavle)
◆解説
この詩は1929年に、ノルウェーの国民詩人であるアルヌルフ・エーヴェルラン(1889-1968)によって書かれたものだ。彼が日本語で紹介されたのは、おそらく1954年の『新日本文学』で紹介されたっきりで、以後は翻訳されたりだとか、研究されたりだとかはしていない。しかし、ロシアのウクライナ侵攻が始まってから、エーヴェルランの最も有名な戦争批判の詩「眠ってはならない」(1936)がTwitter上で引用され、ロシアの軍事侵攻を批判するツイートが何個も見つかったりと、国外(少なくともノルウェー)での認知度は落ちていないようである。その詩の全訳およびエーヴェルランの経歴については、『アレ』Vol.11に寄稿した拙論「戦争にとって言語とはなにか」でそれなりに言及しているため、そちらを参考にしてみて欲しい。
以上のような点からすると、この「家の表札」という詩は、後に反戦詩で国民詩人として讃えられるようになる人物の手によって書かれたというにはあまりに素朴な恋愛詩であると言えるだろう。三つの連それぞれが恋愛にまつわるもので、一つ目が恋愛中の人物を、二つ目が恋人を失った人物を、そして三つ目が、恋人の死後に墓の前に立っている人物を、それぞれ謳ったものと考えられる。
それにしても、一連目の詩はなかなか印象強い詩である。というのも、「人を幸せにさせている恋人を見るのが喜び」というのは、確かに人に伝えるのには向かないからだ。普通なら「愛情が私に向けられている」ことに対して喜びを感じるだろう。そうではなく自分ではない別の誰かを喜ばせている様子に対して、「まるで自分ごとかのように」喜べることの感受性が、恋愛における重要な要素と言えるかもしれない。
また、タイトルの「家の表札」と訳した hustavle という語は、直訳すると「家の銘板(プレート)」となるのだが、思い切って「表札」と訳した。一連目を「恋愛中」の出来事ととるか、既に「婚姻関係」にある人物の話ととるかで、意味が少し変わってくるだろうが、いずれにせよ、一緒に暮らし、同じ表札を掲げている人物であることは間違いない。
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