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【読書ノート】空間の経験, イーフー・トゥアン

人間にとって空間とは何か?それはどんな経験なのだろうか?また我々は場所にどのような特別の意味を与え、どのようにして空間と場所を組織だてていくのだろうか?幼児の身体から建築・都市にいたる空間の諸相を経験というキータームによって一貫して探究した本書は、空間と場所を考えるための必読図書である。

著者
イーフー・トゥアン Yi-Fu Tuan、段 義孚
1930年中国で生れる。中国系アメリカ人。オックスフォード大学で修士号、カリフォルニア大学バークレー校で博士号取得。現在、ウィスコンシン大学マディソン校名誉教授。70年代に現象学的地理学の旗手として颯爽と登場し、今日では、世界的な第一人者として知られている。本書のほか『空間の経験』『トポフィリア』『愛と支配の博物誌』『コスモポリタンの空間』『感覚の世界』『モラリティと想像力の文化史』などがある。

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480081032

今期の空間再現の授業を受けるまで、「地理学」についてほとんど何も知らない状態でした。自然地理学この講義がなぜ人文系の学科で開かれるかもちゃんと分かっていないまま講義の2回目が終わり、その際読書課題となったこちらの著書「空間と経験」で、私の興味と「人文地理学(Human geography)」が直接関係するものだとようやく理解しました。

著者のイーフー・トゥアンは、この分野の第一人者であり、人文主義地理学の提唱者でもあります。彼はこの「空間と経験」の中で、主に人間と空間の関係性、経験、場所、について人文科学の視点から定性的にアプローチしています。

ここでは、序論・第2章 経験のパースペクティブ・第13章 時間と場所・エピローグを要約しつつ、これをどのように地域研究に繋げるか、またその可能性について書くことを目的としています。

序論

ここでは、著書の中核をなす人間を中心とした空間や場所や経験をの関係性を説明する上での、文字通り序論が展開されている。

「場所すなわち安全性であり、空間すなわち自由性である。つまり、われわれは場所に対しては愛着をもち、空間には憧れを抱いているのである。」

この一文から分かるように、人間にとって「空間」は広がりを持つ自由な場所であり、「場所」は安全で愛着を持ちうるものである。著者は場所への愛着の例として、物理学者のボーアとハイゼンベルクのクロンボー城を訪れた際の経験を引き合いに出し説明している。物質として石材だけでできたこの城が、ハムレットが住んでいたという歴史やシェイクスピアの故事により、訪れたものは全く違った印象を持つ。

人間は、このような複雑な方法で空間と場所に反応する。この著書の主題は、斯くも複雑な存在である人間が、世界をどのように経験し理解するかを洞察し示唆することである。その中で、人間の性質・能力・欲求といった普遍的特性に焦点を当て、さらに文化がそれらによってどのような影響を受けているかに焦点を当てる。以下の三つのテーマが、この後の章立てのテーマとなる。

  1. 生物学的な諸事実ー人間の乳児と空間の関係

  2. 空間と場所との関係ー空間の抽象性、空間から場所になること

  3. 経験、もしくは知識の広がりー直接的な経験と非直接的な概念としての経験

人間の経験の込み入った世界は人文科学の分野や文学作品において表現が実践されてきた。本書は人文科学による様々な洞察を体系化し、それらをいろいろな概念の枠組みのなかに示していこうとする。

第2章 経験のパースペクティブ

著書の全体を通してのキーワードは「経験」であり、各章を通してその本質に迫っている。第二章では、直接的で受動的な感覚や、視覚による能動的な知覚などから、「経験」について洞察している。

「経験とは、自分がこうむってきたことから学ぶ能力という意味を持っている」。経験豊かな人というのは、今までに身の上に多くのことがあった人という意味を暗示している。しかし草木や下等動物に対して経験という言葉は使わない。つまり、経験とはすべての存在が知覚できるものではなく、知覚・感情(情動)・思考、これらの複合作用によって作り出されるものである。感情と思考は、一般的に主観と客観といった対の位置にある。しかしどちらも物事を知る方法である。

視覚・嗅覚・触覚はすべて「知る」ことと密接に関係している。例えば見る「I see」は理解する「I understand」の意味になるように、見ることは理解するという創造的な過程である。人間の嗅覚は花のさまざまな香りに関する感覚を発達することができるし、触覚を使って手触りを確かめながら物理的環境を識別し探ることもできる。実践と進歩、知性によって、世界を見分けることができるようになる。

では空間への感覚はどのように経験されるのだろうか。両腕を伸ばし運動する余地があるものとして、空間がまずは身体的に経験される。さらに、場所から場所への移動経験によって、空間の広さが識別される。触覚によってそれぞれの空間の中に占める相対位置を把握することができる。場所は特別な種類の対象なのである。

「場所と物体は空間を限定し、空間に幾何学的性格を与える」。三角形は初めはただの空間であり、ぼんやりとしたイメージでしかない。そこに3点を認識することで幾何学空間が生まれる。新たに引っ越した土地は、初めはぼんやりとした「空間」だが、特定の場所を認識・経験することで、近隣を知ることができる。

我々が特定の場所を知性と感性を持って経験する時、その場所は具体的な現実性を獲得する。例えば、ある場所に長い間暮らしてその場所について親しく知っていたとしても、一度外側からその地域を見て自身の経験について熟考することでその場所に対する鮮明さが増す場合がある。反対に、自分が住んでいるのではなく旅行者として訪れた場所は、現実の重さの認識に欠ける場合がある。

直接経験できない大規模な概念である民族国家に対して、私たちが感情的に惹きつけられるのは、人間の特徴の一つだと説明する。(第十二章 可視性-場所の創造につながる。民族国家そのものが可視性を獲得することになった。それを達成する手段として国家を主教的崇拝の対象にすることであった。深く愛される場所というのはそれ自体が目に見えるわけではなく、美術や建築などの手段によって可視化されてきた。)

第13章 時間と場所

ここでは時間と場所について3通りの方法で洞察している。

  1. 時間を運動として捉え、場所を休止として捉える

  2. 場所への愛着:場所への愛着を時間の一機能として捉える

  3. 保存の欲求:場所を目に見えるようにされた時間として捉える

第一のテーマ:時間を運動として捉え、場所を休止として捉える。この方法としては、生活における時間の矢を例に挙げて洞察している。
現時点───(通過点)──(通過点)──→未来の目標(場所)
目標は時間の中の場所でもあり、場所の中の一点でもある。

第二のテーマ:場所への愛着
愛着というものは、めったに偶然に獲得されるものではない。短くても強烈な経験や、反対に長い時間をかけてもほとんど記憶に残らない場合、両方を我々は経験したことがあるだろう。

第三のテーマ:保存の欲求
ボーボワール「老い」の一節を引用し、人間にとっての過去とはどのような意味を持つかについて洞察している。自己とアイデンティティの感覚を得たいという欲求から、過去を救い出し近づきやすいものにするーー例えばパブで武勇伝を話すーーような行動について言及している。

我々は物や昔住んでいた場所を訪れることで、自分の過去の再構築を試みることができる。さらに「古風な」という概念は、古いものや時間に価値を置き保存すべきといった現代的価値観から来ている。

さらに過去への崇拝、博物館の設立、都市計画における過去の遺産の保存について、保存の欲求という観点で洞察されている。

エピローグ

経験は、なぜ軽んじられてきたのか。それは、経験を分節化したり尖鋭化するための手段がないからである。それは言語に欠陥があるからではない。それを表現する形態の不足からである。その点で文学者やアーティストはそれに形態を与える方法を見出している。ここで例に出されているのは、我々にとって雪は雪であるが、エスキモーは雪を表現する単語を十以上も持っていることである。

全章を通して著者は、経験を分節化したり尖鋭化するための形態の構築を試みている。すでに材料は豊富にあり、それをどのように組織化するかが問題となっている。

人文科学の試みとして、人間の経験の複雑さを認識し拡大することが、本書の目的である。


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オギュスタン・ベルク氏による巻末の日本語版解説には、「人文地理学(Human geography)」が1970年後半に主流な流れとなる道筋について解説されています。この日本語訳版は10年後に出版されており、著者が時代背景を色濃く帯びている点について認識が必要だと指摘しています。

具体的には、著書が全体を通して空間より場所に比重が置かれており、これは1970年代のユートピア的理想(空間 Space)を押し付けようとした近代主義に反して、エデンへの回帰願望(場所 Place)といった保守的な観点に比重が置かれている、と説明されています。そして結局のところ、Place主義が陥った近代都市計画の行き詰まりについて、我々はすでに知るところであると指摘しています。

約50年経った現在でも、「空間の経験」は色褪せず新しい視点を与えてくれる一冊です。地理学という文脈ですが、非常に人文科学の色が濃い著書であり、幅広い分野に適用できる理論だと感じました。

特に、エピローグの「経験を分節化したり尖鋭化するための形態の構築」については、自身が人文科学を専攻している目的を超えて、生活や文化的活動すべてがこれにつながるような気がしました。

さらに場所や空間といった曖昧な概念を、具体的な現象に結びつける方法は体系的であり、期末課題のエッセイおいて非常に参考になりました。

地域研究をする上で地理学的なアプローチはどのように有効なのでしょうか。これに対してまだ答えが出せていないので、次はエドワード・ソジャによる「ポストモダン地理学」を読み進めていこうと思います。


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