スポーツを「楽しむ」=「勝つ」?

スポーツの醍醐味は、決着がつくこと。ただ、もちろんルールに則った上での話。そして、プレーヤーはもちろん、見ている側も自分が体験できないことをプレーヤーに求めている。だから、応援しているプレーヤーやチームが勝つことを望んでいるのではないか。

ただ、「勝つ」ことだけがスポーツを「楽しむ」ではないと思い、今回はそれぞれの立場にたって楽しみ方を考えてみたい。

1.プレーヤーとして

言うまでもなく、プレーヤーが目的としていることに対して、解決できたら楽しいはず。ただそれが、優勝する、目の前の試合に勝つ、世界記録を出す、自己記録を更新する、ケガをしないで競技を終える、など一人ひとりの目的が違うことを理解しないといけない。

私自身、全国大会に出場するという目標でサッカーとは違う競技を続けていたが、全国大会に出たことで満足してしまったことと、それと同時にトップレベルとの差を痛感したこともあって、競技を終えた。その経験があるからこそ、プレーヤーがその競技を続ける目的や意義を、プレーヤー自身が自分の言葉で表現することの大切さも感じている。

2.観客として

前回のnoteにも書いたが、サッカーとのつながりが深くなったのは、アルビレックスの試合を見に行くようになってからだ。特に、見始めた当初の新潟はJ1昇格という目標があり、サポーターもJ1昇格のための後押しするという明確な位置づけがなされていたように思う。

ただ、2003年いよいよJ1昇格が目前というところで、チームは足踏みすることになったのだが、その時にインタビューされた私の記事が残っていた。

「チームがアルビレックスというチームがあって、うちらがすごい幸せな気持ちになっている部分がある。毎週いろんなところに行って、楽しませてもらってる。だから選手たちも幸せでいてくれればいいかなと。今この状況だから昇格という状況があって、上がったら上がったで、残留という戦いが待ってるかもしれない。だけど、うちらが観て楽しめる部分を選手にも感じ取ってもらいたいし、選手としてもやることで幸せだなと思ってもらえればそれでいいんじゃないかと思います」(ゴール裏、ヤス氏)<J's goalアーカイブより>

もちろん、自分が応援しているチームや個人が「勝ってほしい」「目標を達成してほしい」と願うことを否定はしない。ただ、プロスポーツはともかく、応援しているチーム(個人)を勝ち負けだけで判断しているのならば、それはもう応援ではなく、また純粋にそのゲームを楽しんでいることにもならないのではないかとも思う。

3.指導者として

私自身は、サッカーを始め競技スポーツの指導者という経験はないが、教員という立場で体育の授業をしたり、また授業に役に立てようとサッカーD級指導者を習得したりした。その時に改めて感じたが、やはりプレーヤーファースト。プレーヤーがどんな目的をもって練習し、練習したことをゲームで表現する。そこをマネジメントするのが指導者の役割だと思う。

ただ残念なことに、指導者の中には自分の意図した通りにプレーすることを良しとする人がいるのではないか。実際、ゲーム中に「なんでできないんだ。」「そっちじゃないだろ。」という指示とは言えない声が聞かれることがある。仮にその声を聞いて結果が出たとしても、それは指導者の力ではなく、できなかったことを修正し結果を出したプレーヤー自身の力なはずだ。

また、特にジュニア世代では指導者の声に触発されるかのように、一観客である保護者も、同じような声を発することがある。もちろん、自分の子どもや子どもの所属するチームに勝ってほしいという気持ちからなのは理解できるが、2にも書いたように、勝つことだけが良しであるという誤ったメッセージが子どもに伝わってしまい、純粋にスポーツを楽しむことができなくなってしまうのではないかと思ってしまうのだ。

実際に、私が審判をしていたサッカーの試合で、指導者の言動によってプレーヤーから笑顔が消えたシーンに出くわすことがあった。明らかにイライラして、精彩を欠いたプレーが多くなったし、指導者に向けてと思われる小声も聞こえた。(余談だが、審判の判定に文句をいう指導者もいるが、実際に試合をしているのはプレーヤーであり、プレーヤーの方は判定に納得していることも多いことも理解してほしい。)

4.まとめ

少し長くなってしまったが、それぞれの立場からスポーツのあり方を考えた時に、「勝つこと」=「楽しむこと」ではなく、楽しむことの一つに、もしくは楽しむことの延長線上に勝つことがあるのではないかと思う。そのためにも、プレーヤー自身が目標を持つことが大切であり、観客、保護者、指導者はその目標を後押しする存在でなければならないと思う。

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