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キャリアメールがやめられないはなし

みなさん、あけましておめでとうございます。
そして、ぼく、誕生日おめでとうございます。
(自分で言っていくスタイル)

某大手通信会社一家で育ったたかはしです。
今は、別の大手通信会社の子会社を経営しています。
さて、そんな通信会社が提供している「ケータイ」の「キャリアメール」について僕の誕生日に書いてみたいなと思ったので、お付き合いくださいね。

誕生日に何したい?」って自分に問いをたててみた。

そうしたら、真っ先に思い浮かんだのは、美味しいご飯を食べにいくのでもなく、ご褒美に何か買いに行くのでもなく、
それは。「45年前に産んでくれた母に感謝を伝えたい」だった。

しかし、そんな母は残念ながら1年半前に他界している。
ところが、不思議なことに聞こえるかもしれないが、精神的には僕の中ではまだまだ健在どころか、日に日にやかましさが増している。
対話しないとさらにやかましくなる。
ほんと、かまってあげないとやかましくなる。
生前との違いは、メールとか電話のプッシュの有無。

完全プル型になった今、不思議と生前の母のプッシュ型が功を奏し、
見事に母との対話を僕は望んでいる。
母の長年の戦略というか、いや戦略を凌駕した習性が圧勝。
お墓参りして感謝を伝えないとな。

皆さんも似たような経験あるかもしれないが、
実家の母からの連絡って、
突拍子もなかったり、
謎の脈略だったり、
忙しい日常とはぜんぜんかけ離れたスローペースなものだったり、
そのくせ、謎の親マウント取ってきたり、
とにかく体調を心配してきたり(あなたの方が心配ですけど、、)
悪いことしないか心配してきたり(親を凌駕した社会性備わってると思いますけど、、)
そんなつらつらがLINEや電話、昔はキャリアメールでつらつらと送られてきて、
その文章の量とは反比例した返信を半ば義務的に返すみたいなものだと思う。

母は、晩年スマホ化に見事に乗り遅れた。
孫の誕生でLINEで写真やりとりしたり、
ビデオ通話したりするのがやや遅かった。
その頃にはもう病気が進んでしまっていた。
つまり、動機を持ったタイミングで心身万全でなかった。

そんな母からの連絡はもっぱらキャリアメールであり、
そのために僕はキャリアメールを契約し続けていた。
そしてキャリアメールのプッシュはほぼ母のアラートとして条件反射として刷り込まれ、
僕のiPhoneのキャリアメールは結果的に母の独占的なメールBOX化していた。
継続は力なり。ここまで見えていたとしたら天晴れだ。

たしかに、最後まで携帯電話持たずに、ポケベル維持していたあの壮麗な女性は、自らの希少性を保つ、そんな振る舞いだったとしたらそれは見事である。(話が昭和と恋愛に脇道に逸れるのでこのくらいで。)

そんな、独占化したメールBOXに最後に母からきたメールや電話は忘れることができない。
どうしても、未だになんとなくしつこいあのプッシュが来るような気がして、今は迷惑メールすら下火になったキャリアメールをいまだに解約できない自分がいる。
とてつもない生前のプッシュ効果だ。

プル型でも対話(お墓参り)するからメールしなくても大丈夫だよ、お母さん。

ほんと産んでくれてありがとう

こうやって誕生日に人に感謝を伝えられるのは、僕は幸せですよ。

育ててくれてありがとう

あなたの最期になった誕生日に、孫と親父と楽しそうに話している写真をこのnotoのタイトルにつかわせてもらうね。

たかはしサミットはキャリアメールでも開催プッシュ通知したいと思います。


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