【読書ノート】アジアへの/からのまなざし「方法としてのアジア」 竹内好 精読
アジアにとって近代とは何か、近代にとってアジアとは何か。
東アジアの中の日本、そして日本にとっての東アジアとは。
竹内好は、1910年生まれの中国文学研究者、思想家です。中国文学研究と北京留学の経験をもとに、戦前・戦後を通して、中国文学研究者の視点から日本、中国の近代化を深く考え、大きな影響を与えました。
日本の外部から東アジアを、そして東アジアから日本を捉えようとした先駆者としての彼の思想を、本書を精読することでより深く理解したいと思います。そして、自身の台湾研究に新たな視点をもたらしたいと考えています。
台湾学においては、東アジア・アジア・そして世界における台湾、という視点は、避けて通れない重要なテーマです。私自身、人生のほとんどの時間を日本で過ごし、日本という国を大きな枠組みの中で捉える機会がありませんでした。シンガポール、台湾という2つのアジアに住んだ経験は、その場所から日本を見るという大きな視点の転換でした。
台湾学を学ぶきっかけの一つは(今になって少しずつ言語化できるようになってきているのですが)自身の視界の狭さにショックを受けたこと、そして台湾やアジアを通して日本と日本人、さらに自分自身のアイデンティティをより深く理解したいという思いが大きかったのだと思います。
竹内好の思想は、このような私の考えを再確認させてくれるものでした。以下、アジアへの/からのまなざしに収録されている「方法としてのアジア」を精読し概要と主な主張をまとめます。
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方法としてのアジア
『方法としてのアジア』は、1960年の竹内好による学生向けの講演を基に、1978年に『方法としてのアジア わが戦前・戦中・戦後 1935-1976』として刊行されている。この著作は、全集や『アジアへの/からのまなざし』にも収録されており、彼の思想を深く理解する上で欠かせない文章となっている。
この講演において竹内は「日本の近代化とは何か」という問いを根源的に問い直し、新たな視点の提示を試みた。
同書における一つの重要な論点は、彼の仮説における、「日本含む後進国における近代化の過程は多様であり、必ずしも西洋型の近代化だけが普遍的な道ではない」という点にある。
彼は、自身の中国経験や文学研究を背景にアジアを見つめながら、近代化の多様性を探求し提唱しようとしたのだ。
日中の近代化の比較について、竹内は、ジョン・デューイの五四運動での体験を一つの事例として挙げている。
デューイは、自身が五四運動で実際に見た、中国の民主主義的な精神を高く評価し、これは中国における新たな近代の萌芽であると捉えた。
一方、西洋の技術導入に重点を置いた日本の近代化は、表面的で脆い側面を持っていると評し、中国における抗日運動で目にした「内発的」な精神の成熟を伴う中国の近代化こそが、真の近代化であると考えたのだ。
竹内はデューイの例を用いて、日本の近代化における西洋中心主義的な観点を批判し、アジアにおける多様な近代化の可能性を示唆した。そして、西洋と日本との比較だけでなく、中国やインドといった他のアジア諸国との比較も視野に入れることで、初めて日本の近代化を問い直し、その特質を明らかにできるのだと論じた。
上記までが一部の大まかな内容で、さらにこの後、日本的近代化への問題提起が続く。
竹内は、タゴールによる日本批判を引用し、インドや中国といった被圧迫・被植民地経験を持つ民衆と、日本との対比を試みた。
ここでタゴールを例示するのは、文学者という立場から中国と日本を比較検討した点にあると考える。竹内の思想は、魯迅研究をはじめ文学を基盤としており、その文学や文化の源泉は民衆にあり、文学者は民衆の声を代弁する存在であるという立場に基づいている。
ここで竹内は、文化形成の原理として民衆を位置づけ、文化の「内発性(中国)」と「外発性(日本)」との対比を論じている。
明治維新以降の日本の近代化から第二次世界大戦、そして戦後までの軌跡を辿りながら、日本の近代化の特質・外発性を考察した。ただし、これらの内発・外発概念に関する厳密な定義や、中国と日本との対応については、必ずしも明確に示されているわけではない。
その上で、彼は日本の近代化の起点として明治維新を、中国の近代化の起点として五四運動をそれぞれ位置づけた。そして両者を比較対照することで、近代化における適応性について論じた。
日本は西洋の技術を取り入れ、その適応性の高さゆえに近代化をいち早く進めることができた。対して中国は、その中国的なもの・強固なものを崩すことができず、近代化にすぐに適応できなかったゆえに、日本より近代化が遅れたと仮定する。
しかし、構造的なものを根本からこわして自発的な力を生み出す。この時間をかけた内発的な近代化こそが中国近代化の特徴であり、先述のように、アメリカ人のデューイから見ると本質的であるように映ったのだ、と説明している。
日本の適応性そのものを否定する意図はここにはない。日露戦争における日本の勝利は、東洋諸国が西洋列強に打ち勝つ可能性を示し、日本の近代国家モデルの有用性が証明されたのも、また事実である。
これは、戦争の正当性を評価するものではない。しかし、植民地解放にとって非常に大きな力となった事実は無視できない。
だが第一次世界大戦後、日中の力関係は変化し、民族自決の風潮やナショナリズムの高まりとともに、日中関係は悪化の一途を辿り、日中戦争に発展する。
この過程において、西洋vsアジアの対立という単純な構図は、アジア内部における民族間の対立へと複雑化していった。
そして戦後においては、日本人の敗戦意識に話題が及ぶ。一般的に、日本人は敗戦の本質を十分に理解できていないという指摘がなされる。
そして毛沢東の『持久戦論』を用いて、この論理的な戦争への見通しを評価している。この部分に関しては、鈴木将久による「はじめに」で指摘されているが、当時の毛沢東評価や時代背景を念頭に置く必要があるだろう。
最後に、竹内は日本の近代化のあり方について新たな提言を提示する。それは、単に西洋を模倣するのではなく、西洋の優れた文化を自らの内なる力で昇華させ、逆に西洋に影響を与えるという、いわば「文化的な巻き返し」の実現である。
このためには、日本が独自の主体性を確立することが不可欠であり、その主体形成の過程において、日本とアジアとの比較研究が重要な役割を果たすと主張する。それを竹内は、「方法としてのアジア」と呼び、これを通して、主体形成の一つのアイデアを学生たちに提示したのだ。
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「台湾、韓国をふくめた視点から竹内好を読み直すのは、後輩であるわたしたちの仕事だろう」
この本は、松永正義先生によるこの言葉で締めくくられています。
実際、ここに台湾の視点を含めるとすれば、同時期の文学研究者、思想家についても考えることができるのではないでしょうか。
例えば、大正時代に日本へ留学した台湾人知識人は、五四運動の影響を受け、台湾における議会設置運動などの社会運動を牽引しました。
日本の大正デモクラシーは、台湾人ナショナリズムの萌芽期でもありました。そして彼らは竹内好と同様に、あるいは彼以上に、中国とのつながりを意識し、日本の植民地支配に対して批判的な立場を取っていました。
いま、中国台湾の両岸関係、さらに日韓を含めた東アジアの関係は、さまざまな局面において緊密化しつつあります。台湾における青鳥運動の継続や、韓国での戒厳令発布のデモ活動など、台湾と韓国に見る民主主義精神は現在も、アジア・世界に影響を与える動的な渦の中にあると言えます。
その点においても、竹内好の思想を読み直すことは、東アジアにおける複雑な歴史と文化の相互作用を理解する上で、現代においても極めて有意義なはずです。
しかし、松永先生が指摘するように、現代において『方法としてのアジア』を読み解くためには、当時の時代背景や歴史的事実を十分に考慮する必要がありるのもまた事実です。この言説を都合よく解釈しないよう、注意が必要だと思いました。一般論的な言説と、彼のイデオロギー的な言説の境を注意して読み解く事が必要なのだと思います。
この章だけでかなりの時間を使ってしまったので、次章も冬休みの間に読み進めたいと思います。そしていよいよ研究計画を書き始めます。2025年には卒業できるよう、頑張るぞー
<参考>
竹内好, 日本経済評論社 2006, 竹内好セレクションII アジアへの/からのまなざし (〈戦後思想〉を読み直す)
Masashi Haneda, 2024, Asia Rising : A Handbook of History and International Relations in East, South and Southeast Asia Introduction: What is Asia?
陳光興(翻訳:山脇千賀子), インターカルチュラル/10 巻 2012, 方法としてのアジアと文化研究―竹内好の1960年講義「方法としてのアジア」について